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【災害支援】長岡市の官民協働型支援に学ぶ

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
被災した熊本城
被災した熊本城

今回の熊本地震では、全国の自治体が様々な支援を行っている。私が現地を訪れた時にも、様々な自治体の腕章やビブスを着用した派遣職員が、役所の窓口に座り、避難所や被災物資の配布場で物資の支給などの業務に当たっていた。そんな中で、ひときわ目を引く存在が、新潟県長岡市が派遣したチームだった。市職員だけでなく、地元のNPOなど民間組織がつながる「チーム中越」のメンバーをセットで派遣する官民協働型支援を行っていた。新しい災害支援の試みであると同時に、地元に帰ってからも、日常の行政と市民の関係にプラスの効果をもたらしそうだ。

避難所準備の現場で

私が直接彼らの活動を見たのは、熊本市が避難所を集約する際、熊本市総合体育館を拠点避難所として準備する作業をしていた現場だった。ここでは、熊本市が全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD)に依頼があり、民間組織が避難所の設営準備で重要な役割を果たした。そこで中心的な役割を担っていたのが、長岡市職員とチーム中越のメンバーだった。

熊本市の拠点避難所に移転する被災者の受付をする小林さんら長岡市職員
熊本市の拠点避難所に移転する被災者の受付をする小林さんら長岡市職員

予想していなかった大地震に見舞われた熊本市は、かなり混乱していた。被災者受け入れ当日になっても、避難所運営の責任者は決まらず、情報も錯綜し、受付をするはずの職員も来ない状況だった。それでも、被災者を載せたバスは到着し、2つの区から避難の住民が次々にやってくる。急遽、現地に派遣されていた長岡市職員のリーダーだった小林伸治さん(総務部市民窓口サービス課課長補佐)の判断で、同市職員4人が二手に分かれて、受付業務を行った。

他のNPOと共に避難所の準備をするチーム中越(オレンジ色)、長岡市職員(作業服)
他のNPOと共に避難所の準備をするチーム中越(オレンジ色)、長岡市職員(作業服)

そのほか、熊本市側との打ち合わせで、小林さんは様々な情報を提供した。たとえば避難所設営に関する経費などについて、長岡市が利用した制度の資料一式を用意し、最終的に経費は国が負担するので、お金のことは心配しないで、被災者対応に集中すればよいことなどを、懇切丁寧に説明した。こうした資料は、長岡市の危機管理担当からFAXで送ってもらったもの。同市では、現地からの要望には迅速に対応するバックアップ態勢も整えたうえで、職員を送り出していたのだった。

一方、チーム中越のメンバーは、被災者の居住環境を整え、談話スペースを設置するなど、被災者同士がコミュニケーションしやすい環境を整えたり、移ってきた被災者の対応に追われていた。

「官民連携できめ細かい支援を」

長岡市は、2004年の中越地震で甚大な被害を受けた。全村避難をよぎなくされた山古志村も、その後の合併で、今は長岡市の一部になっている。こうした被災の歴史を忘れず、次の世代に伝える取り組みも、意識的に行っている。さらに同市は、中越沖地震、豪雪、豪雨と、その後もたびたびの自然災害に見舞われ、官民協働の対応で乗り切ってきた。東日本大震災の時には、職員を被災地に派遣したほか、原発事故の影響で避難した福島県の人たちを受け入れ、避難所を開設している。

今回は、「行政と市民が連携することで、きめ細かい対応ができるはず」という森民夫市長の発案で、初めて官民がタッグを組んで、派遣することになった。

被災地支援から戻った官民協働チームの一部
被災地支援から戻った官民協働チームの一部

チーム中越の核となったのは、中越地震の際の復興基金で設立された中越防災安全推進機構。地元の災害で民間の立場で被災者支援を行うほか、東日本大震災など県外の災害にもメンバーを派遣するなど、災害対応の経験は豊富だ。ただ、同機構の地域防災力センター長の諸橋和行さんは、「熊本までの距離を考えた時、どこまで力を投入するか、最初は悩んだ」という。しかし市から、「市として支援をする。民間とチームを組んで行きたい。人を派遣してもらいたい」という要請が来て、協力を即断した。

2度目の震度7が発生した4月16日、市職員1人とチーム中越5人からなる先遣隊が出発。運営がうまくいっていない避難所が多いのに気づき、拠点を決めて支援を行うことにした。チーム中越は同月23日、市は25日に、それぞれ4人を第2陣として派遣。市職員は一つの班が2週間ほど滞在できるようにし、チーム中越としては、避難所担当のほか、子育てや多世代交流の支援を行っているNPOや外国人被災者の救援活動の経験豊富な人材が送り込まれた。

体験があるからこそ分かる被災者の思い

最初に拠点とした熊本市内の中学校の避難所では、市の職員が日替わりで派遣され、学校の先生方によって運営されていた。しかも、被災者同士の交流もほとんどない状態。これでは、行政が状況の変化を把握できないし、もっと住民主体の運営に移行していかないと、授業の再開にも支障が出る。長岡市の職員は、自分たちの体験をもとに、運営のあり方をアドバイス。チーム中越のメンバーはお茶会を開いたり、談話スペースを設けたりして、被災者同士の対話を促した。打ち合わせでは、官民双方で、避難所でのコミュニティ作りの大切さを伝えた。

避難所で開いたお茶会で被災者と話す石黒さん(オレンジ色ベスト、チーム中越提供)
避難所で開いたお茶会で被災者と話す石黒さん(オレンジ色ベスト、チーム中越提供)

チーム中越の第2陣の一員として、この避難所に入った石黒みち子さん(中越市民防災安全士会・応急手当普及員)も、中越地震の時に体育館で避難生活を送った体験画ある。

「熊本で避難している人たちは、同じようにつらい状態だろうと思って行きました。避難所では、特に年配の方々が、話したいことがあるのに、なかなか言い出せない様子。お茶会に来てもらうきっかけをつくるために、避難所のテレビの前にいた方々と、新聞紙でくず入れを作る手作業を一緒にやりながら、私自身の被災体験もお話して、お誘いしました。当日は、予定の30分も前から人が集まり、お茶を飲みながら、地震で怖かったことや、生活に見通しがつかない不安などを話されていきました」

アパートが壊れて帰るところがない、という一人暮らしの高齢者は、民間の賃貸住宅などを借り上げる「みなし仮設」の抽選に外れ、仮設住宅もなかなかできないことを考えると、これからどうなるのか心配だと、切々と語った。

「私も、(中越地震の時は)いっそのこと家の下敷きになっていれば……などと思ったりするほど、まったく望みが持てない時期がありました。なので、熊本の皆さんにも、『今はつらいけど、何ヶ月かしたら、辛い時は乗り越えたと思える時は来る、きっと喜びの日は来ますから』とお伝えしました。被災地では、本当に同じような問題で苦しんでいるんですね。ただ、(中越地震の時と違うのは)皆さん孤独で、話し相手もないまま、辛い思いを抱えて、与えられたスペースで毎日を過ごされていた。都会での被災ってこうなんだな……」

「現場で判断して支援しろ」

先に紹介した、私が熊本市総合体育館で会った小林さんは、市の第3陣として熊本入りした。

「私のミッションは、チーム中越とタッグを組んで避難所の支援をすること。具体的に何をやれという指示はなく、これまで2回避難所運営に携わったことがある者として、現地を見て、何に困っているか、どういう支援をしたらいいか、現地で判断して支援しろ、というものでした」

小林さんは、中越地震のほか、東日本大震災の際、福島の人々を長岡市が受け入れた避難所の運営にも関わっている。私も、熊本市との打ち合わせを何度か端で聞いていたが、小林さんの、実体験に基づき、そのうえ法令や手続きに精通した行政マンらしい話は、落ち着いた語り口と相まって、説得力を感じた。

官民協働型支援の強み

熊本市職員やNPOと打ち合わせする長岡市職員の小林さん(長岡市提供)
熊本市職員やNPOと打ち合わせする長岡市職員の小林さん(長岡市提供)

チーム中越のメンバーが、被災者から聞いた話を小林さんら市職員に伝え、それを対応に生かしてもらうこともあった。

一緒に活動したチーム中越の河内毅さん(中越防災安全推進機構・地域防災力センターマネージャー)は、東日本大震災や茨城県常総市で鬼怒川が決壊した水害などの現場も経験している、被災地支援のベテラン。その河内さんはこう言う。

「やはり行政対行政の方が信頼感があるせいか、(熊本市の)行政の人には、僕たち民間より、長岡市の職員が話した方がスムーズに物事が伝わる」

一方、初めて民間と一緒に活動した感想を、小林さんは次のように語る。

「民間の力は大きいと思った。避難者の声は、むしろ民間の人たちが対応した方が本音を拾える。現地では行政職員が疲弊していた。避難所運営が最終目的ではなく、復興のためにやらなければいけないことを集中的にやれるようにした方がいい。避難所の運営も、NPOと行政が役割分担をした方が効率的」

日頃から官民協働でまちづくり

熊本から戻り、長岡市役所の窓口で市民に対応する小林さん
熊本から戻り、長岡市役所の窓口で市民に対応する小林さん

そうした教訓を、小林さんは日常の仕事に生かしたいと考えている。

「これまで、民間と協働で仕事をする機会はあまりなかったが、熊本での経験から、どういう担当であっても、民間で力をもっている方と協力し合うことが、市民の幸福につながると実感した

その言葉に、チーム中越の諸橋さんは大きく頷いた。

「私も同じことを思っていた。官民協働は、官の中にも民と協力することの意議を感じる人がいて、民にも官と組む必要性を理解している人がいて、それが組み合わされる時に力を発揮する。そうでない人が組んで被災地に行ったら、現地が迷惑するだけ。誰を選んでも、よい組み合わせになる状況を目指すべきであり、普段の業務の中でそういう働き方はいくらでもできる、と気づいたのが、今回の収穫。民間も、ついつい行政敵対視する風潮がなきにしもあらず。普段から、課題解決しようという目標を確認して、協働する意議と必要性を分かっている者同士が組めば、とてつもない能力を発揮すると思う

長岡市は2年前、市民と行政が協働してまちづくりを進めるべく、「市民協働条例」を策定している。今回の熊本への支援で、そうした取り組みは、さらに一歩大きく前進するのではないか。

長岡市長に聞く:「官民協働は地方自治の基本」

森民夫・長岡市長
森民夫・長岡市長

最後に、この官民協働型支援の仕掛け人、森民夫市長の話をご紹介する。

――いつ、このような形で支援をすると決めたのか。

「2度目の震度7があった日に、支援を決めました。まず先遣隊が行って、避難所運営がうまくいっていない状況が分かったので、それに関して長岡の経験をしっかりお伝えしよう、と。だからといって上から目線でアドバイザーみたいになるのではなく、避難所運営の一つのモデルを提供しよう、と。自治体の被災地支援というと、被災地の行政のお手伝いをする人を出すことが多いわけですが、うちは明確な意図を持って、避難所運営の経験があって主体的な判断ができる課長クラスをリーダーに、チームで派遣することにしました」

――対応が素早かった。

「それは、自分が中越大震災を経験したからです。あの時には、心の準備ができていなくて、歩きながら考えて、対応しなければならないことが多かった。初めて大きな災害を経験すれば、どこの自治体でも混乱は起きる。我々もそうでした。その経験があるので、この後どういう状況になるのか、すごくリアルに分かるんです。我々は、みなさんのお陰で立ち直ったわけですから、この経験を熊本でも生かしてもらいたい、と」

――市の職員だけでなく、民間のチームもセットで派遣したのはどういう考えからですか。

行政だけでは限界がある。市民だけでも、また限界がある。両者が連携することで、初めていろんなことができる、というのが基本です。行政と民間が役割を分担しながら動くことで、ボランティアや市民の力を最大限に発揮してもらいたい」

――たとえば、どんな点で?

「特に大事なのは、被災者の心のケアですよね。特に弱い立場の人には、寄り添ってじっくり話を聞く。ただ、行政はそういうところまでなかなか手が回らない。それに、災害時には、被災した人は不安や不満があるので、行政に対してどうしても要求・追及スタイルになり、対立の構図ができてしまうことがある。これはやむを得ないことなんです。そういう時に、被災者と向き合って、ちゃんとコミュニケーションをとって、一緒に解決の道を探っていく。こういうことは行政は苦手。避難所の運営は、行政だけでは絶対にできない。これは経験ですよ(笑)」

――自治体の長の中には、民間の活動を行政の下請けのように考えておられる方も……

「それが一番ダメです。ただ、市民が勝手に動くと喜ばない首長がいるのは、マスコミも一因。行政と住民が一緒になって努力してうまく行った時にも、メディアは住民ばかりに光を当てるから。特にNHK(笑)。

それはともかく、市民のアイデアやエネルギーは無限です。本来、行政の仕事はまず、そうしたアイデアやエネルギーをくみ上げること。ただし、くみ上げただけではダメで、'公平性も考えながら、それをきちんと政策に昇華させるのが、我々プロフェッショナルの仕事。市民のアイデアやエネルギーだけでは政策にならないが、それがないと動かない。市民と行政は、いわば入り口と出口というか、動機と結果というか、最初からつながっているんですよ

長岡市は、熊本市のほか、全村避難と集団移転を経験した旧山古志村の職員を、集団移転の可能性がある自治体に派遣するなど、経験を生かした被災地支援を続けていくことにしている。

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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