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可視化時代に向けて舵を切った検察

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
最高検、東京高検、東京地検のある霞が関の検察庁

刑事司法の歴史は、1つ新たなページめくったのかもしれない。

7月18日に行われた最高検新旧検事総長ら4人の検察幹部の記者会見では、いずれも取り調べの録音・録画に対して、かつてない前向きな発言が続いた。

検察改革の最大の成果は録音・録画

まず、退任する小津博司検事総長。

記者会見する小津検事総長
記者会見する小津検事総長

任期中最も印象的なこととして、取り調べの録音・録画の拡大を挙げ、「全国の地検を回っていて、最初の頃はみんな口では『やります』と言ってはいたが、(内心は)大丈夫だろうかと思っていて、中には積極的な人もいるが消極的な人もいる状態だった。しかし最近は、録音・録画は意義がある、という確信を持った発言が増えている」と述べた。さらに、検察改革の成果を聞かれても「一番大きいのは、録音・録画」とした。

最高検は先月、起訴される見込みのある身柄事件で、被疑者の供述が立証上重要であるもの、取り調べ状況を巡って争いが生じる可能性があるものすべてを対象に、録音・録画を試行すると発表した。被害者や参考人の供述が重要な事件では、その事情聴取の録音・録画も行うこととした。実際にはどのような試行を行われるのかは明らかではないが、10月から実施されることは決まっている。

一方、法制審議会特別部会がとりまとめた答申では、録音・録画の義務化は裁判員裁判対象事件と検察の独自捜査に限られることになった。この議論では、自らがえん罪の被害者となった村木厚子さんら5人の委員は、全事件全課程の録音・録画を目指すよう求めてきた。

録音・録画をしないと勝てない時代に

取り調べの録音録画への意欲を語る大野恒太郎新検事総長
取り調べの録音録画への意欲を語る大野恒太郎新検事総長

検察としては、どういう方向性でこれからの試行を行うつもりなのか。

この質問に対し、大野恒太郎新検事総長は次のように答えた。

「録音・録画は、積極的に活用していくべき。実務において、公判で自白の任意性信用性が問題とされた場合、録音がない場合は(検察の有罪)立証のハードルは上がる。立証責任は検察にある。当然のことながら、裁判所を説得できなければ、検察の役割が果たせない。裁判所でおよそ問題にならないケースは対象としないが、問題となる場合は録音・録画を積極的に活用していく」

自白の任意性や信用性が争われた時、取り調べが適正に行われたことを示す客観的証拠を示さなければ勝てない時代になる、という危機感がにじみ出ていた。

大野新検事総長は、今後の録音・録画拡大について「今までより、相当大きなものになる」と強い口調で言い切った。

弊害は「我々の創意工夫で乗り切る」

録音・録画を前提にした捜査に前向きな姿勢を示す青沼検事正
録音・録画を前提にした捜査に前向きな姿勢を示す青沼検事正

では、実際に取り調べを行う現場サイドは、これをどう受け止めているのか。

東京地検検事正に就任した青沼隆之氏は、就任記者会見で「録音・録画には弊害もあるのではないか」という質問に対し、こう答えた。

「現在、特捜部の事件ではほぼ100%全課程の録音・録画を行っている。録音・録画の下では、否認から自白に転じるケースはあまりなく、黙秘する者も多い。だが、それを弊害と言うべきなのか?そんなことを言っても、これから制度化されるわけで、負け犬の等吠えをしても意味がない。録音・録画の下で真相を語らせる取り調べ技術を磨き、客観的証拠を集めることで言い逃れができないような捜査を行う。新たな立法に応じた捜査で乗り切る。我々の創意工夫が求められる」

従来型の取り調べができないことを「弊害」ととらえるのではなく、可視化を時代の潮流と受け止め、その中で効果的な取り調べを行う検察を作っていく、という意欲が、言葉の端々からほとばしっていた。

最高検は、笠間・小津の2代検事総長のもとで行われた改革の結果を、『検察改革3年間の取組―検察の理念とその実践ー』という文書にまとめた。そこでは録音・録画の「有用性」が、「問題点」の2.5倍の文字数を費やして力説されている。

私が「検察の在り方検討会議」の委員を務めた3,4年前には、できる限り可視化は避けたい、やるとしても録音・録画の範囲をできるだけ小さくしようと務めていた検察の姿勢からすると、隔世の観があると言うほどの大変化だ。

可視化(全課程の録音・録画)は、取り調べに問題があった場合に後からチェックでき、不当・違法な取り調べを防ぐことができる、という点で、冤罪防止に役立つ。ただ、それだけではない。適正な取り調べの中で自白した映像が残っていると、裁判になってから撤回しにくいし、公判で否認しても、捜査段階の取り調べの任意性や信用性が認められやすい。被疑者の供述態度が悪ければ、それもそのまま記録される。そのような場合、取り調べを記録したDVDは、検察側にとって有利な証拠となる。

そうした効用を活用し、むしろ録音・録画を自らの武器として積極実施する方向に、検察は大きく舵を切った、と言えるだろう。

これからの刑事司法は「未知の分野」

長く取り調べの可視化を訴えてきた小坂井久弁護士は、「その方向性は高く評価できる」としつつ、こう指摘する。

「その後の刑事司法が、どうなるかは未知の分野。これまでの”たたき割る”取り調べができなくなった後に、どのような捜査が行われるのか。裁判所がどのような判断を行うのか。弁護士が検察の組織的な対応に、どこまで追いつけるか、という問題もある」

しかも、警察で可視化されるのは裁判員裁判対象事件のみで、全起訴事件のわずか2%。4人が誤認逮捕され2人が虚偽自白に追い込まれたPC遠隔操作事件や、やはり虚偽自白を強いられ服役を終えた後に真犯人が見つかった氷見事件、警察が選挙違反をでっち上げた志布志事件などのようなケースは、肝腎の警察段階で、いずれも録音・録画の対象にならない。

「なので、検察が全件やったとしても、実際は”部分可視化”でしかない。それを、いかにして拡大していけるかが課題。警察のような大組織では、時間もかかるだろう。しかし、録音録画がなければ、裁判所が自白の任意性や信用性が認めないようになれば、変わらざるをえない。これまでのような『叩いて、のばして、枠にはめる』という”板金捜査”、100年以上続いてきた捜査の伝統は変わらなければならない。弁護士もまた、この新しい事態に対応できる弁護活動をしていく責任がある」

可視化は進めて行かなければならない。だが、小坂井弁護士が言うように、それが進んだ先の刑事司法が、どのようなものになるかは、まだ見えてこない。また、検察が冤罪の防止に対する姿勢が、格別変わったわけでもなさそうだ、という点にも留意する必要があるだろう。たとえば、日本の刑事司法の最大の問題の1つと言われる人質司法について、検察の対応には、なんの変化も見られない。

その検察の「創意工夫」は、いかなるものになるのだろうか。従来からの課題を積み残したまま、検察が、可視化の時代という新たなページにどういう絵を描こうとしているのか。新体制の検察が、記者会見で語った誓いを個々の事件でどう実践していくのかも含め、国民は今まで以上にしっかり見ていく必要がある。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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