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一党独裁体制と人心の荒廃:中国を見つめ直す(2)

麻生晴一郎ノンフィクション作家

中国に批判的な人の中には「個人はいい人」と言う人も結構いる。確かに友人同士では礼儀正しいし、同郷会など私的ネットワークも信義を重視する。そんな中国でなぜかくも街が汚染し、人心の荒廃が叫ばれるのか?

社会空間が政府の号令なしには動かず、身内で発揮される倫理が機能しなくなるのが一党独裁体制の姿である。社会空間とは町、村、学校、職場、家の前の道路など、「外」と呼べるいっさいを指し、日本で想像するより大きい。組合、ボランティア、住民の自治会など私的でない社会活動が中央・地方の大小さまざまな政府との関係を抜きには成り立たず、いかなる方針であれ、政府の方針に準拠せねば何一つ実行できない。

社会全体にトップダウン方式が浸透しているわけだが、それでも当の政府がきちんとした号令を掛ければ、うまく成り立つかもしれない。しかし、政府は「権力の市場化」(何清漣)を押し進め、環境、貧困、汚職など数多くの問題が放置されている。ここに人心の荒廃の原因がある。

地方政府は美辞麗句を並べた啓発ポスターを掲げるが、その周囲はゴミの山だ(河南省)
地方政府は美辞麗句を並べた啓発ポスターを掲げるが、その周囲はゴミの山だ(河南省)

近年、放置された問題に自発的に取り組む民間団体やボランティアが現れた。こうした政府以外の社会主体は注目すべきものだが、それも政府の管理や規制から逸脱できない。

売春婦の人権問題に取り組む葉海燕の拘束が難しさを物語っている。広西チワン族自治区博白県で展開していた彼女の活動は、警察への批判を招き、地元政府にとって煙たい存在に違いなかった。

5月28日、彼女は博白から遠く離れた海南省で、小学校校長が教え子に淫行を働いた事件を抗議した。この事件は当初、小学生の保護者が警察の脅迫を受けるなど校長側に有利な方向で片付けられそうだった。だが、著名ブロガーでもある葉海燕が「校長、やるなら私とやって」などと書いたプラカードを掲げてデモ活動を行ない、それがきっかけで事件の処理への批判が殺到した。

2日後、彼女は博白の警察に拘束された。全く別の傷害の容疑だが、真相は定かでない。よその海南省でのデモ活動を警察が政治利用して拘束した可能性が大きい。一方、彼女の拘束により淫行事件はますます注目され、校長たちは予想より重い強姦罪で起訴された。

一連の展開は、民間の活動が政府の思惑一つで簡単に潰せること、そして校長の淫行という教育倫理の問題が、教育問題としてでなく政治化することでしか解決されえないことを示している。中国の社会で公正さや倫理が発揮されないのは心がけと言うより、伝統も色濃く反映した社会体制の問題だと考えている。

ノンフィクション作家

1966年福岡県生まれ。東京大学国文科在学中に中国・ハルビンで出稼ぎ労働者と交流。以来、中国に通い、草の根の最前線を伝える。2013年に『中国の草の根を探して』で「第1回潮アジア・太平洋ノンフィクション賞」を受賞。また、東アジアの市民交流のためのNPO「AsiaCommons亜洲市民之道」を運営している。主な著書に『北京芸術村:抵抗と自由の日々』(社会評論社)、『旅の指さし会話帳:中国』(情報センター出版局)、『こころ熱く武骨でうざったい中国』(情報センター出版局)、『反日、暴動、バブル:新聞・テレビが報じない中国』(光文社新書)、『中国人は日本人を本当はどう見ているのか?』(宝島社新書)。

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