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外務省機密漏洩事件・記者たちの証言

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

今回の特定秘密保護法案で再びクローズアップされている外務省機密漏洩事件。毎日新聞の西山太吉記者が、外務省事務官から提供された秘密の電信文を元に、沖縄返還の際、アメリカが地権者に払うべき現状回復費400万ドルを日本が肩代わりする密約を報じるなどしたことが、国家公務員法(守秘義務)違反の教唆に当たるとして、逮捕起訴された。当時は、事務官との男女関係がスキャンダルとして取り上げられ、国の秘密と報道のあり方について、報じられたり議論されたりする機会はほとんどなかったようである。現在でも、「取材の手法」ばかり注目されがち。西山氏の行為が、国家秘密を報じる報道の意義という観点から議論されることはあまりに少ない。

各社のエース記者が登場

しかし、この事件を裁く法廷では、西山記者の同僚である毎日新聞の記者のみならず、一審で朝日新聞編集委員の富森叡児(退社後は政治評論家)、読売新聞解説部長の渡辺恒雄(現在主筆)の各記者、そして控訴審では読売新聞広告局長の氏家斉一郎(元経済部長、後に日本テレビ会長)、共同通信解説委員長の内田健三(後に政治評論家)と各新聞社のエース級の記者が次々に証人となった。

各社記者の証言を報じる地味な記事
各社記者の証言を報じる地味な記事

会社の枠を超えての協力は、西山記者への友情もあったかもしれないが、それだけ、この事件によって「報道の自由」「知る権利」が制約されかねないという危機感が強かったのだろう。各紙での報道ぶりは実に地味だったが、記者たちは自身の取材経験に基づいて、秘密を報じることの意義を熱く語っていた。

中でも渡辺、氏家、内田の3氏は、自身の体験をできる限り具体的に引いて、秘密とされる外交交渉を報じる必要性を強調。そのために、氏家氏は、自身が行ったスクープの内幕を、ぎりぎりまで詳しく述べた。

いずれも、国が秘密指定している情報を入手し、外交交渉の過程や政策の立案過程を報じることで、国民がそれをチェックすることの大切さだと説いた。その具体例として記者たちが例に挙げたのは、沖縄返還の条件、そして沖縄返還交渉と合わせて行われた日米繊維交渉だ。

政府の方針が国益に叶うとは限らない

記者たちの証言速記録
記者たちの証言速記録

証言によれば、政府は当初、沖縄から核兵器を撤去して非核3原則を適用する「核ぬき本土なみ」ではなく、「核付き自由使用」つまり、核兵器を配備したまま米軍に自由に基地を使わせる形の返還で考えていた、という。外務省からは、米国側が強硬であるなど、そうした方向での情報提供がしばしば行われた。

ワシントンに駐在していた渡辺氏は、米国務省の高官らへの取材で、実は米側はもっと柔軟であることを察知。こうした経験から、渡辺氏は次のように証言している。

「外務省の交渉にあたっている当事者が、自分たちの理念とか政治的な立場から、ある種の方向に交渉を引きずっていくことがしばしばありました」

とりわけ、日米繊維交渉に関しては、外務省の交渉のやり方が「果たして日本の国益に合致するか否かについては疑問をもっていた」と述べた、

日米繊維交渉は、大統領選挙中に米国の繊維業界の保護を約束したニクソン政権が、日本にも繊維製品の対米輸出制限を要請したところから始まった。沖縄返還交渉のために渡米した佐藤首相がニクソン大統領との会談で、輸出自主規制を約束。「糸(繊維)と縄(沖縄返還)の取り引き」と言われた。交渉は難航。沖縄返還の後、日本が輸出規制と繊維業界への補償を行うことで決着した。

渡辺、氏家両記者が、佐藤・ニクソン会談で密約が行われたことの弊害を証言。政府のやることが「国益」とは限らないとして、次のように述べている。

「外務省の意図に反して、交渉経過をある程度国民の前に公表することは非常に必要」「外務省側が隠そうとしていることに、最も重点を置いて取材するわけです」(渡辺)

「(佐藤首相の約束が)どれだけ国内の繊維業界に跳ね返ったか。そのために機械を壊したり、多額の金を国が注ぎ込むことになった。政府最高首脳の一種の密約的なものが、そういう結果をもたらす。非常に危険だ。だから、そういう場合はなおのこと、積極的に国民の前に真実を明らかにしていかなければならない」(氏家)

国民の監視はなぜ必要なのか

氏家氏は、こうも述べている。

「為政者といえども全知全能ではないわけですよ。むしろ、権力が腐敗するということのほうが、むしろ真実に近いわけです。歴史が物語っているように。特に最近のニクソンの例などは、まったくそれを物語っているでしょう。だから、我々は、それを国民の前にさらして判断を待たなくちゃいかんと。国民の大半がニクソンと佐藤さんの密約を認めるというならば、そこで初めてその密約は成立する種類のものだと、私は考えております」

「政府は外交交渉権を持っておりますね。外交交渉権を持っているからといって、無制限にやってもいいというものじゃないんでして、逆にその権限が強いから、これをある意味で監視し、抑制しなければならないということが、国民の側から要請されてくるわけです」

また内田氏は、慌ただしい日中国交回復の中で、中国がソ連を意識した覇権条項が入り込んでしまっていたことが後に問題になったり、日中関係に気を取られている間に行われたハワイでのニクソン・田中会談で航空機の緊急輸入が決められ、それがロッキード事件につながっていくことを挙げて、こうした外交交渉での取材報道が不足していたために問題に気づくことができなかったのではないかと、内省的な証言を行った。そのうえで、外交交渉のプロセスが国民に伝わることの大事さを「確信して」いると述べた。

秘密はむしろ多すぎる

さらに渡辺氏は、一審で西山記者に対しては無罪判決が出た直後、〈「知る権利」は認められたが/秘密扱い多すぎる/報道制限この際改めねば〉の見出しで署名記事を書いている。そこで、次の様に指摘した。

〈記者がこれまで、わが政府による数多くの外交交渉を取材してきた経験からすると、政府側はしばしば、自らの落ち度や不手際をかくしたり、当然国民に知らすべき対外約束や取引を”密約”としてかくしたり、また官僚的保身上の臆病さから、秘密に値しないものを、やたらに秘密扱いしてきた例はあまりにも多かった〉

当時と今では、ジャーナリズムを巡る状況、メディアのありよう、日本を取り巻く環境を含めた国際的な情勢は随分と異なっている。また、取材する者と取材される側の関係や取材手法なども、証言当時の価値観や常識が、すべて今でも通じるというわけではないだろう。

しかし、官僚が情報をコントロールしようとする習性、その弊害は今もそれほど変わりはないのではないか。秘密情報をなぜ取材し、報道するかという根幹の部分についての記者たちの証言録は、今読み直してなお、大事な事柄が語られていると思う。政府が秘密にしようとしている情報が、完全に国民の手に届けられなくなるというのはどういうことかを考える手がかりにもなるのではないか。

最後に、渡辺氏の次の証言を引いておきたい。

「外務省の発表を待っていたのでは、当然国民に知らされなければならない交渉経過が、永久に報道されずに終わってしまう」

今、議論されている特定秘密保護法の問題点も、まさにそこにある。

渡辺、氏家記者の証言抜粋はこちら→外務省機密漏洩事件裁判での3記者の証言抜粋(1)

内田記者の証言抜粋はこちら→外務省機密漏洩事件裁判での3記者の証言抜粋(2)

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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