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ドイツの田舎町に出現する夢の祭典 錦織圭も出場のゲリー・ウェバーオープンってこんな大会

内田暁フリーランスライター
コートは天然芝。スタジアムには開閉式屋根がついている

■大会開催地“ハレ”とは、どんな街か■

錦織圭が参戦するようになったことで、テニスやスポーツファンの間で「ゲリー・ウェバーオープン」の大会名、あるいは開催地のハレ(Halle)という街の名は、幾分知名度が上がったのではないだろうか? 

この“Halle”をGoogleなどで検索してみると、ドイツの“Halle(Saale)”という街が真っ先に上がってくる。ところがテニス大会が行われているのは、ハレはハレでも“Halle (Westfalen)”の方。今後、大会観戦に行こうと思っている方は、くれぐれも間違いなきようお気をつけ下さい。

さて、実はGoogleがHalle(Saale)を先に上げるのも無理からぬことで、Halle (Westfalen)は人口僅か2万人強の、実に小じんまりとした街。対するHalle(Saale)は23万人強と、約10倍に及ぶ。

大会名の「ゲリー・ウェバー」だが、こちらは御多分にもれず、大会の冠スポンサーの企業名である。同時にそれはスタジアムの名称であり、最寄りの駅の名前であり、スポーツアリーナやイベントセンターの名であり、ホテルの名前でもあり、そして、一人の企業家の名前である。

年間売上高約1200億円を誇るファッションブランド“ゲリー・ウェバー インターナショナルAG”の歴史は、1973年にまで遡る。ドイツの田舎町にゲルハルド(ゲリー)・ウェバー氏が創設した女性用衣料品制作会社は、短期間のうちに売り上げを伸ばし、それに伴い事業内容も拡張していった。

同会社がテニスの世界に、センセーショナルに参入したのが1986年。ステフィ・グラフのスポンサーとなったのが契機である。当時のグラフは17歳だが、既にドイツ国内で絶大な人気と知名度を誇っていた。テニス界のスーパースターのスポンサーに、勢いがあるとはいえ歴史の浅いローカル企業がなった事実は、かなりの驚きを伴い広く知れ渡ったという。いずれにしてもこれを機に、ウェバー氏はスポーツ界にも知己を増やしていくことになる。

ATPツアーとしてのゲリー・ウェバーオープンがスタートしたのが、1993年。それに先立つ1992年に、元は地方の小さなテニスクラブだった場所に、12,000人収容の巨大スタジアムが建造された。それが、ゲリー・ウェバースタジオンだ。

スタジアムがあるのなら、そこに至る駅も必要ということで“ハレ ゲリー・ウェバースタジオン駅”なるものが登場した。これが1997年。そうして人が集まればホテルが建つし、コンサートなども開催できる“ゲリー・ウェバーイベントセンター”も出現する。とにかくハレの街には、至る所に「ゲリー・ウェバー」の名が溢れている。

「彼は、ハレの王様だよ」

幾分シニカルな響きを乗せて、知り合いのドイツ人記者はそう言った。

■総合エンターテインメントとしてのテニス大会■

その王様ウェバーが開催するのは、単なるテニス大会ではなく、総合的な娯楽イベントである。何しろこの大会は毎年のように、僅か1週間で10万人以上の観客を動員するのだ。繰り返しになるが、街の人口は2万人。ゲリー・ウェバーオープンは、地元の人々が心待ちにする“お祭り”的なものだろう。

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会場に出店されるショップやフードコートの質も、テニス大会の枠に留まらないものがある。ライブステージに出演するミュージシャンの顔ぶれも、ドイツ人に言わせると相当に豪華らしい。美味しい食べ物があり、良質の音楽があり、そして当然、ゲリー・ウェバーのテナントでショッピングもできる。テニスに全く興味が無い人でも、心躍る場所なのは間違いない。

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肝心のテニストーナメントの方だが、出場選手の煌びやかさは、大会のグレード(賞金総額)を考えれば驚異的だ。世界1位のラファエル・ナダルが居て、歴代最高選手の呼び声の高いロジャー・フェデラーが居る。賞金総額が少ないことは、選手獲得にお金を回せるということでもある。フェデラーに至っては、2010年に大会と“生涯出場確約契約”を結んだ程だ。

そんな豪華な大会の会場を歩いていると、英語や中国語、時には日本語まで聞こえてくるのには驚かされる。聞けばこの大会のため、日本から訪れたファンもそれなりの数居るようだ。ゲリー・ウェバー氏が、ハレの知名度向上や経済波及効果に果たした役割は計り知れない。王様と呼ばれるのも、当然だ。

かく言う自分も、テニス大会が無ければ生涯足を踏み入れることもなかっただろうドイツの田舎町を訪れ、こんな記事まで書いているのである。

王様の掌の上で、コロコロしているだけである。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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