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人々の期待を渇望に変え自己最高位へ――愛されキャラ、奈良くるみ躍進の時

内田暁フリーランスライター
全米オープンで活躍しランキングも大きく上げた奈良くるみ

ごく普通のことだけれど、日本人選手が活躍すると、無条件に嬉しい。しかも感じる嬉しさは、活躍した選手の人柄、あるいは自分との関係性を反映し種々に彩られるように思う。

例えばクルム伊達公子の場合は、重厚感ある興奮が腹の奥からこみ上げてくる。錦織圭の時は、爽やかな期待感が全身を駆ける。そして、今期の後半戦に次々と好成績を上げ、今年初頭に150位前後だったランキングを70位にまで上げてきた奈良くるみの場合は、「ほっこり」とでも形容したくなる喜びが胸を熱くし、自然と笑みがこぼれてくる。ジュニア時代から活躍してきたためだろうか、あるいは素直で明るい人柄と158センチという小柄な体のためか、彼女は多くのテニス関係者にとり、永遠の妹のような存在だ。

■「そういうところ」を気にするアスリート■

個人的なことで言うと、彼女が18歳の夏にインタビューをする機会があった。プロに転向してからトントンと順調に成績を伸ばし、既にウィンブルドンでグランドスラム初勝利を上げ、ランキングも100位突破直前にまで迫っていた頃である。

そのような彼女に、選手としての手応えや今後の抱負などを聞いた時、彼女は技術面や精神面の課題に言及しつつ、さらにこうも続けた。

「あとは、社会人としてのマナーも身につけていきたいです。そういうところが、私はダメなので…」。

ちょっと、驚いた。18歳のアスリートに“そういうところ”を期待する人も少ないだろうし、何より彼女は、その面において非常に優れていると感じていたからだ。いずれにしても彼女は、“そういうところ”が出来ているか否かを気にするタイプの選手なのだということが、強い印象として残った。

実はこのエピソードには、ちょっとしたオチがある。既に時効だろうし、彼女がこの文章を目にすることも無いだろうから明かしてしまうが、取材を終え彼女が丁寧に頭を下げて席を立った後、机の上には、彼女に渡した名刺がチョコンと残されていたのだ。

正直、選手に名刺を渡すべきかはいつも悩むことだし、選手も貰ったところで処分に困るだろうから、それ事態は全く構わなかった。ただ、ちょっとした悪戯心が芽生えてしまい「できれば、名刺を持っていってもらえると嬉しいな~」と、去る背に声を掛けてしまったのだ。

「ああっ!」

そう声を上げると彼女は机に駆け戻り、こちらが申し訳なるくらいに恐縮しながら「ほんっっとうにゴメンナサイ! 私、本当にこういうところがダメだぁ」と頭を下げる。我が強い選手が揃うテニス界にあって、驚くまでに“普通”な人だなと思った。

■気持ちの強さを手にして迎えた躍進の夏■

その18歳の夏から今年の夏までの3年間、彼女は四大大会に出ていない。特に大きなケガがあった訳ではない。ただ、予選に出ては本選に届かず敗れる大会が続いていた。101位まで上がっていたランキングは足踏み状態になり、以降は200位との間を行ったり来たりする日が続く。

正直に言うと、この時期の彼女の動向を子細に追っていた訳ではない。ただ時おり試合会場などで会うと、やはり彼女は笑顔で挨拶をし、敗戦後の会見などでも近寄りがたい雰囲気を発することはあまり無かった。勝負師特有の張りつめたような空気を、彼女はまとっていない。とはいえ、究極の個人競技であるテニスの世界で、トップレベルで戦っている選手である。小さな身体のどこかに、とてつもない負けず嫌いを飼っているのだろう――そんな風に思っていたのだが、実は当の本人も「私も『自分は負けず嫌いじゃないな~』と感じていて、それが勝負への執着が薄い自分の弱点なのかもと思っていた」と認めるのである。競った試合の中では「勝ちたい気持ちで、相手に負けていた」とも感じていたと言った。

そんな奈良が、この夏に、一つの殻を破った。全米オープンで予選を勝ち上がり、本選でもシード選手を破って3回戦進出。10月に大阪で開催されたHPオープンでもベスト4まで勝ち進んだ。「今は、気持ちを強く持てるようになった」、そう語る彼女の勝負への執着の源泉には、苦しい時期を支えてくれたコーチやトレーナーに「少しでも褒めてもらいたい、彼らの支援に応えたい」という想いがあったという。周囲の人々の想いを勝利への渇望に変えるあたり、実に、彼女らしいなと感じ入った。

これはまだ時効ではないだろうけれど、奈良くるみという選手の人柄を語る上で欠かせないエピソードだと思うので、バラしてしまう。

先のHPオープンでのことである。大会プロモーション用のサインを奈良が書き終えた直後、一人のカメラマンが駆け寄ってきて「あ~、サインを書いてるところ撮れなかった」と嘆いた。すると彼女は再びペンを手にし、今まさにサインをしているかのようなポーズを取りつつ、カメラに向かって笑顔を見せたのだ。そうして写真が撮り終えられたのを確認すると、より自然な笑みを浮かべてこう言った。

「私も、こういうことが出来るようになったんだな~」

満足そうなその声に、かすかに自嘲の色が交じる。「こういうこと」が出来るようになっても、彼女の本質は何も変わっていないのだなと、微笑ましい気持ちになった。

社会人としてのマナーを気にし、負けず嫌いではない自分にコンプレックスを感じ、ほんの僅かに世間ずれした己を自覚し照れ笑いを浮かべる――。

なにも峻烈な個性や狂気的な勝利への執着だけが、選手を強くさせる要因ではないだろう。等身大に悩み、喜び、周囲の人々に愛され支えられ強くなる……そんなテニス選手の在り方を、彼女は示してくれるかもしれない。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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