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異国の地で闘い続ける元Jリーガーの夢、挑戦者・大久保剛志「タイと日本をつなぐ存在になりたい」

浅野祐介OneNews編集長

サッカー選手として10年目のキャリアを、大久保剛志は異国の地、タイで過ごしている。バンコク・グラスFCのメンバーとして迎えた2年目のシーズンはケガにも悩まされた。

「苦しい時間があって、そこを乗り越えたら必ずいい時間がくる」

10年前には「想像もしなかった」というタイで挑戦の日々を過ごす中、大久保剛志はひとつの夢を抱くようになった。それは「タイと日本をつなぐ存在」になること。バンコク・グラスFCのホームスタジアムであるレオ・スタジアムで、彼の思いを聞いた。

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「危機感は変わらず持ち続けています」

――タイ・プレミアリーグで迎えた2年目。どんなシーズンになっていますか? ケガの問題もありましたね。

率直に言えば、苦しい状況が長いシーズンだと感じています。1年目も、競争という意味で本当にギリギリのところでやっていましたけど、そこでうまい結果が出て、昨シーズンは年間を通して良かったという印象でした。今は逆で、ギリギリのところで良くない結果になり、長い間、苦しい時間が続くなと。でも、この苦しい時間があって、そこを乗り越えたら必ずいい時間がくると思っているので、そこを目指して頑張っているところです。

――コンディションのほうは?

タイに来て初めて長期的なケガをしてしまって、その影響でコンディションを落とす時期もありました。ただ、ケガの回復後は体のコンディションも良くなっています。

――今シーズンのバンコク・グラスFCについて教えてください。昨シーズンから変わったところは?

大きく変わったのは、チーム以上に、リーグのレギュレーションの変化です。去年まで、タイ・プレミアリーグの外国人枠は7名。チームの保有が7名で、試合ごとにそのうち5名を登録できたんですが、それが今シーズンは外国人枠自体が5名になり、2枠減りました。それが大きな変化ですね。あとは、監督が変わったことと、もちろん、選手も多数変わっているところがあります。

――外国人枠のレギュレーションは、その年ごとに変わったりするものなんですか?

そうですね。ただ、もう変わらないと思います。というのも、僕が聞いた話では、ACL(AFCチャンピオンズリーグ)を見据えてのレギュレーション変更ということなので、これからさらに変わることはないのかなと感じています。

――昨年インタビューをさせてもらったとき、下部リーグ含めると、日本人選手が約60名プレーしているとうかがいました。今年は少し減ってきているようですね。

減りました。今は50名くらいになっていると思います。レギュレーションの変更、外国人枠の問題が確実に響いていると思います。外国人選手にとっては間違いなく厳しくなっていますね。

――1年目を終えたときに話を聞いた際、大久保選手は「危機感」という表現を用いていました。助っ人という形で加わる環境での危機感。2年目を迎えて変化はありましたか?

危機感はずっと持っています。というのも、タイ・プレミアリーグには半年で大きく変わる“節目”があるからです。たとえ1年契約を結んでいても、半年で切られるケースがあります。今シーズン、僕を含めて外国人選手は5人でスタートしましたが、ハーフシーズンで2人がチームを去り、また新しく2人が加わりました。前半戦はハーフシーズンに向けて勝ち残ること、後半戦は次のシーズンに向けて勝ち残ること、そういう形になるので、気を抜く時間はないし、もちろんケガをする時間もない。そういった点で、僕はすごくもったいなかった。運良く後半戦のメンバーとして戦っていますが、危機感は変わらず持ち続けています。

――バンコク・グラスFCでのポジション争いについて教えてください。

基本的に5名の外国人枠の中で、1人がDF、他が前線の選手になります。構図としては昨シーズンと同じで、僕はどうしてもライバルの多いほうで戦うので、ずっと試合に出られるかというとそうではなくて、常にそのメンバーとの争いになって、もちろんタイ人の選手にも勝たなければならない。そういう難しさ、厳しさはありますね。

――ポジション的にも数字でわかりやすい結果が求められますからね。

そうですね。もろに数字を求められるので、今シーズン、ケガで試合に出られなかった部分も素直に受け止めて、残りの試合に懸けるしかないと思っています。

――コミュニケーション面、言語の慣れはいかがですか? 1年前は「言葉はまだまだ」と言っていましたが。

正直、まだ自信を持って「成長しました!」とは言えないです(苦笑)。でも、1年半くらい一緒にいることで、チームメートやスタッフがある程度、自分のことをわかってくれているので、言わなくても伝わる部分もありますし、僕にとって居心地のいい環境を作ってくれているところは本当にありがたいですね。言葉以外でも、自分の考えや思いが昨シーズン以上に伝わる環境になっています。

――確かに、今日、スタジアムに来てみて、皆さんとても気さくだと感じました。

本当にタイの方は優しいので、とてもありがたい環境だなと思います。

――ベガルタ仙台時代、湘南ベルマーレ戦でプロデビューを飾ってから10年。ここまでのキャリアを振り返るといかがですか? 当時と変わったところ、変わらないところは?

変わったところとしては、やっぱり、高校上がりの若いころは「人の話を聞けない自分」がいたなというのがありますね。なぜ、そこまで頑なに自分の意見を通していたのか、今はもうわからないですけど、あのときもっと柔軟な自分がいたら、もっと違う世界があったのかなと。でも、少し遅いかもしれないけど、今、それがわかって、わかってきたからこそ、もしかしたら結果もついてきている形でサッカー選手として10年目を迎えられたのかなという部分もあるので、そこは変われたのが良かったと感じています。

――なるほど。では、変わらないところは?

変わらないところは、僕は点を取る選手なので、そこに関しては「負けない」とずっと思っているし、今シーズン、結果はまだ出ていないですけど、波があっても、そこを乗り越えたら「絶対に取れる」というのが今までもあって、取れるシーズンと取れないシーズンはあるけど、それを乗り越えたら必ず取れるので、自分は取れる、その強みは昔も今も変わっていないですね。

――この10年はどうでしたか、長かったですか?

必死すぎて……わかりません(笑)。毎年、必死だったので、気がついたら10年経っていたという感じです。最初の目標は30歳までやりたいと思っていて、それが目前まで来ていて、それは本当に幸せなことですね。本当に、あっという間の10年という感じです。

――10年前の当時からすると、10年後の今の姿は想像と違っていたかもしれませんね。

もちろん、タイに来ているとは想像もしなかったですし、こういう生活を送っているというのも考えられなかったです。そのときの一瞬一瞬を必死に生きてきた、だからこそ、今があるのかなと思いますね。

「大きな舞台で日本に帰りたい」

――今季からプーマ ジャパンのサポートが始まりました。

もともと、プーマはずっと大好きで、サポートしていただきたいなと思っていたところに、ご縁があって。本当にうれしく思っていますし、とても感謝しています。

――タイにプーマの拠点は?

タイにはなくて、アジアでは日本とシンガポールになると思います。

――長谷部誠選手、川島永嗣選手など、プーマのブランドコンセプトとしても、人間的な部分というか、特に日本人の選手と契約する際は人間性をとても重視している印象があります。

そうなんですか? 僕がそれに当てはまっているのかはわかりませんが(苦笑)、確かに海外で活躍するプーマの日本人契約選手は日本を代表する選手ばかりで、僕にはとても手が届かない存在だと思ってしまうようなところに今回の話をいただいたので、本当に光栄です。プーマさんが協力してくれることに対して、僕も貢献していかなければと思いますし、僕はタイを中心にアジアからプーマの魅力を発信していきたいと思っています。

――着用しているモデルは?

スパイクは「エヴォスピード」です。すごく軽量で、履き心地が良くて、とても気に入っています。デザイン性もどんどん良くなっているし、タイの選手でも、バンコク・グラスFCの選手とか、プーマを履く選手は少しずつ出てきていて、その光景を見ていると自分のことのようにうれしく思います。

――ところで、今年5月にはセレッソ大阪との親善マッチが日本で開催されました。タイのクラブのメンバーとして来日し、Jリーグのクラブと対戦。どんな思いでしたか?

タイのチームに決まったときから、「日本で試合をすることはもうないのかな」と思っていたところが、正直、ありました。それが、まさか日本に帰って、Jリーグのチームと試合をするなんて……素直にうれしかったのと、あの試合には、仙台や山形から応援に来てくれた人たちがいたんです。その人たちの前でプレーできたのが本当にうれしかったですね。今度はもっと大きな舞台で日本に帰りたい、そんな新しい目標ができました。

――ACLなど、チャンスはありますね。実際に対戦してみて、あらためてJクラブのレベルについて印象はいかがでしたか?

ボールをどっちに出すかといった判断のスピード、パスのスピードなど、一つひとつを取り上げていくと、やはり差があります。でも、だからといって、すべての面でやられたかというと、うちのチームもできていたし、スコア的には勝利(1−0でバンコク・グラスFCが勝利)しました。もちろん、組織的にはあちらのほうが上ですけど、個の能力としては勝っていた部分もたくさんあって、これから組織力を高めていけば、また日本のチーム、Jリーグのクラブとやっても面白い試合になるんじゃないかという手応えを、みんながつかみましたね。僕だけじゃなく、タイ人のメンバーが手応えをつかみました。「自分たちがやってきたことは間違ってない」って。ましてや、相手がすごいチームというイメージを持っていたセレッソだったので、当然、リスペクトもしていましたし、そんなクラブと試合をして、いい勝負ができたというのは「自分たちは間違ってない」という自信につながった部分があって、僕もうれしかったです。収穫は大きかったですね。

――茂庭(照幸)さんとの再会もありましたね。

あれはうれしかったですね。事前に「今度行きます」って連絡をしていて、モニさんもその試合に出るのを聞いていたので、「楽しみですね」って。試合前日、みんなでショッピングしたんですけど、そこにモニさんも顔を出してくれて、(バンコク・グラスFCの)みんなモニさんのことが大好きなので、「モニ! モニ!」って(笑)。今でも、「モニは元気か?」ってよく聞かれます。

――2年目でクラブに慣れた一方、まだ戸惑うような場面はありますか?

たぶん、日本に住んでいたときの感覚で見ると「ちょっと待って、ありえない!」と感じることもあると思いますが(笑)、「このチームは最後にはしっかりやってくれる」という信頼があるので、多少、日本と違っていたり、例えば手続きなどが遅かったりしても、戸惑うことはなくなりました。それは、信頼関係があるからです。最後は僕のことを守ってくれる、すべてやってくれるというのがあります。本当に、今は全然問題がないですね。

――加入2年目で信頼関係ができあがり、動じることもなくなってきたということですね。練習の1時間前に選手の入りをチェックするなど、実際に訪れてみて、しっかりとしたクラブだという印象を受けました。

本当にしっかりしています。逆に、タイで他にこういうチームがあるかというと、僕が話を聞いているかぎり、たぶんないと思います。時間にも厳しいし、練習もハードワークするし、タイでは珍しいケースなのかもしれません。僕にとってはとてもありがたい環境です。

――アジアの舞台を見据え、チームを強くしようと真剣に考えているクラブですね。

そうですね。先ほどのセレッソの話に戻りますが、あのとき、うれしかったのが、メディアの方から「タイのチームとは思えない」と言われたことなんです。「ボールを奪われた瞬間の切り替えの守備がとても早い」と言ってもらいました。アジアのクラブは、ボールを奪われたら止まってしまうチームも少なくないですけど、奪われた瞬間に3人で囲むとか、そういったところを評価してもらえて、やっぱり他のタイのチームとは違うのかなと実感できました。

――いいチームに入りましたね。

はい、感謝しています。リーグ戦でもいい位置につけているので、このまま上位で終われればと思います。

「『震災』への思いはずっと自分の中にある」

――企業のCSR活動にも参加されているようですね。

自分のできることは協力したいという思いが昔からあって、バンコク・グラスFCのスポンサーでもあるUmay+さんがCSR活動をされていて、「ぜひ協力させてください」とお願いして一緒に活動させていただいています。子どもたちと触れ合うことで自分もいろんなものをもらえるし、子どもたちに何かを感じてもらえたらうれしいし、僕にとってすごく大事な場というか、活動ですね。機会があれば、どんどんやっていきたいですし、そこはチームもスケジュールを調整してくれたり、全面的に協力してくれています。

――12月には日本の被災地での復興イベントも予定されているそうですね。

12月20日に宮城県の岩沼市陸上競技で、子どもたちを招いてサッカースクールを行う予定です。これまで「震災」への思いはずっと自分の中にあって、自分にできることは本当に小さなことですけど、地元に貢献したい、協力したい、少しでも喜んでもられたらと思って毎年活動していました。ただ、タイに来てからは、「すぐに」というのも難しくなってしまい、日本に帰る機会も限られてしまうので、去年のオフシーズンに始めたのがボールをプレゼントすることです。バンコク・グラスFCにも協力してもらって、僕の出身地である岩沼市に「体育の授業でこのボールを使ってください」と送りました。形は変わっていくかもしれませんが、復興支援への働きかけは、継続的にちゃんとやっていきたいと思っています。

――オーナーとしてバンコクに「mame plus cafe G」をオープンしました。カフェオープンに至った経緯を教えてもらえますか?

まず、何より不二製油さんとの出会いが大きいです。不二製油さんのクオリティの高い豆乳の話を聞いて、僕も大豆の力には以前から注目していて、ものすごくエネルギーになると思っていたので、なるべく大豆を取るというのは習慣づけていたんです。そんなところに今回のお話を聞いて、おいしく摂取できて、エネルギーになって、しかもヘルシーというのは、今のタイのニーズに合っている要素だと感じたし、スポーツ選手にも適している。そんなタイミングで商品を紹介していただいて、ものすごくいいものになると感じたというか、この製品を提供していこうかという話をいただいて、いいものを提供していただければというアイディアがあって、ぜひ協力したい、僕もやってみたいということになりました。もともと僕が大豆好きだったのもきっかけのひとつですね。納豆もめっちゃ好きですし。

――タイでは大豆とか、それこそ納豆とかは食材として手に入りやすいのですか?

豆乳、ソイミルクはあるんです。でも、豆乳のクオリティでいうと「?」がついてしまうところもあるなかで、不二製油さんの豆乳は本当に素晴らしいものなので、ぜひとも広めたいと思いました。食べて体をきれいに、食べて健康に、というのがコンセプトです。

――開店前日、お店に伺いましたが、大久保選手と周囲のつながりというものを感じました。

皆さんに協力してもらって、僕も自分の店を持つというのは人生初めての経験だったので、本当に勉強になった部分もあるし、みんなに助けられてここまで来ているというのが素直な気持ちですね。

――経営者、起業家としての動き出しはセカンドキャリアを見据えてのものですか?

そうですね。ただ、もちろん今はサッカーに集中して、それと同時に、そういった勉強をしながらセカンドキャリアにいかせたらいいと思いますが、そこはいろんな方々に助けてもらいながら、サッカーに集中できる環境を作っていただきながら、うまくバランスを取って進めていきたいと思っています。

――本業のサッカーとのバランスのとり方というのは、周りのサポートによって出来上がっている部分が大きいですか?

まず、サッカー選手としての結果が大切です。結果もそうですし、少しでも疎かにしたらすぐ取り戻せる世界ではないので、周囲の方に助けてもらいながら、サポートしてくれる方々に感謝しながらサッカーを続けていけば、逆にその人たちをサポートできるのかなと、違った形で恩返しができるのかなと考えています。なので、今はサッカーに全力を注ぎながらやっていきたいですね。

――サッカー選手として、さらにはその先のセカンドキャリアを含め、今後のビジョンを教えていただけますか?

まず、今が「ようやくスタートした」っていう形なんですけど、大きい目標として、いつかタイと日本をつなぐような存在になりたいと思っています。もちろん、そんなに簡単なものではないかもしれませんが、そういう思いを、どう形にしていくかというのが大切で、難しいからこそチャレンジする面白さ、意味があると思っています。

――その目標に向けて選手としてできることと、セカンドキャリアとしてできることがそれぞれある、ということですよね。ただ、セカンドキャリアの準備という部分には、ある意味、リスクも生じると思います。

それは理解しています。新たなことにチャレンジすると、うまくいっているときはいいですけど、そうでないときは絶対に目につくと思うんですよ。どうしても、「こうだからうまくいってない」、「こうだから結果が出ていない」ってことになるんです。でも、それはもう、しょうがないと思っています。それを恐れていたら、絶対にチャレンジできないし、何も可能性が広がらない。失敗したときに何かを言われることは覚悟しているし、それをいかに何も言われないようにするか、それはこらからの僕の頑張り次第だと思うので。失敗のリスクを恐れていたら何もチャレンジできないと考えたので、より強い自分になりたい、より成長したいという思いで、いろんなチャレンジをしようと思っています。

――自分で自分にプレッシャーをかけるというか、何かを失敗したときに「サッカーと違うことをしているからだ」と言われるリスクを消すためにも、逆に一層サッカーに専念できる、そういう側面もあると思いますし、そこは恐れずにチャレンジしてほしいと思います。

ありがとうございます。もちろんサッカーを疎かにするつもりはありませんし、自分にはサッカーしかない。その思いで、自分にできることを全力でやります。

「大好きなサッカーでヒーローになりたい」

タイのサッカーについて聞かせてください。ここ数年、タイ代表の強さが注目されています。

今のタイ代表は本当に強いです。ワールドカップ予選でも日本とあたってほしいですね。今、タイ国内ではサッカー人気がすごく高まっていて、日本で言うところの国立競技場のようなスタジアム、4万人ほど入るスタジアムが代表戦では満員になりますし、必ずテレビ中継されています。それくらい熱がありますね。

――タイ代表の強さの理由は?

今、タイ代表は若い世代にシフトチェンジしていて、昨年くらいから、オリンピック代表世代を一気にA代表に押し上げたんです。若手への大胆な刷新。キャティサック・セーナームアン監督の世代交代策が、うまく歯車がかみ合って、順調に強化が進んでいます。だいたいのメンバーが26歳以下ですね。

――タイ・リーグへの挑戦、タイでの生活や出会いなど、タイという国で大久保選手が手に入れたものをあらためて教えてください。

日本でもたくさん素敵な出会いがあって、僕は東北でしか過ごしていないですけど、そこでもたくさんの出会いがありました。ただ、ある意味、それ以上に、タイでのこの1年半というのは本当に素晴らしい出会いの連続で、それが「タイに来て良かった」という思いにもなっているし、この先のビジョンも自分の中で少しずつ見えてきていることにもつながっています。一番は、やっぱりサッカーが楽しい、ということ。そして、人との出会い。この2つがタイで僕が手に入れたものだと思います。

――年数で言えば、当然、日本での日々のほうが長いはずですが、ある意味、濃さというか、大久保選手にとって第二の故郷のようなところがタイにはあるように感じます。

濃さでいうと…今まで日本にいた頃より、本当に濃い1年9ヶ月ですね。人との接し方にしても、今までなら「自分ではこうだ」としていたところが、「いや、そうじゃないんだ」と指導してくれる人がたくさん周囲にいるので、初めて「ああ、そうだったんだ」と気づかされるところもありますし、ものの伝え方ひとつとっても「こう言ったほうがよくなるよ」というようなことまで、僕のことを思ってくれているからでしょうし、そういったアドバイスをしてくれる人がいること、それが僕の本当の強みなのかもしれません。日々勉強というか、少しずつ成長できているのかなと思っています。

――あらためて、タイでの日本人のコミュニティってすごいんですね。カフェに伺った時に感じました。

はい、みんなエネルギーがありますね(笑)。タイはすごいですよ。僕も毎日が刺激の連続です。

――その中で、今現在の「大久保剛志」という選手の立場で周囲に返していけるものというのは、サッカーを通じて、という部分が一番大きくなりますよね。

はい、僕はこれを一番伝えたいんですけど、僕は全然“スーパースター”じゃないし、“うまい選手”でもない。でも、どうして生き残れるのかっていうと、サッカーに対する姿勢、“全力でやる”という部分だと思っています。僕はサッカーに懸けています。その姿勢から感じてもらえる部分というのが少なからずあるのかなと思っていますし、チームの監督だったり、見てくれているサポーターだったりにその姿勢が伝わって、今の僕がいると思うので、そこは変な勘違いをせずに、とにかく僕の頑張る姿、一生懸命な姿を見てもらって、“全力でやる自分”を変えずに貫きたいと思います。

――10年たっても、サッカーに対するベースの部分は変わらないと。

変わらないですね。本当にサッカーが好きで、もっとうまくなりたい、もっと点を取りたい、それだけですね。それこそ、大好きなサッカーでヒーローになりたい。それだけです。

今回、バンコクを訪れたのは、インタビュー中で彼が語っている「mame plus cafe G」のオープン祝いを兼ねてのこと。カフェのオープニングレセプションで、大久保剛志は周囲への感謝をこう表現した。

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「タイに来て、1年9カ月が経ちます。僕にとってタイは、サッカー選手としての新しい夢を切り開いてくれた場所になりました。そしてタイでは、たくさんの出会いがありました。mame plus cafe G のオープンも、その出会いのたまものです。不二製油さんの多大なご協力のもと、今日のオープンを迎えることができました。本当にたくさんの方の協力があり、この日を迎えることができ、感謝の気持ちでいっぱいです」

「僕はタイに来て、新しい夢ができました。それは、いつか自分がタイと日本をつなぐ存在になることです。このmame plus cafe Gもその夢のひとつです。今日が新しいスタート。まだまだ未熟な自分ですし、課題もたくさんありますが、より良いお店にしていけるように、一生懸命努力していきたいと思います。そして、これを機に、よりサッカーにも精進していきたいと考えています」

「僕にたくさんのものを与えてくれたみなさん一人ひとりに、少しでも恩返しができるよう、mame plus cafe Gのオーナーとして、そしてサッカー選手として、より一層の努力を重ねていく気持ちですので、これからもよろしくお願いいたします。今日は本当に、ありがとうございます!」

様々な出会いへの感謝と新たな夢…大久保剛志の挑戦は続く。

OneNews編集長

編集者/KKベストセラーズで『Street JACK』などファッション誌の編集者として活動し、その後、株式会社フロムワンで雑誌『ワールドサッカーキング』、Webメディア『サッカーキング』 編集長を務めた。現在は株式会社KADOKAWAに所属。『ウォーカープラス』編集長を卒業後、動画の領域でウォーカー、レタスクラブ、ザテレビジョン、ダ・ヴィンチを担当。2022年3月に無料のプレスリリース配信サービス「PressWalker」をスタートし、同年9月、「OneNews」創刊編集長に就任。

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