病気にかかるのは悪いこと?病児保育にまつわる誤解。
「病児保育」にまつわる誤解
「37.5度を超えると、保育園を利用できない!?親子を助ける病児保育とは。」では、「病児保育」についてご紹介をしました。今回は、その「病児保育」にまつわる誤解について取り上げていきます。
「子どもが体調不良のときに、親に代わって適切にケアと保育を行うこと」。
これが一般に認知されている病児保育の定義です。保育関係者の中には「健康な子どもを預かること」が標準的な保育であり、「病気の子どもや障がいのある子どもを預かること」は特殊な保育である、という考え方を持つ人もいます。しかし、ここでそもそも「保育」とは何なのか、振り返って考えてみましょう。
保育とは「子どもが現在を最も良く生き、望ましい未来をつくり出す力の基礎を培う」ことを目的とします。
では、保育における「子ども」とは、どのような存在なのでしょうか?
たとえば、「昨日は健康な状態でいた子どもが、今日は風邪をひいて熱を出した」とすると、その子は現時点において「病児」になります。やがて熱が引いて翌週に平熱に戻れば、その子は「健康児」に戻ります。健康児と病児、その境目をいつも行ったり来たりしているのが通常の子どもの姿だと言えるでしょう。
一方、体または精神の発達に障がいのある子どもは「障がい児」と認められます。そして、障がい児も、元気な「健康児」であるときもあれば、病気になって「病児」になることもあります。
このように、子どもというのは多面的な存在です。保育の定義における「子ども」は、あらゆる状況にある子ども全てを含んでいます。保育の対象である子どもは健康児だけではありません。全ての子どもに対して、現在を生きる力を育み、未来を作っていく力を培っていくのが保育なのです。
子どもの様々な状況に対応することが、本来の保育の在り方だと言えます。つまり、「保育そのものの中に、病児保育が含まれている」と考えられるのです。病児保育は保育の欠かせない一部であり、現代社会に必要とされる社会の仕組みであると言えるでしょう。
病気は「悪い」ことか
私たちは「健康」「不健康」という言葉を使います。しかし、先述したように一人の子どもについて「健康」「不健康」と区別するのは難しいことです。健康な時もあれば熱を出す時もあるというように、子どもは動的な存在です。「健康」「病気(不健康)」とは、状態を表す言葉であり、子どもそのものを定義づけるものではありません。ボールがくるくると回りながら坂道を上っていくように、健康と病気を交互に経験し、日々成長していくのが子どもなのです。
「病気は悪いこと」という見方についても、もう一度考えてみましょう。子どもは病気になることで体の中に免疫を作っています。免疫とは体を守る仕組みです。子どもは生まれてから半年の間は胎内にいた時に母親から貰った免疫を引き継いでいますが、半年が経過するとそれが薄らいでいきます。その後はゼロから自分の免疫を作っていかねばなりません。
人の体は、病原菌が入り込んで体に悪影響を与えることで、初めてそれが病原菌だと認識し、それに対抗するために免疫を作り出します。従って、病気になるという経験を通して免疫が作られる、と言っても良いでしょう。病気は悪いことではなく、人間の成長の過程なのです。
そうした意味から、病児保育を行う人は子どもの成長の過程を見守り、手助けをする伴走者に他なりません。「具合の悪いときに預けられる子どもはかわいそう」という考え方は、あてはまらないのです。
つまり病児保育は、子どもが病気の際にもよりよく生きることを助け、成長の過程に伴走することなのです。
●参考文献
出版社:英治出版 (2013/1/11)