「赤狩り」という社会の集団ヒステリーに、ペンの力だけで打ち勝った男
今回は、今年のアカデミー賞で主演男優賞にノミネートされた『トランボ ハリウッドで最も嫌われた男』をご紹介します。
主人公はハリウッドの脚本家ダルトン・トランボ。あの『ローマの休日』の脚本家なのですが、実はこの作品は当初、別人の名前で発表されていたんです。というのも、トランボは1950年代にアメリカで吹き荒れた「赤狩り」の嵐の中、映画人として抹殺されてしまった人なのです。それでも別人名義で脚本を書きまくり、『ローマの休日』を含む2本の作品で、別人名義のままアカデミー賞を獲得してしまった人なんです。そんな嘘みたいな本当の話があるんですね~。知りたいですね~。てなわけでいってみますよ~。
映画の舞台は第二次大戦後、1947年のアメリカ。
新たに始まった冷戦に米国内でソ連=共産主義の恐怖が増大し、戦前はファシストを摘発していた議員下院の「非米活動委員会」が共産主義者への監視を強めていた時代です。
この動き「赤狩り」はハリウッドにも及び、リベラルな映画人がやり玉に挙げられ、「かつて共産党に所属していたことがある」とか「現場の労働条件改善のために運動している」などという、まっとうな民主主義社会であれば「それのどこが罪?」という罪状で、次々と告発されていきます。デカい身体と態度で威圧しながらアメリカの正義を振りかざし、仲間を脅しまくるジョン・ウェインに「マジでこういう人だったんだ……」って思うんですが、ここまでくるともはやモノづくりの現場とは思えません。
主人公ダルトン・トランボは、そんなジョン・ウェインに一歩も引かず、「第二次大戦を自らの勝利のように語るならば、その時に君がどこにいたかをはっきりさせよう。私は沖縄で戦争特派員をしていたが、君は映画のセットで、空を撃ってたんだろう。メイクをして」とやり返します。
まあそんなオッサンですから、当然にらまれますね。非米活動委員会の召喚状が届き、公聴会で「自分が共産主義者だと認め、仲間の名前を言えば釈放してやる」と迫られたトランボは、証言を拒否し投獄されてしまいます。でも1年の服役を終えて出所したものの、ハリウッドのブラックリストに載った彼に仕事はなく、雇ってくれたのはB級映画専門の「キング・ブラザーズ」のみ。でもこのおっさんは全然ひるまず、破格のB級映画を書いて書いて書きまくるんですねー。不屈です~。
私は個人的に「何かに熱狂する人」の心理や、その行き過ぎた形としての「集団ヒステリー」にすごく興味があり、そんなわけで韓流ファンからナチスドイツまでウォッチングしちゃうわけですが、この映画で描かれる「赤狩り」はまさに「集団ヒステリー」の典型です。
こうした現象は、恐怖と不安の扇動によって引き起こされていることがほとんどです。そこには「***がいつ攻撃してくるかわからないから、その前に監視し、場合によっては叩き潰さねば」という心理が生まれ、穏健派の人も「そこまでは思わないけど、用心にこしたことはないし監視も仕方ない」と容認してしまうし、そこにある基本的人権(プライバシーや表現の自由)の侵害を指摘すれば「危険な人間を擁護する同類」と糾弾されてしまうため、何かおかしいと思っても言い出しにくい空気が醸成されてしまいます。
そして時代や国により、この「****」が「共産主義者」だったり「ユダヤ人」だったり「日本人」だったり「韓国人」だったり「イスラム教徒」だったりして、多くの為政者はこうした心理を政治利用しようとするものです。
トランボはこうした状況にペンひとつで対抗するわけですが、これを糾弾する社会派映画を作ろうとするわけじゃないのがこの映画の面白いところ。
ブラックリストに載った仲間たちはインテリだから、「役者はシロウト、観客は新聞も読めない」というB級映画なんて書きたくない。でもトランボはそうした最低映画の仕事で糊口をしのぎ、生き抜くためにその仕事を仲間にも斡旋し、書かせてイマイチだったら手直しまでします。
収入はカツカツで体力的にもヘロヘロ、でもその合間には入魂の作品を書き、ブラックリストに載ってない友人に「お前の名前でスタジオに持ち込んでくれ。ギャラは折半で」なーんて託した作品が、あの『ローマの休日』。これでオスカー脚本賞を獲得しちゃうんだからすごい。
でもハリウッドってすごいなーと思うのは、さらにこの後。
「あの脚本はトランボが書いたらしい」という噂が立ち、彼を使い叩くB級映画製作者フランク・キングのもとに「トランボを使うな」と脅す人が来るのですが、この人は「一昨日来やがれ」と追い返す。高邁な思想なんて何もない、ただ安く使い叩ける最高の脚本家をなんで手放さなきゃなんねえんだっつうの!という感じなんですね。
この作品においては、時に揶揄されるハリウッド流の正義=「金」と「人気」が、毒が毒を制するように、クレイジーな状況を凌駕していく。客を呼べる作品をかける脚本家にB級作品だけ書かせとくなんてもったいない!とハリウッドに思わせることで、トランボはブラックリストを無意味化していくんですね~。これは痛快です。
でもこうした展開が可能だったのも、トランボに人並み外れた才能と不屈の精神、そして信念があったから。さらに言えば彼に最後まで付き合ってくれた家族たちがいたからです。
特に彼が干されていた時代に幼かった子供たちは、父親の信念ゆえに無邪気な子供時代を奪われてしまった部分があります。ラストに語られる、トランボに「カミングアウト」を決意させた一番下の娘のエピソードなんか、切なさに鼻の奥がツーンとします。何も悪いことをしていない人たちがこうまでに辛い生活を強いられてしまう。表現や言論の自由が損なわれること、ひとつの価値観しか許せない世界の恐ろしさってこういうことなんだなと思い知ります。
さて最後に「赤狩り」のその後を書いておきましょう。
トランボは1960年に公式に復帰、以降は作品に自分の名前でクレジットされるように。
非米活動委員会自体は1975年まで存続しますが、50年代末期にはその中心人物だったジョセフ・マッカーシー上院議員の失墜により権威を失っていきます。
でも遺恨はそう簡単には消えない。それが明確に示されたのは、1998年にエリア・カザン監督がアカデミー賞名誉賞を受賞したときです。
カザンと言えば『エデンの東』『欲望という名の列車』『紳士協定』などの巨匠ですが、ハリウッドでは1952年の公聴会で多くの映画人を密告した人物でもあります。1954年に彼がアカデミー作品賞を獲得した『波止場』は、ギャング組織の犯罪を信念に基づき告発した主人公を描いた作品ですが、ギャング組織を共産党になぞらえた「自己正当化」のための映画ともいわれています。
プレゼンターは、赤狩りで友人に密告された映画監督の苦悩を描いた『真実の瞬間』に出演した、ロバート・デニーロとマーティン・スコセッシ。こちらはニュース映像ですが、3分40秒あたりから、ボビー&マーティのいかにも不安げな硬い表情の紹介が始まります。
8分半くらいのところで登場したエリア・カザン。名誉賞受賞者はいつもなら和やかなスタンディングオベーションで迎えられるものですが、この時ばかりは会場は不穏な空気に包まれます。スピルバーグは座ったまま拍手だけ、憮然とした表情で拍手すらしないものも多くいます。
型通りの受賞スピーチの最後に「静かに退散するとしよう」と言ったエリア・カザン監督は、マイクを外した場所で「他に何か言わせたいことがあるのかな」と締めくくっています。デニーロの表情は最後までこわばったまま。(ちなみにYoutube上に残るオスカーの公式映像では、このあたりはバッサリとカットされています)
カザンなりに後悔しているんだろうな、傷ついているんだろうなと勝手に思っていた私は、それ以来、彼の社会派の名作を素直に見れなくなってしまいました。なんて意固地で悲しく思いやりのないジジイだろう、と。プレゼンターの二人も、謝罪とはいかないまでも、何かしら後悔の言葉を言ってくれたら、と思っていたんじゃないかなあ。そうなれば最高の機会となっただろうし、胸のつかえがとれる人がたくさんいたはずです。
まったくの無関係な私ですらなんだかモヤモヤするこういう事態、アメリカに限らず、二度と起こってほしくないなあと思います。
最後の最後ですが(二番底か!)、トランボ役のブライアン・クランストンは、私史上最高に面白かったアメリカのドラマ『ブレイキング・バッド』で大ブレイクした人。こちらも、本当に本当に本当に面白いので、よろしければ是非見てみてくださいねー。
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Photo by Hilary Bronwyn