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憲法の視点を忘れてはいけない~証拠の「目的外使用」を巡って

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

法廷で再生された取り調べDVDをNHKに提供したのは、刑事訴訟法が禁じている証拠の「目的外使用」だとして、大阪地検に弁護士が懲戒請求された件では、大阪の刑事事件に精通した弁護士らが代理人団を結成。大阪弁護士会綱紀委員会に意見書を提出した。その際、代理人の筆頭に名前を記されたのが、かつて最高裁裁判官を務めた滝井繁男弁護士だ。

滝井繁男弁護士
滝井繁男弁護士

滝井弁護士は、大阪弁護士会会長などを経て、2002年6月11日から2006年10月30日最高裁裁判官となった。裁判官として、利息制限法の規定を超える消費者金融のいわゆるグレーゾーン金利を否定し、過払い金返還訴訟への道を開いて多重債務者を救済したことで知られる。水俣病関西訴訟で国などの責任を認める判決に関わったほか、参院選定数訴訟では「1人の投票価値が他の人の2倍を超えることは、いかなる理由でも正当化できない」との反対意見を書いた。

「憲法の番人」とも言われる最高裁で、様々な憲法判断をしてきた滝井弁護士。今回の検察の対応に対し、「法律ばかり見て、憲法をないがしろにしている」と指摘した。

憲法の視点が欠落していることに危機感

ーー問題とされた番組はご覧になりましたか。

実際の取り調べの状況を伝えたNHK「かんさい熱視線」の画面より
実際の取り調べの状況を伝えたNHK「かんさい熱視線」の画面より

見ました。僕はいい番組だと思いましたから、多くの人に見てもらいたいと思います。NHKは「クローズアップ現代」で(取り調べ映像を)公開するように働きかけたい気持ちですね。

ーーなぜ、今回の代理人に?

この話を聞いた時、最高裁時代の同僚泉さん(=泉徳治弁護士※注1)が言っていたことを思い浮かびました。彼がアメリカに行った時に、「日本の裁判所は、憲法より法律を重視する傾向があるんじゃないか」と言われたそうなんです。つまり、まず法律を見て、合理性があれば合憲と解釈してしまう傾向がある、と。

今回の検察の対応も、刑事訴訟法の条文だけ見ていて、憲法を見る目が全く欠落しています。言論の自由、表現の自由、知る権利といった憲法の視点がまったくない。そこに危機感を覚えました。

それで思い出すのは、私が弁護士になって2、3年した頃のこと。友人の弁護士が被疑者の接見を拒否されて、初めての国賠訴訟を起こしたんです。杉山事件(※注2)と呼ばれている裁判です。

ーー検察官にいわゆる「面会切符」を出してもらわないと、警察に接見を拒否されていた時代ですね。

そうです。私も代理人になりました。当初は「被疑者・被告人本人ではなく、弁護人が裁判を起こすので大丈夫か」と懸念する声もありましたが、「弁護人依頼権は弁護人の固有権でもある」ということで裁判を起こした。

その頃、アメリカでミランダ判決(※注3)が出たんです。すごいな、と思いました。アメリカの憲法だって、弁護人立ち会い権まで認めているわけではありませんよね。でも、「何人も刑事事件において、自己に不利な供述を強制されない」「弁護士の援助を受ける権利を有する」という条文から、(尋問の前に黙秘権や弁護人の立ち会い権などを告知しなければならないとする)ミランダ・ルールを導き出したわけです。

「憲法の条文は、今日的にはどういう意味を持つか」ということを、アメリカの裁判所はすごく真剣に考えていると思いました。

ところが日本の裁判所は、法律の条文ばかり見ている。接見については、確かに刑事訴訟法には「検察官、検察事務官又は司法警察職員は、捜査のため必要があるときは、公訴の提起前に限り、第一項の接見又は授受に関し、その日時、場所及び時間を指定することができる」(39条第3項)という規定があって、これだけ見れば制限をするのも合理的に思えるでしょう。でも、憲法に照らせば、弁護人が被疑者に会う権利はもっと大事にされていい。杉山事件を通して、接見の制限はゆるやかになりましたが、その後も大法廷判決で刑事訴訟法の規定の合理性を重視する判決を出しています。

そういう日本の裁判所は、アメリカの人からは「日本の裁判所は憲法より法律を重視する」と見えるでしょう。今回の事件も、同じことだと思います。検察官は刑訴法のことしか言わないわけですから。

「知る権利」と「裁判の公開」が大切

ーー検察官の懲戒請求を憲法的視点で見ると、どこに問題がありますか。

大阪地検
大阪地検

まず、言論の自由、国民の知る権利の観点が大切です。「目的外使用」禁止は、そうした使用によって個人の名誉や信用やプライヴァシーを侵害することを防ぐための規定であって、国民の知る権利を制約するものではないはずです。今は、取り調べの可視化について議論されている時期であり、国民の関心もかつてないほど高まっています。そういう中で提供された今回のDVDは、取り調べやそこで作られる調書の問題の一端が分かるもので、これを公開したことは、可視化を巡る国民的議論を深めるために、とても有用なことでした。

ところが、そういう行為が、こうやって懲戒請求されるとなると、普通の弁護士は(情報提供に)慎重になってしまう。検察の懲戒請求は、そういう萎縮効果を狙っている気がしますね。

ーー代理人作成の意見書には、裁判の公開という視点からでの意見も述べられていました。

裁判の公開は、憲法82条で制度的に保障されています。これは、裁判を行う法廷さえ公開しておけばいいというのではありません。法廷に入れない人のための公開、ということも考えないといけない。法廷が終わった後に(記録に)アクセスできることも必要です。

ーーそのために、刑事訴訟法53条で「何人も」確定記録を閲覧できるとなっているはずですが、刑事確定訴訟記録法ができて閲覧させない事項が列挙されて以降、閲覧はさせないのがデフォルトになってしまっていて、記録を保管している検察官の頭からは、憲法も刑事訴訟法も消えてしまったようです。

そもそも、記録は検察のものだ、裁判所にいったら裁判所のものだ、そして検察庁に戻ってきたら検察のもの、という発想がものすごく強いように思いますね。保管は検察庁がするにしても、それは保管であって、記録をどうするかを自由に決めていいわけじゃない。

日本の場合は、法律を作る時に、法制局がチェックしますから、一応合理性はある。けれども、官僚が自由にできるように作るわけですよね。それで、いったん法律ができると、憲法との関係、ほかの法律との関係が無視されて、その法律の条文だけを見る傾向がある。刑事確定訴訟記録法ができると、その条文だけしかみない。裁判所も、憲法的視点を忘れてしまう、という情けない状況です。

ーー言論の自由という点について、裁判所の対応はどうなのでしょうか。

「平等」という点では、今世紀に入ってから、在外邦人の選挙権とか、成年後見における選挙権など、以前より憲法的な解釈が出ていると思いますが、こと表現の自由となると、あまり変わっていません。しかも、新しいことに一歩踏み出すことに凄く慎重です。

マンションの共用部分に立ち入ってビラを配布した事件でもそうでした。「ビラお断り」と書いてあったとしても、果たして刑事事件にすることまで考えた表示なのだろうか、と思いますよね。私もマンションに住んでいて、いろんなビラが入ってくるのは煩わしい。でも、だからといって、住居侵入という犯罪に問うのか、検察はこれを起訴するのか、という疑問があります。それに対して裁判所は一言も答えていません。昭和40年代の大阪の広告条例の判例を持ち出して、小法廷で判断するわけですよね。なるべく(憲法判断を変更する)大法廷に持ち込まずに小法廷でやろうとするから、古い判例引っ張ってきて、先例がある、とやってしまう。でも、その頃と今では国民の見方も違うでしょう。

憲法の今日的意味を考える

ーーもしかしたら、今の国民の方が制限的かもしれません。

言論の自由は、民主主義の基盤です。それがかなり不自由になっているのに対して、国民自身も敏感ではないのは残念ですね。民主主義においては、他者の言論の自由にも寛容でなければ…。

ーー自民党の「憲法改正草案」によれば、表現の自由にも「公益及び公の秩序」による制限がかかります。

それに対する国民の関心が高くないのは、日本では、司法に関する教育がすごく貧弱たためだと思います。特に、憲法教育がなされていない。

アメリカでは、連邦裁判所の表現の自由の判決なんかを中学時代から教えるわけですよね。表現の自由も、いろんな権利と衝突するわけです。その時にどうするか、そういうことを子どもに議論させたりするでしょう?

日本では、「表現の自由はあります」と書いてあるけど、具体的にどういうものかっていうのは、ほとんど教えてないんじゃないでしょうか。

私の出身高校の先生から頼まれて、生徒たちに話をしたんですね。その感想文を読んで感じたのは、みんな法律というのは暗記するもんだ、と思っているのですね。クリエイティブなものだという発想がない。本当の法律の面白みは、時代に即して柔軟に解釈をしていくことなんですが。

ーー「目的外使用」禁止の条項を盛り込む刑訴法改正をした国会の対応についてはどう思いますか。

問題と思います。立法の時に、憲法論がすごく軽く扱われていた感じがします。関係者の名誉、信用、プライヴァシーを損なう利用を防ぐ、という説明はありましたが、その趣旨や憲法的な視点が立法にきちんと反映されていません。立法の時に、裁判記録は誰のものかということも、もっと問題にされるべきでした。

今の政治家たちの憲法に対する感覚は、彼らの改憲論を聞いていても、すごく心配ですね。憲法論議では、加憲とか創憲とかいう言い方もされますが、憲法っていうのは元々柔軟性があるんです。プライヴァシーの権利をわざわざ書かなくても、条文を今日的に解釈するということで、十分対応できる。今さらプライヴァシーの権利を条文化して、どこが変わるんですか?憲法に関する政治家の考え方は、ほんとに寂しいですね。

ーーこの懲戒請求は、今後どのような展開になるのでしょうか。

大阪弁護士会
大阪弁護士会

証拠調べしなきゃならない問題じゃないですから、弁護士会としては早く結論を出すべきだと思います。請求が認められないと、検察は日弁連にもっていくことが考えられます。大阪地検だけの判断ではなくて、最高検と相談しながらやってるんでしょうから。

ーー日弁連として、こういう場合は懲戒に当たらないという基準を出すべきでは?

出すべきだと思いますね。言論の自由にかかわる問題であり、裁判の公開にかかわる問題であって、こういう懲戒請求はとんでもない、と言って欲しいですね。

※1泉徳治

元裁判官。2002年11月~2009年1月まで最高裁裁判官。著書に『私の最高裁判所論ー憲法の求める司法の役割』(日本評論社)。現在は弁護士。

※2杉山事件

1965年4月、杉山彬弁護士が、警察で逮捕された被疑者の接見を求めたところ、警察官が「検察官の接見指定書(面会切符)を持ってこない限り面会させない」と接見を拒否。「弁護士だといって大きな顔をするな」と怒鳴りながら杉山弁護士の肩や胸を十数回突いて押し出そうとした。

杉山弁護士が起こした国家賠償訴訟で、最高裁は接見交通権は被疑者らの憲法上の権利に由来する重要な権利であり、原則としていつでも接見の機会を与えなければならないとしながら、「現に被疑者を取調中である」など「捜査の中断による支障が顕著な場合」がある場合は、必要止むを得ない例外的措置として、接見の制限がありうる、とした。

※3ミランダ判決

1966年6月13日に米国連邦裁判所が、黙秘権と弁護人立ち会い権を告げられないまま高圧的な取り調べによってなされた供述は、公判での証拠にできないとした。ミランダは、この事件の被告人の姓。以後、供述を求める前に、1)黙秘権がある 2)供述は法廷で不利な証拠となる場合がある 3)弁護人の立ち会いを求める権利がある 4)経済力がない場合は公設弁護人を着けて貰う権利があるーーの4点(ミランダ警告)が告げられることになった。「ミランダ・ルール」と呼ばれる。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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