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名張毒ぶどう酒事件・最高裁の棄却決定に思う

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

なぜ?今?

名張毒ぶどう酒事件で、最高裁が棄却決定を出したとの速報を見て、頭の中に大きな疑問符が浮かんだ。弁護団が最高裁に書面を出した、と聞いたばかりだったからだ。

小池義夫弁護士が描いた元気な頃の奥西勝さんの似顔絵。よく似ている
小池義夫弁護士が描いた元気な頃の奥西勝さんの似顔絵。よく似ている

検察官の主張に対する反論と、科学者3人の意見書や資料など、合わせて100ページほどを弁護団が投函したのは、9月30日という。最高裁に届いたのは10月1日だろう。再審請求棄却の決定は10月16日付。時間的に、弁護団の書面を吟味したり、議論したうえで判断した、とは思えない。

決定の内容を読んで、あ然とした。

焦点となっている毒物に関して、弁護側主張を検討した形跡がまったくないのだ。単に、検察側意見書によれば再審不開始の名古屋高裁決定は正しい、と言っているだけで、弁護側主張のどこが、なぜ違うのか、という理由にまったく言及していない。

そして、弁護人から決定が出るまでの経緯を聞いて、今度は呆然とした。

弁護団は書面を送付する際、裁判官と調査官の面会を求める上申書を提出していた。調査官とは、最高裁裁判官の仕事を補佐する役割で、地裁などで裁判官として実務経験豊富な判事が務める。

ところが何の音沙汰もないので、弁護団長の鈴木泉弁護士が10月11日に最高裁の担当書記官に電話をした。「調査官と裁判官に聞いて連絡します」と言われ受話器を置くと、わずか15分後に電話がかかってきた。「調査官、裁判官とも面会しないとのことです」という断りだった。

第7次再審請求で1回目の特別抗告審(最高裁第3小法廷・堀籠幸男裁判長)の時には、調査官が何度も面会に応じ、弁護団は難しい科学鑑定の中身を口頭で補足説明する機会を得ていた。ところが、今回の第1小法廷(櫻井龍子裁判長)では、調査官の面会も、ただの一度も実現していない、という。

裁判所の都合が優先

最高裁判所
最高裁判所

しばし呆然とした後、ようやく働き始めた私の頭でこれらの事実を咀嚼し、冒頭の疑問に自ら出した答えは、次の2つだった。

(1)最高裁にとっては、とにかく奥西勝さんが生きているうちに裁判所の結論を出すことが最優先だった。

(2)その結論、すなわち再審を開始しないという結果は、あらかじめ決まっていた。

奥西さんは昨年5月に名古屋高裁刑事第2部(下山保男裁判長)で再審開始を取り消す決定が出されてから体調が急激に悪化。6月に八王子医療刑務所に移されたが、今年5月には2度も危篤状態に陥った。第7次再審請求審は、以下のような経過を経て、すでに11年以上が経過していた。

2002年4月 第7次再審請求

2005年4月 名古屋高裁刑事第1部(小出ジュン一裁判長)の再審開始決定

注:「ジュン」はかねへんに、つくりは亨

2006年12月 同高裁刑事第2部(門野博裁判長)の再審開始取消決定

2010年4月 最高裁第3小法廷(堀籠幸男裁判長)の差し戻し決定

2012年5月 名古屋高裁刑事第2部(下山保男裁判長)で再度の再審開始取消決定

最高裁第1小法廷(櫻井龍子裁判長)

最初に再審開始決定が出ており、最高裁第3小法廷の判断も「科学的知見」を重視するものだっただけに、本人や弁護団が期待しているだけでなく、マスメディアからも島田事件以来の死刑再審かと大いに注目されていた。最高裁の結論が出る前に、奥西さんが亡くなるようなことがあれば、裁判所が批判にさらされるのは必至だ。

そんな事態を防ぐため、とにかく生きているうちに、再審を開くつもりはないという結論を示して第7次再審請求審を終わらせるーー明示的か暗黙のうちかは分からないが、これが、最高裁第一小法廷の基本方針だったのではないか。それでも、検察側主張に対する弁護側反論を待たずに結論を出すわけにはいかない。なので、弁護側の書面が届くのを待って、(「これでよろしいですね」という形ばかりの確認くらいはしたかもしれないが)あらかじめ用意してあった決定文を印刷し、発送したのだろう。

つまり、事案の真相解明とか、人の命や尊厳などより、裁判所の都合が優先された、ということだ。

結論ありき、が「普通」

再審は開かせないーー名張毒ぶどう酒事件の再審請求は、こうした裁判所の結論ありきの姿勢との戦いだった。

2012年5月、名古屋高裁の差し戻し抗告審の「不当決定」に憤る鈴木弁護士に
2012年5月、名古屋高裁の差し戻し抗告審の「不当決定」に憤る鈴木弁護士に

たとえば、第5次再審請求審で、唯一の物証であったぶどう酒の王冠についた傷が奥西さんの歯型と一致するという有罪判決の認定は、木っ端みじんに打ち砕かれた。それでも名古屋高裁は、王冠の傷は奥西さんの歯型に類似しているという旧鑑定にも「それなりの証明力が認められる」とか「自白の補強証拠の一つとなりえないとはいえない」などと有罪方向での評価を与え続けた。

そもそも、証拠とされた王冠が、本当に事件に使われたぶどう酒のものだったかどうかも、疑わしいところがある。事件の現場となった公民館からは、証拠として出されている王冠以外にも、たくさんの酒類の王冠がみつかり、警察が押収し、検察に保管されている。再審弁護団の初代弁護団長は、「(王冠が)ざくざくあった」と述べていた。だが、それは未だに開示されていない。

第7次請求審で再審開始決定を取り消した門野決定は、「…ではないかと考えられる」「…のようにも思われる」「…も無視できないように思われる」「…としてもおかしくないように思われる」などと想像や推理、推測、憶測を幾重にも重ねて、科学者の意見を退けた。そして、「当然極刑が予想される重大犯罪であり、そう易々とうその自白をするとは考えられない」と、「自白」に寄りかかって判断をした。無実の人の虚偽「自白」や目撃者が虚偽や誤解に基づいた「証言」によって、これまでたくさんの冤罪が作られてきた教訓は、そこでは全く忘れ去られていた。

どれだけ有罪の事実認定が疑わしくなっても、とにかく確定判決を死守するという結論は動かないのだ。これが、多くの裁判官の対応だった。私には異常に思えたが、裁判所の世界では、これが「普通」なのだろう。

「普通」につぶされる「まとも」な判断

それでも、時々まともな裁判官は現れる。

ここで私が言う「まとも」とは、

1)再審請求審においても、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が適用される、とした白鳥決定を意識する

2)自白などの供述に頼るより、客観的な証拠、とりわけ科学的知見を重視する

という姿勢を意味している。

第7次再審請求審で再審開始を決定した小出コートは、1)の意味で「まとも」だったし、科学的知見を重視して判断をやり直すように求めた最高裁第3小法廷は、2)の意味で「まとも」だった。もちろん、いずれも弁護側の主張を丸飲みしたわけではない。たとえば小出決定は、それぞれの証拠の意味するところを的確に把握し、事実認定のうえで新たな視点を提供しているかどうかで採用不採用をきっぱり分別。そのうえで、確定判決に合理的な疑問が生じている以上、再審を開くべき、という明解な論旨だった。

ところが、そういう「まとも」な判断が出るたびに、それを他の「普通の」裁判官たちが潰しにかかる。その繰り返しだった。門野コートは自白に依存し、下山コートに至っては、検察官が主張もしていない化学反応を自ら考え出して、せっかく開きかけた再審開始の扉を、再び閉ざした。

その挙げ句の果ての、今回の最高裁の決定だ。

再審は、過去の裁判を見直す作業でもある。裁判所の判断が誤っていたかもしれない。見逃した事実があるかもしれない。そんな謙虚な姿勢で証拠を見直し、様々な意見に耳を傾けるのでなければ、間違った裁判は正せない。

残念ながら、今回の最高裁にそうした謙虚さは欠片も見られなかった。無辜を救済する使命感も全く感じられなかった。伝わってきたのは、「裁判所は間違わない」との無謬神話を維持する強固な意志と、裁判所の対面や都合を優先する姿勢ばかりだ。

裁判官は選べない。ならば…

毒ぶどう酒事件被害者の霊を慰める観音像
毒ぶどう酒事件被害者の霊を慰める観音像

私が名張事件と関わって、もう20年以上になる。その間、他の再審請求事件についても、取材をしたり、関心を持って見てきた。

確かに、足利事件、氷見事件(富山強姦・同未遂事件)、東電OL殺害事件などで再審無罪判決は出ている。ただ、これらの事件は、DNA鑑定や真犯人の逮捕によって、犯人が別人であることが明らかになったケースだ。そうでもなければ再審が開かれないのでは、冤罪の犠牲者を救うことは難しい。実際、冤罪と思われる事件でも、再審の扉はなかなか開かれず、いったん開かれた扉も、すぐにまた閉じられてしまう。

圧倒的多くの「普通」の裁判官が過去の裁判所の判断を見直したがらない中、時折「まとも」な裁判官が現れたり、「まとも」な判断がなされたりする。それは他の事件でも同じだ。

けれども、被告人も再審請求人も、裁判官を選ぶことはできない。格別に幸運で、「まとも」な裁判官や「まとも」な判断に続けて出くわせば、雪冤を果たせるかもしれない。けれども、そうでない多くの場合は、救われない。これが今の日本の司法の現状だ。

その結果、奥西さんは名古屋高裁の逆転死刑判決以来、44年間も獄につながれている。

かといって、裁判所が自ら変わっていく、ということは全く期待できない。ならば、これ以上「運」に任せるのではなく、こんな事態がまかり通っている仕組みを変えていくべきだ。

そこで提案が3つある。

1)現在の裁判で認められている程度の証拠開示を認める

今なら、名張毒ぶどう酒事件は、裁判員裁判対象事件となり、公判前整理手続きの過程で検察側の証拠が幅広く開示される。過去の冤罪事件では、検察側はしばしば、自分たちの筋書きに反する証拠を隠していきた。たとえば、東電OL事件では、被害者の口や胸部にゴビンダさんとは異なる血液型の唾液が付着していたことを、検察側は長く伏せてきた。布川事件では、犯人とされた2人とは違う男を被害者宅付近で見たという女性の証言が、やはり長く隠されてきた。

名張毒ぶどう酒事件は、検察側が証拠提出した関係者の調書類だけでも、不自然極まりない変遷がある。それ以外の調書や王冠の”発見”過程などが明らかになれば、事件の真相に近づくことができるかもしれない。

最近は、証拠開示に前向きな裁判官も出てきている。しかし、そういう裁判官に当たるかどうかは運次第。それではいけない。どんな裁判官に当たってもいいように、現在、裁判を行うのであれば認められる程度の証拠開示は、再審請求審でも認められるよう、制度として定めるべきだ。

2)検察官による異議申し立ては認めない

今回の最高裁決定は否定したが、「疑わしきは被告人の利益に」の原則を再審請求審でも適用するとした「白鳥決定」は、維持すべきだと思う。

名張毒ぶどう酒事件については、一審の津地裁は明解な無罪判決を書いている。そして、第7次再審請求審の名古屋高裁小出コートは、いくつもの論点を検討して、有罪判決に「合理的疑い」を抱いた。少なくとも、6人の裁判官が関わった2つの裁判体で、奥西さんを犯人とする検察主張や有罪判決に対し、「合理的疑い」を抱いた事実は大きい。

ましてや、死刑判決である。「合理的疑い」をさしはさむ余地が少しもないほどに有罪立証が固められていなければならないはずだ。それに対し、再審請求審において、3人の裁判官が「合理的疑い」を抱いた。この時点で、検察側の異議申し立ては認めず、すぐに再審を開いたらどうか。

現状では、事実上「再審開始=無罪判決」となっているため、いったん再審開始決定が出ても、検察官は異議を申し立てて、それを阻止しようと努める。その発想を変え、「再審開始=起訴時に戻って裁判をやり直す」として、検察側の主張はそのやり直し審で十分主張すればよい。裁判のやり方も、事件当時の訴訟法ではなく、現在の法律に基づいて行う。法制度は「改正」、つまりよりよく改められてきたはずで、何も以前の悪い制度で行うことはないだろう。

このようにすると、再審で有罪判決が出されることもありうる。それを承知の上で、検察側異議申し立てを認めずに、再審開始のハードルを少し下げることが必要だと思う。

3)再審請求審に市民が参加する

前述したように、「普通」の裁判官たちは、過去の裁判所、すなわち先輩たちがなした判断の間違いを正すことに、非常に消極的である。間違いを認めると、裁判所の権威に関わるとでも思っているらしい。

そうであるならば、過去の裁判所の間違いを正す機会を作る役割を、職業裁判官たちに任せたままにしておくことは、間違いなのではないか。

裁判をやり直すかどうかの判断には、過去の裁判所に何のしがらみもない市民が関わるべきだ、と私は思う。市民だけで判断をする検察審査会方式にするのか、裁判官により多くの市民が加わる裁判員方式がいいのかは議論すればよい。いずれにしても、再審の扉を開く鍵を、裁判所だけに託しておくことは、人の道に反している、とすら思う。

大きくうなずいた奥西さん

奥西さんには、17日のうちに弁護士2人が結果を伝えた。気管を切開していて、言葉を語ることはできないが、この日の意識は清明で、右手をやや上げて弁護士を迎えた、という。2弁護士によると、状況は次のようなものだった。

伊藤和子弁護士が、奥西さんの右手を握った。野嶋真人弁護士が、こう切り出した。

「最高裁の決定が届きました」「僕らの力が及ばず、ごめんなさい」

これで全てを察した奥西さんは、石のように固まって、うつろな表情で天上を見つめた。「僕らは絶対諦めません」「弁護団はこれからも今まで以上にがんばる」「次の準備をしています」…

2弁護士がそう繰り返し呼びかけると、奥西さんはうなずいた。

「8次(再審請求)をやりますよね」

野嶋弁護士の声に、2度、うなずく奥西さん。

八王子医療刑務所に移ってからの奥西さんの似顔絵。小池義夫弁護士が描いた
八王子医療刑務所に移ってからの奥西さんの似顔絵。小池義夫弁護士が描いた

「僕らを選任してくれますか」

さらに大きなうなずきが返ってきた。そして、必死に何か喋ろうと口を動かす。しかし、声にはならない。野嶋弁護士が口元に耳を寄せたが、聞きとることはできなかった。

以前は、面会のたびに、「皆さん、ありがとう。がんばります」と言葉が返ってきた。野嶋弁護士が「『ありがとう。がんばります』と言ってくれているのですか?」と聞いた。奥西さんは、やはり大きくうなずいた。

裁判所や法務当局は、奥西さんの獄中死を待っているのかもしれない。それに抗うかのように、奥西さんは懸命に命の灯火をともし続けている。

制度を変えるには時間がかかるだろう。

だが、奥西さんの命の時間はそう長くない。

本当に、なんとかならないものだろうか。

弁護団は、急ピッチで第8次再審請求の準備を進めている、という。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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