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プレイバック・テニス取材記(16年夏):マイアミOP4回戦進出の尾崎里紗、ブレーク前夜のありふれた日

内田暁フリーランスライター
写真は、2016年8月の全米OP予選時の尾崎里紗

※現在開催中のマイアミオープンは、グランドスラムに次ぐ格付けの大会。その群雄割拠のトーナメントで、22歳の尾崎里紗が、予選を突破し4回戦に勝ち上がっている。

この記事は、昨年夏に急成長の兆しを見せはじめた彼女を取材し、年末ごろに書いたもの。ただ諸々タイミングや都合が合わず、発表の機会を失っていました。尾崎選手が躍進中のこの機会に、一部加筆修正してこちらに掲載させていただきます。

■虚構の孤高■

どこか、近寄りがたい選手――。

十代の頃の尾崎里紗は、そんな雰囲気をまとっていた(と、勝手に個人的に感じていた)。

尾崎はジュニア時代から、日本の同世代の中でトップを走ってきたアスリートだ。彼女の同期には才能豊かな選手が揃い、生まれ年から“94年組”と呼ばれている。だがジュニア時代の彼女はその一団からも、やや距離を置いていた。武器は、スピンを掛けたダイナミックなフォア。そのような攻撃的なプレースタイルや精悍な見た目もあいまってか、彼女には“孤高”のイメージがつきまとった。

最近になってそのことを本人に伝えると、「ジュニアの頃のことですか? だったらそれってきっと、コーチのせいですね」と柔らかな関西弁を鳴らし、屈託のない笑みを浮かべる。

「コーチからは、他の子たちと、あまりつるむなと言われていたので」

それが、彼女の答えだった。

もちろん指示したコーチには、それ相応の道理と言い分がある。

「あの子、コートを離れると、完全に普通の女の子になっちゃうんですよ」

10歳から尾崎を見ている川原努コーチは、日に焼けた顔に渋い笑みを浮かべて証言した。

同世代の他の選手たちは、日頃は仲の良い友人だが、一たびコートに立てば対抗心を露わにする。現に尾崎と同期の日比野菜緒や穂積絵莉は、互いに互いを「一番の友人で、一番負けたくないライバル」と断言することをはばからない。しかし尾崎は、そのような同期への競争心を表に出すことは滅多にない。それどころか、「食事や趣味など、何に対してもあまり興味や執着心が沸かなくて……」と苦笑いする。「リラックスすることや、気持ちの切り替えが下手」というのは、彼女の中で小さなコンプレックスにもなっていた。だからこそコーチは、半ば無理やりにでも、闘争心の芽生える環境を作り出した。“孤高”のイメージは、それとは対極に位置する彼女の本質を覆い隠すために作られた、ある種の虚像だったのだ。

ただし“孤高”は虚像でも、彼女には小学生時代から一貫して変わらず、光を放つものがある。

「あの子の、どこに可能性を感じたか……というのは、良く聞かれるんですが……」

10年以上前の日に想いを巡らせる川原は、しばし言葉を区切った後に、断言する。

「目、なんですよ。あの子は、がんばれる目を持った子だった」。

10歳の少女の目を見て「がんばれる子」と看破した、コーチの目もまた慧眼だったのだろう。その後の尾崎は小学6年生時に全国小学生大会で頂点に立つと、以降、国内の年齢別タイトルを総なめにする。17歳でプロ転向し、19歳時には得意のフォアで攻めるテニスで上位選手をも打ち破り、世界ランキングも一気に180位台まで上昇した。

しかしその後、彼女は壁に当たる。我武者羅で上位勢に向かっていた時の幻影を追い、その一方で、支援してくれている人々の想いに応えたいとの過剰な使命感が、少しずつ手元を狂わせた。性格的にも、決して器用なタイプではないのだろう。逆転負けを喫した試合が尾を引いて、リードするとむしろ恐怖を覚た時期もある。粘り強く戦うべきか、あるいは攻撃力を高めるべきか……プレースタイルに関しても、試行錯誤を繰り返した。ただそんな彼女が恵まれていたのは、その実直な姿勢で引き寄せた、人々の縁だろう。2015年末には、選手仲間伝手に紹介されたメンタルコーチに師事し、まずは「自分を好きになること」から始めた。フィジカルトレーナーと体力強化にも励み、身心のスタミナに自信を持つようにもなる。

突き破れずにいたトップ100の壁をついに崩したのは、昨年10月のオーストラリア。ITFトーナメント(国際テニス協会主催のツアーより下部レベルの大会郡)2大会で連続優勝し、長年目指した地位へと這いあがった。この時の彼女は、決してテニスの状態が良かった訳ではなかったという。それでも、「何が何でも勝つという、ジュニア時代のような我武者羅さがあった」ことを、川原コーチは喜んだ。きっと彼が10年以上前にほれ込んだ、あの“目”で戦っていたのだろう。

日本に居る時の尾崎は、自宅から徒歩15分ほどのロイヤルヒル'81テニスクラブに、今でも歩いて通っている。クラブハウスの入口にはウェアなどを売るショップがあり、その奥には小さな応接室があり、部屋の壁には、尾崎の活躍を伝える新聞や雑誌の切り抜きが貼られている。

その慣れ親しんだテニスコートで彼女は、第二の尾崎を目指す有望なジュニアとボールを打つ。

そんな彼女の練習風景を見ていたら、見なれぬ傍観者の姿を不審に思ったのだろうか、小学校低学年くらいの男の子がたずねてきた。

「新しく来た人? 何してるの?」。

取材だよ……そう端的に応えると、男の子はパッと顔を輝かせて尾崎を指さし、明るい声をあげた。

「じゃあリサちゃん、知ってる? 凄く強いんだよ!」

もちろん、知ってるよ。

きっとこの男の子は、リサちゃんがどれほど“強い”のか、まだ正しく理解してはいないかもしれない。でも彼たちにとってリサちゃんは、このクラブで最も上手でとっても強く、今でも変わらぬ自慢のお姉さんなのだろう。

そのことが、なんとも微笑ましく思えた。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

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