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英国が身代金を払わない理由。

ブレイディみかこ在英保育士、ライター

日本人がテロ組織に誘拐され、身代金を要求されると祖国で必ず出て来るのは「危険な地域に自分で行った」「自業自得」といった議論だ。

で、わたしが住んでいる英国は、人権を重んずる欧州国にしては珍しく身代金を払わない国として有名である。それどころか、キャメロン首相は2014年1月に「テロ組織の身代金要求を断固と拒否する」決議案を国連の安全保障理事会に提出して採択を要求したほどであり、加盟国は当該決議を全会一致で採択している(しかし、この決議を守っているのは英国と米国だけで、フランス、イタリア、スペイン、ドイツはこっそりテロ組織に金を流す経路を見つけて身代金を払っている)。

英国が身代金を払わない理由は、「自己責任で現地に行った個人のために血税を使うな」とかそういうことではない。テロ組織は身代金を資本として軍備を拡大し、新たなテロリストたちをリクルートして強大になって行くからだ。例えば、アルカイダ・イン・ザ・イスラミック・マグレブ(AQUIM)が身代金で得た収入は5500万ポンド(約100億円)だそうで、ISISも相当な額を稼いでいると言われている。身代金はテロ組織を支えている主な財源なのである。専門家によれば、政府が身代金を払うことは、さらなる誘拐を招く原因になっているという。しかも、複数の国が巨額の身代金を払うとわかれば、テロ組織が要求する金額も上がって行く。

英国は身代金を払わないため、他の欧州人は助かったのに英国人だけ処刑されたという不幸なケースもあった。2009年に4人の欧州人観光客がマリで行われたミュージック・フェスティバルを見てニジェールに帰る途中でイスラム過激派に誘拐され、政府が身代金を払ったドイツ人とスイス人は助かったが、英国籍の青年は殺害された。助かった他国の人質の家族が大喜びする映像と、殺された英国人の家族の映像のコントラストはなんとも悲劇的だったので、身代金を払わない政府に対して非難の声も上がった。しかし政府はそれでも身代金を払わない姿勢は崩さず、代わりに人質奪還作戦に投入する人材や資源を拡大している。

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職場や往来で人と話していてこの話題になると「身代金を払って人命を守るべき」と断言する英国人は非常に少数派だということに気づく。

みんな判で押したように「とても難しい問題だ」と言ってから喋り始めるのだが、「身代金はテロ組織を拡大させ、もっと多くの人命を奪うことになる」「本気でテロと戦う気なら、各国が一致団結して身代金を払わないようにしなければ、テロ組織に資金援助しているのと同じ」と言う。これは別に識者とかの意見ではない。保育士や近所の青年やパブ店主ら、市井の人々の言葉である。

つまり、はっきりとそうは言わないが、彼らはテロ組織を強大にさせ犠牲者の数を増やさないためには、少数の犠牲者が出るのもやむを得ないと思っているようなのである。ここに来て英国の人々には市井の末端まで反テロの意識が浸透していると思い知らされたわけだが、それはあくまで人質が自分の知らない人のときの話だろう。自分の家族が誘拐されたら、彼らだってそんなに理路整然と社会全体における「コストとベネフィット」の関係を計算することはできない。

英国人の人質で生還しているのは、おもに家族や雇用主が身代金を払った人々である。英国政府は今のところ個人や企業が身代金を払うことには目を瞑っている。

庶民は億単位の金が銀行口座に転がっているわけではないので、家族が誘拐されたら国に頼るしかない(英国の場合、諦めるしかない)が、もしも口座に然るべき金額があったら、「ここでうちの子供を助けたら、後に多くの人命が失われることになるかも」などと言って身代金の支払いを拒否する人はまずいないだろう。昨年、政府が身代金を払わない方針なのに民間の企業や個人が払っていることが問題視されて話題になった時、ガーディアン紙のナイジェル・ウォーバートンが「身代金を払うことは有害だ。だが、それを人質の家族に言ってみろ」というタイトルの記事の中で、「身代金を払うことを犯罪にでもしない限り、払う人々は後を絶たない」と書いていたが、たとえ犯罪にしたって払う能力のある家族は払うだろう。

UKで議論されていたのは、「自ら危険地域に行った人の家族が責任を取って身代金を払ったのなら別に問題ないじゃん」というタイプの自己責任論ではない。民間が身代金を払うことを犯罪にしてでもテロ組織の資金源を断ち、多数の他者を守るべきではないかという、個人か、共同体か。のディベートなのである。

「難しい問題だ」と英国人たちが口を揃えて言うのはそのせいだ。

誘拐と身代金の問題となると、英国人はより大きな共同体にとって「何が良いことか」という問題と、個人の命の間でせめぎ合い、民間としては身代金を払える窓口を残しながらも(これはこれで「富める者や大企業の社員だけが助かるのか」という議論を呼んでいるが)、国家としては共同体に対する責任のほうを重視してきたからだ。

しかし、英国がいくら真面目にそんなことでせめぎ合っても、他の欧州国は「身代金の支払いを拒否します」という共同声明に調印しておきながら陰で堂々と身代金を払い続けている。

「私はシャルリー」などと言って各国首脳がパリの街を厳かに行進し、テロに屈さない意志を示していたそうだが、欧州内での足並みは実はけっこうバラバラなのである。

在英保育士、ライター

1965年、福岡県福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。保育士、ライター。著書に『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)、『いまモリッシーを聴くということ』(Pヴァイン)、『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』(太田出版)、『ヨーロッパ・コーリング 地べたからのポリティカル・レポート』(岩波書店)、『アナキズム・イン・ザ・UK - 壊れた英国とパンク保育士奮闘記』、『ザ・レフト─UK左翼セレブ列伝 』(ともにPヴァイン)。The Brady Blogの筆者。

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