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カンガルーカップ大会2日目:“夢に見た”クルム伊達を破った日比万葉

内田暁フリーランスライター

夢に見るまでに熱望したクルム伊達との再戦

「今日は平日なのに、随分とお客さんが多いなぁ…」

試合中、7割り方が埋まったアリーナの客席を見ながら、日比万葉は不思議に思っていた。観客の中には、小中学生と思われる子供が多い。20~40代くらいの、いわゆる“働き盛り”の年頃の人もたくさん居る。

試合が終わり、夕食を食べに向かった食堂が“祝祭日は休業”であったため、初めて4月29日が祝日であるらしいことを知った。米国カリフォルニア育ちの日比は、その日が“ホリデー”であることを知らなかった。

予選突破で本戦に勝ち上がり、その初戦でクルム伊達公子と対戦することを知った時、日比は「ものすごく楽しみ!」であった。2歳の時に父親の仕事の都合で渡米し、以降アメリカで暮らしてきた日比には、母国日本は近くて遠い存在だ。そんな日比にとっても、世界の4位まで上り詰めた44歳の日本テニス界の“レジェンド”との対戦は、特別な意味を持った。

クルム伊達は、日比の母親と同じ年齢だ。比べることはすこぶる失礼だと思いながらも、母と同世代の選手が世界の第一線で戦っていることに、畏敬の念を覚えていた。

日比が9歳の頃から師事するコーチのデビー・グラハムは、最高位35位まで達した元ツアー選手。そしてやはり、クルム伊達と同年齢だ。現役時代には対戦経験もあり、日比は第一次現役時代の伊達公子の凄さを、このコーチからよく聞かされていた。欧米選手に体格で劣る日比の武器は、ボレーやスライスなど種々の球種を織り交ぜた多様性と、相手を倒すための戦略性……即ち「試合」という“物語”を紡ぐ能力にある。そのような意味でも、クルム伊達は学ぶべき点の多い選手だ。

そして何より日比がクルム伊達との対戦を心待ちにした理由は、昨年11月に豊田市の大会で対戦した時に、喫した敗戦の悔いがある。この時の日比は、身体の正面を狙ってくる相手のサービスや、ベースラインのセンターに深く深く打ち込んでくる鋭い打球に苦しめられた。得意とするサーブ&ボレーも、ことごとくクルム伊達の餌食になる。観客の多くがクルム伊達の勝利を願う空気の中、44歳のベテランが描いた物語に飲み込まれた自分が不甲斐なかった。

「やはり、伊達さんはオーラがある」。

そう日比は述懐する。クルム伊達と対戦した11月の豊田の大会は、実は“プロテニスプレーヤー”日比にとっての日本デビュー戦だった。そして今回の岐阜カンガルーカップが、日本2大会目。その会場にも、クルム伊達は居た。予選を戦っていた頃から、日比はクルム伊達との再戦を熱望していた。

今大会の予選決勝を控えた日の朝、日比は夢を見た。自分が予選を突破し、初戦でクルム伊達と対戦する内容である。

目が覚めて会場に行くと、本戦のドローが発表された。クルム伊達の初戦の相手は、予選突破者となっている。この時点では、まだ自分がドローのどこに入るか、日比には分かっていない。それでもこの時、「あ、私はここに入って伊達さんと対戦するんだな」と確信した。果たして日比は予選を突破し、伊達と対戦するドローに組み込まれた。

技術と戦術を総動員した、二人の業師の対戦

2度目となった対戦でも、最初に主導権を握ったのはクルム伊達だった。過去数カ月間に及び肩やひじの痛みに苦しめられてきたクルム伊達だが、この試合では「ここ数カ月では一番というくらいに身体が動いた」。ネット際で放たれる絶妙なドロップボレーの数々に、詰めかけた観客から感嘆の声が上がる。第3ゲームで、クルム伊達がブレークしリードした。

しかし、ケガのために試合から、そして勝利から離れていたが故の試合勘の欠如が、クルム伊達の武器である「掌握した流れを離さぬ勝負強さ」を削いでいた。逆に日比は、5か月前の対戦でネットに出る戦術が効果的でなかったため、再戦ではベースラインから回転を掛けたショットを多く打ち、クルム伊達の伝家の宝刀であるカウンターを封じに掛かった。

「以前の対戦を踏まえ、彼女が今回は前に出てこないだろうと思っていた」

クルム伊達が、試合後に明かす。ただ、スライス回転を掛けた緩いボールをどう処理するかが、自分の課題であるともクルム伊達は自覚していた。自ら打ちにいくボールが、ネットに掛かる回数が増える。その隙を、試合を読む能力に長けた日比は逃さなかった。第1セットは5-4からのクルム伊達のゲームを破り、日比が先取した。

試合後握手を交わすクルム伊達と日比万葉
試合後握手を交わすクルム伊達と日比万葉

第2セットも、クルム伊達が先にブレークするが、そのつど日比が食らいつく。途中から「肩が固まったような状態」になったクルム伊達の減速に合わせ、日比は緩急をより多用した。結果として試合最後となったラリーは、この日の対戦を凝縮する内容となる。高速の打球がネットすれすれを行き交う“時間の奪い合い”から一転、日比のドロップショットを機に、高さを用いた“空間の奪い合い”になる。前に出てたクルム伊達が、やはりネット際で待ち構える日比の横を抜こうとするも、これに飛びついた日比は、相手の頭上を抜くロブボレーを打ち返す。必死に背走し打ち返したクルム伊達の打球は、ベースラインを越えていった。日比は両手を高々を掲げ、文字通り「夢にまで見た」勝利の空気を全身で吸い込んだ。

多くの観客の前でクルム伊達を破った日比は、ファンのサインや写真攻めに合い、その一つ一つに丁寧に応じていった。どうしても勝ちたかった相手を破ったことで、彼女は自らのプレーと名を、日本のファンに印象付けたことだろう。それでも試合直後、日比は既に表情を引き締めると、浮かれることなくきっぱりと言った。

「まだまだこれから。1回戦を勝っただけですもの」。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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