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プロボクシングを「暴力・犯罪」だと禁止し続けたノルウェーが解禁!それでも否定的な報道が相次ぐ

鐙麻樹北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員
ノルウェーのスポーツ界の歴史的な1枚になるのではといわれている写真(写真:ロイター/アフロ)

ノルウェーのスポーツ界が、新たな節目を迎えた。なんと、この国では、プロボクシングは「暴力」であり、相手を殴るボクサーは「犯罪者」だとして、これまで禁止されてきた。2014年、右翼政権の主導で、国会でプロボクシングが承認され、その33年の禁止の歴史が幕を閉じることとなった。

ボクシングが解禁されることは、北欧ボクシング界の顔ともいえる、女性ボクサー、セシリア・ブレークフス(Cecilia Braekhus/ウェルター級65キロ、冒頭写真の黒髪の女性)が、母国で合法的にリングに立てることを意味する。ブレークフス選手は、これまでWBA、WBC、WBO、IBF、WIBOという世界大会で5冠王を達成した世界初の女性である。

男女平等が進んだノルウェーでも、女性ボクサーの世界的活躍は応援できず?

男女平等政策が進み、女性の活躍が世界的にも注目を浴びるノルウェー。ボクシング界でも素晴らしい成績を残す女性がいる。しかも、彼女はコロンビアから養子として受け入れられた経歴をもつ。ノルウェーのリンダ・カトリーネ・ホフスタ・ヘッレラン文化大臣(保守党)は、これまで筆者が取材してきた様々な現場で、スポーツ界では男女平等において、まだまだ課題があると指摘し続けていた。ボクシングという世界で、ノルウェー人女性が活躍することは好意的に受け入れられそうだが、実はその反対で、今でも驚くほど否定的に受け止められている。少なくとも、マスコミと政治家の間では。行政・立法・司法・報道は、四者の権力=四権とされているが、これらの一部の権力者から眉をひそめられている、珍しいスポーツ種目なのだ。

禁止の歴史と人生を歩んだ、女性ボクサー

ノルウェーでは1981年にプロボクシングが禁止された。同じ年、将来の世界王者となる、ブレークフス選手が生まれた。プロボクシング行為は、ノルウェーでは犯罪として定められ、3か月投獄されるリスクを伴うこととなった。

2014年12月、国会でボクシング解禁を受理する投票がされた日、賛成した国会議員は54人、48人が反対にまわった。

2016年6月、ヘッレラン文化大臣は、「これまで何年間も、プロボクシングを禁止させてきた政治家がいたことは、理解に苦しむ」と記者会見でコメント(VG)。長い間、ボクシングを否定してきたノルウェーの土地では、世界大会開催を阻む障害も多く、大臣は法の改正に積極的に取り組んだ。

2016年、禁止されてきたボクシング大会がノルウェーで実現

10月1日、首都オスロでコンサート会場などとして使われる人気の施設オスロ・スペクトルムで、ブレークフス選手はアン=ソフィー・マシス選手と対戦した。物議を醸し続けてきた競技の初大会とあって、試合の様子は、現地で大きな注目を浴びる。

試合後、地元の報道陣に対して、ブレークフス選手は「言葉にすることが難しい。私はやっと母国にいる。ボクシングが、母国に戻ってきた」と語る。当日の記者会見では、「故郷のベルゲンでも、いつか試合をすることができたら感激だ」と、今後の夢を語った。

マスコミの批判報道が始まる、矛先は首相と大臣

騒ぎは、その試合の翌日から。ノルウェーのマスコミの否定的な報道が始まったのだ。批判の矛先となったのは、試合直後にリング上で「楽しかった」と語った、ブレークフス選手と同じくベルゲン出身のアーナ・ソールバルグ首相。

首相は、試合の前後で、マイクをもち、リングにあがり、ブレークフス選手を笑顔で力強く応援した。会場には、右翼連立政権を担う、首相の保守党と、右翼ポピュリスト政党の進歩党の政治家たちが大勢駆けつけた。各々が現地から写真をSNSにアップし、解禁を祝福。ヘッレラン文化大臣も、前列から選手を応援した。

試合の放送は、ノルウェー国民の5人に1人が鑑賞した。

ノルウェー国営放送局NRKや最大手アフテンポステン紙など、マスコミは、生放送で現場から様子を伝えたが、翌日からは反対派の意見を大々的に伝え始めた。首相の保守党からも、数は少ないが批判の声があがる。

「人を殴り、流血させるボクシング=犯罪」という根強い思い込み

「恥ずかしく、悲劇的だ。ノルウェーの政府がこれを許すとは。そのうえ、相手選手がたった3分後に、血にまみれて倒れているにも関わらず、首相がリングにあがり、歓声をあげるとは、恥としかいいようがない」(保守党・クリスチャンサン市長/NRK)

「会場の外で同じことが起きていたら、危険な警察沙汰となっていたことでしょう。政府として間違った道を歩んでいる」(与党と合意体制を組むキリスト教民主党党首/NRK)

ほかにも、「女性が流血している最中、首相や大臣がパーティー会場のような試合の場で喜んでいることは、政治的に正しくない」という旨の社会評論家などからのコメントをメディアは続々と掲載。また、「流血していた相手選手は、脳震盪を起こしたのではないか。政府に医学知識を持つ者はいないのか」と、脳などの身体的ダメージを懸念する医師などの意見を報じる記事もあった。

また、スポーツという会場で、盛んな「飲酒」行為を嘆く意見も掲載される。このような、脳への損傷などの身体的暴力行為や飲酒行為については、ノルウェーの首相や文化大臣にマスコミがコメントを求めている。だが、日本であれば、わざわざこのようなことを、安倍首相などに記者が尋ねるだろうか。

観客の飲酒行為を指摘するのであれば、音楽祭など、多くの文化やスポーツ行事は禁止になる。酒の法律が厳しい国なので、いざ飲めるときのノルウェー人の飲み方は、半端ない。

今回、外国人記者として、ノルウェーの報道の流れを見ていると、あまりにも一方的な目線からの伝え方で、違和感を感じざるをえない。まるでタッグを組んだかのように、各報道機関はボクシング解禁を批判的な目線で伝える。試合のリング上でも、首相に対して、「生で見ていて、怖くはなかったですか」という質問が、記者の口から自然とでており、報道する側自身もどこか懐疑的だという様子が伝わってきた。

賛成派よりも、懐疑派ばかりの意見やコラムばかりが掲載されているのは恐らく事実である。ノルウェーでは、「マスコミの報道=世論」とは限らない。以前の「芸術が超えてはいけない境界線はあるのか。警察に通報されたノルウェーのムンク美術館の挑戦」の件もそうだが、現地メディアが「物議!」と騒いでいることが、一般市民の意見を反映しているとは限らないのである。

ボクシング解禁において、世論調査はされていない。どうも、今回は保守的なマスコミと一部の政党と、普通の人々の間で距離が開いている印象をうける。プロボクシングを禁止していた間、犯罪率が下がり、子供への精神的悪影響が減ったことを証明する資料があるとは、聞いたことがない。

ブレークフス選手のフェイスブックページには、応援コメントが殺到している。その中に、一般市民の男性から、批判的な意見がひっそりと載っていた。「ノルウェーにとって、悲しい日。選手たちに身体的な傷を負わせる事実に、変わりはない。選手がノックアウトされるシーンを、大衆が望むとは。これが、素晴らしい理想で、子供や青年たちにとってのロールモデル?悲劇ですね」。

「人が流血する、暴力的な場に」、首相が公式で参加したことは、いかがなものかという報道が目立つ現地。首相は、国営放送局に対し、「保守党が25年間戦ってきた案件。私が試合会場にいなければ、それこそ変だったでしょう」とさらりと反論した。

ノルウェーの反対派の意見を軸とすると、柔道や相撲など、ほかのスポーツ競技も禁止されていたのかもしれない。日本で出版されている、漫画『あしたのジョー』なども、教育的によくないと禁止されていたのだろうか(登場人物が命を落とすのだから、保守的なノルウェー人にとっては、ショックどころではないかもしれない)。

「私たちは犯罪者ではなく、スポーツ選手です」

かつて、ブレークフス選手は、現地のVG紙に、こう語っていた。「自分の国で、犯罪者というスタンプを押されるほど、つらいものはなかった。私たちボクサーは、犯罪者ではなく、スポーツ選手です」。

Text: Asaki Abumi

北欧・国際比較文化ジャーナリスト|ノルウェー国際報道協会役員

あぶみあさき。オスロ在ノルウェー・フィンランド・デンマーク・スウェーデン・アイスランド情報発信15年目。写真家。上智大学フランス語学科卒、オスロ大学大学院メディア学修士課程修了(副専攻:ジェンダー平等学)。2022年 同大学院サマースクール「北欧のジェンダー平等」修了。ノルウェー国際報道協会 理事会役員。多言語学習者/ポリグロット(8か国語)。ノルウェー政府の産業推進機関イノベーション・ノルウェーより活動実績表彰。著書『北欧の幸せな社会のつくり方: 10代からの政治と選挙』『ハイヒールを履かない女たち: 北欧・ジェンダー平等先進国の現場から』SNS、note @asakikiki

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