承認欲求を満たしたいがための”カッコつけ”を、裏であざ笑うSNS社会の辛さ
就職活動中の5人の大学生の人間関係を描く『何者』。佐藤健、菅田将暉、有村架純、二階堂ふみ、岡田将生、山田孝之……という顔合わせに、原作は『桐島、部活やめるってよ』で知られる朝井リョウですから、まあ作品は当然のことのように面白いのですが、率直に思ったのは「今の20代って大変だな」ということです。
物語は「ああ、こういうヤツいるよな」と思わせるキャラクターたちの仲間に対する本音を、「自分は本当は”何者”でもないこと」を思い知らされる就職活動中に、SNSによってあぶりだしてゆきます。
例えば岡田将生演じる隆良は、「今の時代に会社に属する意味を見いだせない」とか言いつつ、学生だてら「キュレーター」とかなんとかカタカナ肩書の名刺を自分で作り、様々なパーティーに顔を出して(ホントかどうかは別として)人脈を作り――その実、いざとなると「俺のコンセプトと合わない」とかなんとかいって何の行動も起こさない、挑戦しないから挫折もないという典型的な「口だけ野郎」です。
こんなヤツが大人世代である私の大学の同級生にいたら、酒の席で「すごい~!」と持ち上げられつつもイジられ、青臭い人でもいればその欺瞞を徹底的に論破され、「口だけ野郎」とビールぐらい顔に浴びせられる、なんてこともあるかもしれません。そりゃ彼もその時は傷つき怒るかもしれませんが、逆を言えばそこは「カッコつけても仕方ない場所」であり、なんだかんだつきあっているうちに「カッコつけなくても受け入れてくれる場所」となる可能性もあったはず。実のところそういう場所って、非常にラクチンなものです。
とはいうものの、今や「王様の耳はロバの耳!」とこっそり溜飲を下げられる場所が無数にあるSNS時代。こんな古き良きユートピアみたいな世界はもはや消滅してしまっているんでしょう。
映画『何者』には、こういうヤツが表面的に肯定してもらえる代わりに、カッコつけ続けなければいられない世界、表面的には肯定してくれたかに見えた人が、「裏側」では何を言っているかわかったもんじゃない世界が描かれていて、本当に胸が痛くなります。
そして作品が熱く語りかけるのは、カッコつけているうちは「何者」かになるための”最初の一歩”さえ踏み出せないこと(実のところ「何者」かになれる人なんてほとんどいないんですけどね)。その最たるものを演じる佐藤健の、胸打つラストをどうぞご覧くださいませ。
『何者』公開中
(C)2016映画「何者」製作委員会 (C)2012 朝井リョウ/新潮社