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結婚生活で失いかけた「自分自身」にすがるように、女はストーカーになっていく

渥美志保映画ライター

今回は常盤貴子、池松壮亮主演の『だれかの木琴』をご紹介します。

若い男性美容師を相手にストーカー行為に走る中年女を主人公に描く物語は、なんだかロマンティックな不倫もののように宣伝されてますが、どちらかというと夫婦ものじゃないかなーと思います。でもって怖いというか、切ないというか、とにかくすごい作品ですから是非ご覧いただきたい!ということで、まずはこちらをどうぞ!

まずは物語。

夫と娘の3人で新しい街に引っ越してきた主婦の小夜子は、初めて入った美容院で、担当となった男性美容師、海斗から「今日はありがとうございます」というメールを受け取ります。

明らかな「営業メールに」に「今後ともよろしくお願いします」と返信した小夜子は、その翌日には、「新しいベッドが届きました」と、ベッドの写真付きで海斗にメール。この時点ですでに海斗は相当困惑していますが、小夜子は頓着しません。

2週間後には、ありもしない「クラス会」を口実にセットに現れ、その翌日には「クラス会で褒められました」とお礼のメールを送信。さらに世間話の最中に聞いた情報をもとに海斗の住まいを探しあて、ドアノブに「買いすぎちゃったから」とメモを入れたイチゴのパックを――とこんな具合に、その行動をどんどんエスカレートさせてゆくのです~。

さてこの映画の何がすごいって、それはジワジワとストーカーと化してゆく小夜子を演じる常盤貴子の演技です。愚鈍さとも図々しさとも言えるような、中年女独特のもったり感。焦点がどこにも合っていない、どこも見ていないような、倦怠した空虚な瞳。衰え始めた美しさの中に、それゆえに際立つ生々しさ。世界から身体が5cm浮かんでいるような、ふわふわとした現実味のなさ。彼女の存在感は、妄想の世界で執着心を膨らませてしまう中年女という役どころに、抜群の説得力を与えています。

常盤さん、こ、怖い!
常盤さん、こ、怖い!

そして本当にすごいなと思うのは、隙を見せれば何をやるかわからない不気味さゆえに「ちょっと!ちょっとちょっと常盤貴子~!」と、ぜんぜん目を離すことができないのに、それでいてなんだかすごく哀れにも見えること。その哀れさこそが、この映画のキモである気がします。

小夜子は、一見してスタンダードな幸せを手にしている人です。結婚し、そこそこ真面目な夫はちゃんとした会社に勤めていて、高校生の娘は反抗期ではあるけれどグレずに育ち、ピカピカのマイホームを手にし、贅沢とは言わないまでも生活は過不足なく安定しています。映画はそんな日常を淡々と描いていくのですが、夫には会社があり同僚がいて、娘には学校があって年齢なりの恋があり、美容師である海斗には外に恋人がいるけれど、登場人物のうち小夜子だけが「母親」以外の世界を持っていません。美容師の海斗がその隙間に、スルッと入り込んできます。

でもさ、マジで美容師ってさ~、ホストっぽく営業してくる人もいるんだよね~
でもさ、マジで美容師ってさ~、ホストっぽく営業してくる人もいるんだよね~

世の中は小夜子のような主婦を「性的に欲求不満のオバさん」と類型的に判断しがちで、実際に海斗の恋人である20代の唯は「海斗に惚れて誘ってる」と、嘲りと不快感を同時ににじませながら言ったりするのですが、私はこれ、全然違うと思いました。

冒頭、近所での仕事の帰りに家に戻った夫が、ふざけて見知らぬセールスマンを演じ、「奥さん」と言いながら小夜子を押し倒すという場面があります。つまり小夜子と夫の間にはちゃんとセックスがあるんです。であるにもかかわらず、小夜子は海斗が自分に触れる時に夫を――もっといえば夫もこんなふうに触れてくれたらいいのにと――夢想するのは、夫が小夜子に触れながら「別の女」(会社で仲のいいOLや、飲んだ勢いで関係した見知らぬ女や……)に触れていることを、彼女が感じているからです。

夫役の勝村さん、妻の奇妙な行動を見て見ぬふりしっぱなし。
夫役の勝村さん、妻の奇妙な行動を見て見ぬふりしっぱなし。

とはいえこの作品がよく言われるように、小夜子が欲しているのは「夫の愛を取り戻すこと」という説には、全く同意しません。もちろん海斗でもありません。小夜子が求めているのは、自分を「自分自身」として、精神的、肉体的に「触れて」くれる人であり、別の言葉で言い換えれば、それは「母親」とは違う「小夜子自身」を求めていることにほかなりません。

それはある意味で、「**さんのママ」とか「**さんの奥さん」としか呼ばれない「40代専業主婦」の寄る辺のなさにも思えますが、作品はそうした特定層の問題でないこともほのめかします。

この辺り、もしかしたら40代近くにならないとわからないかもしれません。年を重ねると、気が付けば自分の中の大部分が、「課長」とか「お母さん」とか「もういい年こいたオバさん」とか「先生」とか、社会によって規定され、それにそった行動をとる癖がついてしまい、もともとあった「自分自身」「自分の思い」「自分の欲望」を押し殺すことは習い性になっています。実のところ、小夜子の欲望に向き合おうとしない夫の行動だって、彼なりに家庭を守る「父」を演じているに他なりません。

でもそうした「自分」は押し殺しても消えはしないから、何かの拍子で噴出することもあるわけです。それに駆り立てられて始まる小夜子の暴走は、だからこそ他人事とは思えません。作品を見た大人の多くが、小夜子の中に自身の狂気を見、戦慄のラストにはなんとも言えないやるせなさを覚えるに違いありません。

ものすごく面白い作品ですので、ぜひご覧ください。夫婦で行ったらダメですよ~。

『誰かの木琴』

公開中

(C)2016「だれかの木琴」製作委員会

映画ライター

TVドラマ脚本家を経てライターへ。映画、ドラマ、書籍を中心にカルチャー、社会全般のインタビュー、ライティング、コラムなどを手がける。mi-molle、ELLE Japon、Ginger、コスモポリタン日本版、現代ビジネス、デイリー新潮、女性の広場など、紙媒体、web媒体に幅広く執筆。特に韓国の映画、ドラマに多く取材し、釜山国際映画祭には20年以上足を運ぶ。韓国ドラマのポッドキャスト『ハマる韓ドラ』、著書に『大人もハマる韓国ドラマ 推しの50本』。お仕事の依頼は、フェイスブックまでご連絡下さい。

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