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贅沢を知らずに年老いた母親に、私は何をしてやれるのか

渥美志保映画ライター

今回は是枝裕和監督の最新作、『海よりもまだ深く』をご紹介します。ある「ダメ男」が「ダメ」から一歩踏み出そうとするまでを描く物語です。是枝作品を見て毎回思うのは女性の描き方が本当に上手いなあってこと。この作品も阿部寛が演じるダメ男が主人公ですが、何が面白いってこの人を取り囲む女性たちが本当に生き生きとしているんですねー。特に樹木希林さん演じる母親は昭和生まれの世代には本当にリアルで、「泣かせ」は全然ないんですが、自分の母親を見ているような気持になる人もたくさんいるんじゃないかなー。というわけでいってみましょう。

団地の小さい風呂に収まる阿部寛。名場面。
団地の小さい風呂に収まる阿部寛。名場面。

まずは物語。主人公・良多は、作家を目指して文学賞を一度獲得したものの、その後は鳴かず飛ばずで碌な稼ぎもなく、今は「取材がてら」と言い訳しながら探偵社に努めていますが、その実態は社長に隠れて依頼者と裏取引――例えば浮気調査の対象に、依頼者より先に証拠を見せて、握りつぶす代わりに小金をせびるなど――するわ、そうした臨時収入も含めた収入はギャンブルにつぎ込むわで、金欠になればふらっと母親の元にやってくきて、「別に金はあるんだけどさ」みたいな顔で小遣いを断りながら、母親の目を盗んでへそくりを漁る――という、本物のダメ男です。

ちなみにもうお分かりかと思いますが、小説は「書いてるよ」と言いながら、全然書いていません。

映画は良多のそうした日常を、彼を取り巻く3人の女性たちと共に描いていきます。

一人目は真木よう子演じる元妻、響子。

あのさ、寝トボけないでくれる? な風情の真木よう子
あのさ、寝トボけないでくれる? な風情の真木よう子

響子はまともに働かない良多に愛想を尽かし、数年前に息子・真悟を連れて家を出ています。良多は今は月に一度、真悟と会う約束、その際に養育費を渡す約束になっていますが、最近ではそれもすっかり滞り、それに対してあることないこと言い訳する良多に、響子はうんざりしています。

でも良多のほうはヨリを戻したいと思っていて、響子をコッソリ尾行して新しい恋人(高収入)がいることに、手前勝手に腹を立てたりしています。良多を「愛すべきダメ男」みたいに言う人がいますが(是枝監督も、ラストシーンまでは「愛すべき男」として描いていないと思うんですが)、ダメ男っていうより最低男でなんですね。

こうした観客の思いを真木よう子が吸い上げ、いつもの強気な男前っぷりで「ふざけてんの?バカじゃないの?いつまでガキみたいなこと言ってんの?」とこてんぱんにします。

さて二人目の女性は、小林聡美演じる姉・千奈津。樹木希林さんと並ぶと親子としか思えない絶妙なキャスティングなんですが、この人がまた「姉」として素晴らしくリアルな存在です。

こういう母と娘の場面も、めちゃめちゃリアルです。
こういう母と娘の場面も、めちゃめちゃリアルです。

ことあるごとに母親のすねをかじろうとする良多を牽制し、母親に「気をつけなきゃダメよ」と警報を発してはいますが、基本的には2枚も3枚も上手で、良多の考えていることは「隅から隅までお見通し」。

それを物語るあるエピソードが本当に爆笑で、これがもし自分の恋人や夫なら絶対に許せないと思うんですが、そこは弟、こらしめかたが「ビンタで横っ面を張り倒す」という感じではなく「デコピン」とか「膝カックン」みたいな、独特の愛情と余裕があります。

良多のダメっぷりに「信じられない!」と頭にくる響子(や観客)の怒りが、「人間として許せない」というレベルまでいかないのは、案外この手ごわくもユーモアたっぷりの姉の存在があるからかもしれません。

そして3人目が、樹木希林演じる母親・淑子です。夫(良多の父)を亡くしたばかりの母親は、夫にお金で苦労させられていまだに団地で家賃を払う生活で、その夫が死んでも“永遠の不発弾”のような甲斐性のない息子に、少ない年金から小遣いを与えています。

でもそれは盲目的な愛情ではなく、淑子も良多を「やれやれ、いつになったら大人になるやら」と思っていて、時に軽く尻を叩きながら、それでも「こんな息子になったのも親の責任だし、まあ仕方ないか」とすべて受け入れ、自分のいないところで家探しする良多を見て見ぬふりをしています。

お母さんと、身体がデカい分だけ「ダメ」が目立つ息子。
お母さんと、身体がデカい分だけ「ダメ」が目立つ息子。

この物語が繊細で、なんだか本当に昭和だな、向田邦子ドラマみたいだなって思うのは、淑子が見て見ぬふりをしてくれていることを、良多(と、もちろん観客)が知っていること。その上で見る淑子のつましい暮らしぶり、その中のなんてことのない小さな幸せに、世の贅沢を知らぬまま年老いたその人生に、責任の一端である息子を責めるどころか、下手すれば「お金たらないの?」と虎の子をポンと差し出してしまいかねない姿に、「ああ、こうなんだよな、母親って」という思いがジワジワと心に沁みてきます。

私の心にすごく響いたのは、良多が来た時に「アイス食べる?」と、冷凍庫からグラスに固めたカルピスを出すところ。自分こそ貧乏なくせに、貧乏くせえなあとおもいながらも付き合う良多と、これが一番なのよ、孫は嫌がるけど、あらカチンコチンだわ、とか言いながらつつく場面は、年老いた母親に子供が持つ一言では言い表せない思いが胸にぶわーっと押し寄せてきました。

母親の愛情を「母親の無償の愛!」というような大げさなものとして描かない、何しろ樹木さんの演技が本当にリアル、軽やかで大げさなところがひとつもないので、見た観客全員が自分の母親を投影し、良多のダメさは自分のダメさのデフォルメのように思えてくると思います。

リリー・フランキー演じる社長も、含蓄あるお言葉を
リリー・フランキー演じる社長も、含蓄あるお言葉を

さてラストになりますが、この映画、心に響く名セリフが多い作品でもあります。

響子を諦められない良多に、探偵社の社長(リリー・フランキー)がいうセリフ「誰かの過去になる勇気を持つのが、大人の男ってもんだよ…」っていうのもよかったし、この映画のテーマにもつながる、良多の「そんなに簡単に、なりたい大人になれるわけじゃない」というのもなかなかの名台詞でしたが、私が一番心に響いたのはやっぱり淑子のセリフ。

「幸せってのはね、何かを諦めないと手にできないもんなのよ」。

大人にこそ沁みるセリフ満載ですので、こちらにも注目して映画をお楽しみくださいねー。

『海よりもまだ深く』 公開中

公式サイト

(c) 2016 フジテレビジョン バンダイビジュアル AOI Pro. ギャガ

映画ライター

TVドラマ脚本家を経てライターへ。映画、ドラマ、書籍を中心にカルチャー、社会全般のインタビュー、ライティング、コラムなどを手がける。mi-molle、ELLE Japon、Ginger、コスモポリタン日本版、現代ビジネス、デイリー新潮、女性の広場など、紙媒体、web媒体に幅広く執筆。特に韓国の映画、ドラマに多く取材し、釜山国際映画祭には20年以上足を運ぶ。韓国ドラマのポッドキャスト『ハマる韓ドラ』、著書に『大人もハマる韓国ドラマ 推しの50本』。お仕事の依頼は、フェイスブックまでご連絡下さい。

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