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決して多くを求めているわけではない、普通の人々が幸せになれない社会に、未来はあるのか?

渥美志保映画ライター

今回はフランスで大ヒットした映画『ティエリー・トグルドーの憂鬱』をご紹介します。

映画は、失業率が10%を超えている現在のフランスを舞台に、家族を抱える一人の男の就職活動を描いてゆきます。

私のようなフリーランスをはじめとする非正規雇用者も増加の一途をたどり、今話題の相対的貧困も大きな問題になっている日本で、このドラマを他人事と思える人は少ないんじゃないかなーと思うし、そういう世の中の何が間違っているのか、それを問うドラマになっていると思います。ということで、まずはこちらを!

主人公は50代と思しきティエリー・トグルドー、妻と障害を持つ息子を養っています。工作機械の操作員をしていた彼が、突然解雇されたのは1年前。仲間とともに不当解雇を訴える訴訟を起こしましたが、保障も再就職はままならず、失業手当が大幅減額される期限も目前。物語は追い詰められたティエリーの必死の就職活動を追ってゆくのですが、なかなかうまくいきません。

就職支援の新しい機械の研修を受けたのに、いざ面接に行くと現場経験者しか雇われず、スカイプでのぞんざいな面接では譲歩に譲歩を飲み込まされた挙句に「採用はおそらく無理」と言われ、模擬面接の講評では自分の子供くらいの連中に「一緒に働きたいと思わない」とケチョンケチョンにされます。

この映画では、相談員もスーパーの店員も、すべて「本物」の人たちが演じているのですが、それゆえに物言いはリアルで生々しいんですね。さらにカメラはほかの日と話しているときも、それを聞いているティエリーにほとんど張り付いています。いい年をした大人の男が一枚一枚プライドを引きはがされてゆくさまを、残酷なまでにとらえてゆきます。

ティエリーが何が何でも就職しなければならないのは、障害を抱える息子がいるからです
ティエリーが何が何でも就職しなければならないのは、障害を抱える息子がいるからです

さて、ここで考えてしまうのは、人間は何を大事にして生きるべきか、ということです。何を大切にするのが人間か、ということかもしれません。

例えば冒頭のエピソード、ティエリーと職業訓練所の相談員とのやり取りです。就職支援に用意されたある工作機械の研修を4か月も受けたティエリーはその技術を武器に就職活動をしますが、面接では「現場経験のある人しか採用しない」と箸にも棒にもかかりません。でも研修を受けた15人中13人が未経験者だったのです。ティエリーは相談員に訴えます。「就職につながる研修を進めるべきでは?」。相談員の答えはこうです。「企業の雇用条件はこちらのあずかり知らぬこと。我々は雇用市場にあう研修を行うだけ」。

もちろんそれはごもっとも。でも就職支援が目的なら、そんな木で鼻をくくった対応ではなく、もう少し人間味があってもいいのに、と思わなくもありません。

規則だから仕方ない、不景気だから仕方ない、儲けを上げるために仕方ない、仕事だから仕方ない――ティエリーはそうした現代社会の不条理で冷たく切り捨てられてきた弱者です。ところがそうした不条理を飲み込んでやっとのことで手に入れた仕事で、今度はティエリー自身が切り捨てる側として「本当に仕方がないのか?」を問われることになってゆくのです。

ティエリーがやっとのことで得た仕事は、スーパーの警備員。客の万引きだけでなく、従業員も監視する仕事なのですが…
ティエリーがやっとのことで得た仕事は、スーパーの警備員。客の万引きだけでなく、従業員も監視する仕事なのですが…

映画の原題は「市場原理」です。現代社会のさまざまな「仕方ない」は、元をたどればすべてこれに基づいています。でも10年後には多くの仕事が「市場原理」によって機械に置き換えられてしまうといわれる現代社会で、「型通りの対応しかしない相談員」が早晩機械に置き換えられてしまうことは明らかです。ティエリーの状況を他人事と言える人は、そう多くはないと思います。

ティエリーは確かに一目で誰もが好きになるタイプとは言えませんが、この年代によくいる「プライドばかり高くて上から目線のおっさん」とは全く違う、不器用だけど実直、高い技能があるわけではないけれどマジメで、多くを望んでいるわけではなく、ただ過不足なく暮らしていければと思っている、普通の中年男――つまり国民の大多数のような人間です。そういう人の生活が、どんどんままならなくなってゆく社会に、果たして未来があるのでしょうか。そんなことをすごーく考えさせられる作品です。

主演俳優のヴァンサン・ランドンさんのインタビューも公開しておりますので、こちらもどうぞ!

『ティエリー・トグルドーの憂鬱』公開中

公式サイト

映画ライター

TVドラマ脚本家を経てライターへ。映画、ドラマ、書籍を中心にカルチャー、社会全般のインタビュー、ライティング、コラムなどを手がける。mi-molle、ELLE Japon、Ginger、コスモポリタン日本版、現代ビジネス、デイリー新潮、女性の広場など、紙媒体、web媒体に幅広く執筆。特に韓国の映画、ドラマに多く取材し、釜山国際映画祭には20年以上足を運ぶ。韓国ドラマのポッドキャスト『ハマる韓ドラ』、著書に『大人もハマる韓国ドラマ 推しの50本』。お仕事の依頼は、フェイスブックまでご連絡下さい。

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