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カメラマンのパスポート没収裁判始まる

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

今年1月に「イスラム国」(IS)に拘束されていたジャーナリストの後藤健二さんが殺害された後、シリアを取材する予定だったフリーのカメラマンがパスポートを”没収”された事件をご記憶だろうか。このカメラマンが国を相手に、パスポートの返納命令の取り消しなどを求めた裁判の第1回口頭弁論が14日、東京地裁で行われた。

第1回口頭弁論を終えた杉本祐一さん
第1回口頭弁論を終えた杉本祐一さん

原告で新潟市在住の杉本祐一さんは、今年2月27日に日本を発って、トルコを拠点にシリア国内のクルド人支配地域を取材するつもりだった。その予定が、2月4日付の地元新聞に報じられると、翌5日に外務省から渡航中止を求める電話が入った。地元警察からも同趣旨の電話があった。杉本さんはいずれにも、「行かせて欲しい」と答えた。すると、7日夜に外務省職員が警察官を伴って杉本さん宅を訪れ、返納命令書を読み上げた。

杉本さんによれば、その際、外務省職員から「返納に応じなければ、逮捕もありうる」と言われ、やむなく返納に応じた【=第1処分】(国側は、「逮捕」の警告については否認している)。 

パスポートがなくなったため、取材は断念。その後、3月20日に新たにパスポートの申請を行い、4月7日付で発給されたが、イラクとシリアでは無効という制限がついていた【=第2処分】。

原告の主張「憲法違反・法令違反・手続き違反」

訴状によれば、杉本さん側は次のように主張している。

1)どちらの処分も、海外渡航の自由や報道の自由・取材の自由といった憲法上の権利を侵害している。

2)取材予定地は、トルコ国境近くで、クルド人勢力が奪還したコバニだけ。ここではクルド勢力によって外国の報道関係者のためのプレスツアーも行われていた。返納命令について定めた旅券法19条1項4号が言う「旅券の名義人の生命、身体または財産の保護のため渡航を中止させる必要があると認められる場合」に該当しない。

3)公権力が本件のような不利益処分をする場合は、本人の言い分を聞く聴聞・弁明の機会を与えなければならないが、いずれの処分でも行っていない。行政手続法は「緊急」の場合は、聴聞の省略も認めているが、第1処分においても、出発までに3週間もあったのであり、意見陳述ができないほどの緊急性はなかった。いずれの処分も、手続き的にも違法である。

国の主張「いずれも適法」「潜伏生活の可能性も…」と

これに対し、国は第1回口頭弁論によいて、いずれの処分も「適法」と主張。10月14日付の答弁書において、次のような主張を展開した。

a)シリア情勢から、原告の生命・身体に危険が及ぶおそれが高く、渡航を中止させる必要性が強く認められた。

b)返納されたパスポートは効力を失っていない。二重発給は、渡航先を特定して例外的に認められている措置であり、シリア・イラクを渡航先からのぞいたのは、外務大臣の裁量権の範囲内。

c)第1処分は緊急性があった。出発までに3週間あったと言っても、新たな航空券を購入して出発日を繰り上げて密かに出国することも考えられたし、国内の知人宅に身を寄せるなどして潜伏生活を続けて外務省が所在を把握できず、返納命令が執行できなくなったかもしれない。第2処分は、不利益処分に該当しないから、聴聞・弁明の機会は必要ない。

「密かに出国」とか「潜伏生活」とか、あたかも悪事を働いた逃亡犯のような記述が並ぶ。とりわけ第1処分の緊急性についてのこうした主張は、いかにも後付けという感じがする。

”官邸主導”の迅速処分

国側はあれこれ言うが、杉本さんに何ら事情説明の機会を与えないまま、あっという間にパスポートを没収した”迅速さ”は、異様だった。この、慌ただしい処分は、”官邸主導”で行われたようだ。

外務省が報道を通じて杉本さんの予定を把握したのが2月5日。翌6日には、官房副長官が外務省幹部を呼び出し、首相官邸の意向を伝えて、その場で返納命令が決まったことが、国会議員の調査で明らかになっている。

新たなパスポートの「イラクとシリアは除く」との記載
新たなパスポートの「イラクとシリアは除く」との記載

取材のための旅行を、政府がパスポート没収という強権を発動してやめさせる、というような例は聞いたことがない。後藤さん殺害の衝撃は、政府にとっても、大きかったに違いない。そのうえ、安倍首相が中東で行った演説を含めて政府の対応への批判も出ていた。また何か起きたらかなわんから、あらゆる手段を使って渡航を阻止しろという指示が、官邸サイドが外務省にあったのだろう。そして、その後は官邸から新たな指示が出ていない以上、杉本さんをシリアなどには行かせない方針は維持されているとして、第2処分へとつながったのではないか。

国の情報コントロールが強化?

これまでも、イラクの取材を行おうとする記者が、「日本政府の許可がなければビザを出せない」とイラク当局に発給を断られるなど、日本政府が水面下で外国政府に働きかけ、日本人記者の取材を制約していると見られる事象はあった。杉本さんのケースは、政府が海外での取材制限を、もはや公然と行う状況になったことを示している。

新たな安保法制によって、自衛隊の海外での活動機会が広がり、戦争に関与する可能性も高くなった。そんな中、今回のような国の対応が合法とされたら、どうなるのだろうか。少なくとも、国は取材や報道の規制に応用できる有力な”武器”を1つ手にすることになる。

第1回口頭弁論の後、杉本さんはこう言った。

「僕だけの問題ではないと思ってもらいたい。全ジャーナリストの問題であり、マスコミの問題でもある」

それはつまり、国民の耳と目に入る情報のコントロールを国が強めていくことの是非であり、国民の知る権利の問題である。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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