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【老いゆく刑務所】(1) 背景には高齢化社会の孤独、貧困、そして厳罰化も…

江川紹子ジャーナリスト・神奈川大学特任教授
朝、刑務作業に向かう前に、受刑者は各舎房の前で点検を受ける(札幌刑務支所で)

シャーシャーシャーシャー……。かなりの音量で聞こえてきたのは、蝉の声ではない。札幌刑務所養護工場で高齢受刑者たちが、一斉に木片を紙やすりにこすりつけている音だ。

札幌刑務所の養護工場で
札幌刑務所の養護工場で

刑務所では、受刑者が刑務作業を行う作業場を「工場」と呼ぶ。札幌刑務所では、印刷、縫製、機械加工、靴製造などの工場があり、製品は企業や官公庁に納品したり、全国各地で行う刑務作業製品展示即売会などで販売する。しかし、高齢や障害のために、他の受刑者と一緒の作業に就けない者もいる。とはいえ、受刑者のほとんどは懲役刑なので、重い病気や寝たきりの状態にでもならない限り、何もしないということは許されない。刑務所は何らかの作業を与えなければならないのだ。そこで、高齢者らを集めた「養護工場」を用意し、彼らにできる作業を考え、行わせることになる。

札幌刑務所でも、高齢者が増えたため、6人用の居室を改造して養護工場を作った。私が訪ねた時には、2班13人が作業していた。彼らが手にしているのは、木を輪切りにした厚さ1センチほど、直径10センチくらいの木片。やすりで表面をなめらかにし、ぬか袋でこすってつやを出し、コースターとして売るのだという。ただ、申し訳ないのだが、それほど需要が多くありそうな製品には見えない。

担当の刑務官も、それはよく分かっている様子。

「彼らにできて、もっと社会に結びつく仕事、出所後に何らかの役に立つ作業があればいいんですが……それが、ないんですよね」

作業は、極めて単純で単調。見ていると、手が止まり、うなだれたまま体が固まっている人がいる。居眠りをしているようだ。しばらくすると、はっと目を覚まし、手を動かし始める。それが10分ほどすると、また止まる。その繰り返しだ。マスクをしたまま、口をフガフガさせている者もいる。

じわじわ進む高齢化

刑務所の高齢化が言われ始めてかなり経つ。私が、最初にこの問題を週刊誌で取り上げたのは2006年だが、10年経って改めていくつかの刑務所を回ってみて、高齢化がさらにじわじわと進んでいるのを感じた。

毎年末に刑務所にいる受刑者のうち、60歳以上が占める割合は、2002(平成14)年に10%を超え、2004(平成16)年に11.5%、そして2014(平成26)年は18.4%となった。70歳以上は2.2%(05年)から5.7%(14年)へと倍増以上。新たに刑務所に入る者の総数は、2006(平成18)年をピークに徐々に減っているというのに、高齢者は逆に増えている。

社会の高齢化に加え、犯罪に関わる高齢者の比率がかつてより増加。65歳以上人口のうち、犯罪に関わったとして検挙された者の比率(10万人当たり)は、1990(平成2)年は43だったのに、2014年には143と3倍強となっている。

社会としてこの問題をどう受け止めていくかを考えるべく、シリーズで老いゆく刑務所の実情をお伝えしたい。まず、今回は私が刑務所でインタビューした人たちの声を通じ、彼らがどのようにして高齢受刑者となっていったのかを紹介していきたい。

私のインタビューに答える高齢受刑者(札幌刑務所で)
私のインタビューに答える高齢受刑者(札幌刑務所で)

増える高齢者”リピーター”

高齢受刑者には、何度も刑務所を経験している者が多い。たいていが窃盗や無銭飲食、無賃乗車(罪名は詐欺)で、1回の刑期は短いが、社会に戻ってしばらくすると、また刑務所に舞い戻ってしまう人もいる。

札幌刑務所で出会った69歳の男性もその1人。35歳で初めて広島の刑務所に入ってから、鳥取、高松、大阪、名古屋、福島、金沢、府中など全国各地の刑務所を経験し、今回の服役が18回目だという。刑期は短くて半年、一番長くて3年4ヶ月とのこと。この30年間、社会と刑務所を頻繁に行き来している状態だ。

今回は、しばらくホームレス生活などをした後に、NPO法人のグループホームに2週間ほど世話になっていたが、「なんとなく」飛び出してしまった、という。金はなく、行く当てもなくて、自棄になった。刑務所に行くつもりで、居酒屋に入り、海鮮料理と酒を頼み、さんざん飲み食いした後に、店の人に声をかけた。

「警察呼んでくれ、無銭飲食だから」

刑務所は「自由がないので嫌だ」とは言うものの、戻ってくることにそれほど抵抗がなさそうに見える。

高齢になっての犯罪”デビュー”

50代60代になって初めて犯罪に関わり、服役後も、犯罪から抜けられない者もいる。

栃木刑務所で会った70代の女性受刑者もそうだった。白さの目立つショートカットの髪をきりっとオールバックにまとめ、話し方は上品。外では、きっとおしゃれで、品のいい、素敵な女性なのだろうと思わせる。夫と2人暮らしで、夫婦仲も「普通」とのこと。おしゃれが高じてか、衣類の万引きを重ね、逮捕された。夫は「バカだな」と言いながらも、裁判の情状証人に立ってくれた。一度刑務所に行った後も、やめられず、また捕まった。夫は「心が弱いんだよ」と言うも、今も待っていてくれる、という。 

彼女も、「芯の強い人間にならないと」とは言うものの、どこか切実さに乏しく、上滑りだ。事件のことを聞いても、認知機能の衰えゆえか、そういう話はしたくないのか、どうもはっきりしない。刑務所の矯正教育で、窃盗事件を起こした者を対象にしたグループワークにも参加しているというが、果たしてこれを最後の服役にできるのか、ちょっと心許ない感じもする。

高齢者犯罪の背景に孤独あり

一方で、”リピーター”の中にも、刑務所の中で、今度こそまともな老後を送ろうと懸命にもがいている者もいる。札幌刑務支所に在監中の花田知子さん(68)=仮名=は、今回の服役が11回目だ。花田さんによると、これまでの人生は次のようなものだった。

インタビューに答える花田さん。女性受刑者は薄いピンクの作業着
インタビューに答える花田さん。女性受刑者は薄いピンクの作業着

中学時代、複雑な家庭の状況から、大人に反感を覚えるようになり、不良仲間とつきあっていた。1度だけ、彼らと万引きをしたことがあり、自分1人が捕まった。その後、結婚して子供が生まれたが、その子が1歳の頃に、町でかつての不良仲間の男と、ばったり会ってしまった。嫁ぎ先は、舅が町内会長をやるなど、地元のちょっとした名士で、厳格な家柄だった。それを知った男は、金を要求し、「持ってこなければ(婚家に)昔のことをばらしてやる」と脅した。困ったが、誰にも相談できなかった。最初は自分のお金を渡していたが、それが底をつくと、デパートなどで買い物客が品選びに夢中になっている間に、バッグを盗み取る「置き引き」で金を作った。

しかし、すぐに捕まって、警察に突き出された。裁判では執行猶予判決だったが、婚家には戻れなかった。夫と直接会うこともなく、代理人が離婚を告げに来た。「子供が18歳になったら、あなたのことを伝える」という夫の伝言に望みを託し、子供を夫に託すことに同意した。

それからは、住み込みで働いた。信頼され、事務所の鍵も任された。しかし、同僚に「人に借りたお金を落としてしまった」と泣きつかれ、事務所の金を持ち出して渡したことが露見し、再び逮捕された。執行猶予期間中だったこともあり、実刑に。初めて入った刑務所が、今と同じ札幌刑務支所だった。

出所後、東京に出た。特に手に職があるわけでもなく、生活は苦しい。

「東京って、すごく楽しい町ですけど、一人暮らしには、ものすごい孤独な町。孤独を避けるために、うわべだけの友だちを沢山作った。ご飯を食べる誘いは断れないし、できれば着るものも欲しい。それで、お金がなくなると、東京はデパートがいっぱいあるので、置き引きを繰り返しました」

それでも、子供が大きくなった時のことを考え、「まじめにやらなきゃ恥ずかしい」と思い直した。安定した収入のある仕事を探したところ、キャバレーのクロークの仕事がみつかった。仕事は結構楽しく、犯罪とは決別した生活が10年ほど続いた。しかし、子供が小学校5年生で交通事故で亡くなったと知らされ、心の支えを失った。

40歳近くなって再婚し、仕事はやめた。しかし、自分を拘束する義父母や、自分を庇ってくれない夫に耐えられなくなって、家を出た。それから、また盗みを始める。捕まっては刑務所へ、を繰り返した。

「寂しくて、虚しくて、刑務所の方がいいかなと…」

「もう親も亡くなっていないし、子供もいない。刑務所経験しているから、どうせまっとうな仕事はさせてもらえない。だんだん年を取ってきて、仕事もなくなるし……」

刑務作業に向かう。高齢者は、若い受刑者に付き添われ、杖を突き最後からゆっくり
刑務作業に向かう。高齢者は、若い受刑者に付き添われ、杖を突き最後からゆっくり

10回目の服役の後、なんとかやり直したいと、一念発起して、ふるさとの北海道に戻った。妹一家が住むX市内で生活保護を受けながら一人暮らしを始めた。慎ましく生活すれば、お金に困ることはなかった。しかし、ここでも孤独だった。

「仕事を探してもないし、毎日テレビが友だちで、誰かと話すこともない。『今日はいい天気ですね』なんていう挨拶をする相手もいない。妹は、最初は何度か会ったんですけど、そのうち電話をしても『忙しい』と言われてしまうので、電話をかけるのもやめて……散歩するしか、やることがなかった」

地元のさまざまなサークルや活動に自ら近づいていくこともなく、行政の福祉サービスや民間のNPOなどに助けを求めることもしなかった。「妹すら私のことを分かってくれないのに、なんで他人が私のことを分かる?」と思うと、誰にも相談する気になれなかった。

「寂しくて、虚しくて、ここ(刑務所)の方がいいかな、ここなら体を動かしてする作業もあるし……と思うようになるまで、3ヶ月もかからなかったです」

駅の売店で、新製品のキャンペーンでレジ横にあった煙草とお菓子を万引きし、すぐに捕まった。すぐに認め、代金も払ったが、前科があるので、これだけで実刑判決となった。

警察の調査でも

警視庁が、万引き犯の取り調べを行った捜査員からの報告を分析して、2009年8月に発表した「万引きに関する調査研究報告書」では、高齢者が万引きに至る背景として、「生活困窮」のほかに、「孤独感」を挙げている。

〈悩み事の相談相手がいないなど孤独感が深まっている。生活は困窮しており、友人の数が「いない」「少ない」の比率が成人に比べ、より上昇する。3人に1人が「生きがいがない」「孤独」を万引きに至った心理的背景として挙げている〉

花田さんも、まさにこの分析が当てはまるだろう。

今度こそ居場所作りを

ただ、花田さんは今回の服役で、ある出会いを経験した。

様々な依存症、虐待、その他心の病などで生きづらさを抱えている女性たちを支援するNPO法人を運営している大嶋栄子さんだ。大嶋さんは、昨年から札幌刑務支所で受刑者たちの支援も行い、窃盗を犯した女性たちを対象にグループワークを行っている。花田さんは、思い切ってそれに参加してみた。他の受刑者と一緒に、大嶋さんや法務教官を交えて、自分の経験や思いを語り合う。その中で、誰も分かってくれないと思っていた自分の気持ちを、受け止めてもらっている、という実感を得た。

グループワークで花田さんらに笑顔で語りかける大嶋さん
グループワークで花田さんらに笑顔で語りかける大嶋さん

「先生(大嶋さん)は、すごく聞き上手で話し上手。私も、もっと聞き上手になって、もう少しちゃんと話せるようになれば、一人暮らしでも、誰かと会話ができるようになるし、私にも何か(社会で)できることがあるかもしれない、って思えるようになりました。そういえば、弁護士さんも『仕事がなくても、ボランティアとか、あなたにできることがあるはずです』と言って、調べてくれたりもしたんです」

体の丈夫さが自慢だったのに、このところ足腰に痛みを覚えるようになったことも、考えるきっかけになった。

「もう若くないってことを、身に沁みて分かった。今までは、特に悪いところはないし、『自分も、まだやれる』って思っていたんです。だから、仕事を探して面接に行っても、私以外の若い人が採用されたりすると、『私の方がうまくできるのに』って不満に思っていたんですけど、違いましたね。だから、これからは自分ができることをしようと思います」

そんな彼女を、大嶋さんは刑務所を出てからも支えたいと考えている。

「彼女は話をすると、とてもチャーミングだし、刑務所の中では、与えられた仕事を非常に責任感を持ってやるし、弱い者を庇う。ただ、特別なスキルはなく、刑務所に適応しても、社会にうまく適応できていなかった。彼女は『(社会の中で)自分の役割がないのがつらかった』と言っています。生活保護をもらえば、生活は困らなくても、誰とも触れあうこともなく、自分の存在が誰にも知られないまま生きているのはすごく寂しかった、と。だから、今度こそ、社会の中に彼女の居場所を作らないと」

「無期」の長期化

このように、社会にまもなく戻ってくる高齢受刑者のほかに、刑務所の中に入ったまま、年齢を重ね、高齢になっていく者たちがいる。

無期懲役囚に対する仮釈放は、以前にくらべてかなり厳しくなり、在所期間が延びている。無期懲役が15、6年で仮釈放になったのは、昭和50年代くらいまでの話。2014年に仮釈放となった無期懲役囚は7人で、その平均在所期間は31.4年に及ぶ。その間に、受刑者は老いていく。

犯罪傾向が進んだ受刑者を収容している旭川刑務所は、長期の受刑者も多い。私が訪れた時には、52人の無期懲役囚が収容されていたが、在所年数がもっとも長い人は、なんと54年に達していた。今、彼はほぼ寝たきりの状態となり、病舎のベッドで横たわっていた。このまま、ここで人生を終えることになるだろう。

旭川刑務所の病舎。ピンクのライトが、ナースコール代わり
旭川刑務所の病舎。ピンクのライトが、ナースコール代わり

受刑者たちの刑務作業を監督する刑務官(39)は、こう語る。

「私が生まれる前から受刑している人もいる。外での生活より、刑務所内での生活の方が長くなってくると、社会復帰のイメージを喚起させるのは難しくなる。それでも、社会に戻る希望を絶やさないようにするのが大事なんです」

希望を失った者は自棄になって、トラブルメーカーになりがち。先の54年にも及ぶ受刑者も、なんども問題行動があったようだ。そうした者が増えれば、刑務所内の秩序が乱れかねない。

一方、希望を持つ受刑者たちは、仮釈放の可能性を潰さないよう、懲罰の対象になるような行為を慎む。そのため、重大犯罪を犯した者が多いはずの同刑務所では、受刑者がトラブルを起こして非常ベルがなることは、他の刑務所に比べても、非常に少ない、という。

いつか外に出るためにも、元気な体を維持したいと、積極的に体を鍛えている受刑者も少なくない。運動時間ともなれば、60代後半になっても卓球やバトミントンに汗を流す者もいる。そういう受刑者は、規則正しい生活や適切な栄養管理もあって、社会にいる高齢者より若々しく見えるくらいだ。

それでも、人は年々老いていく。

沖縄出身で、暴力団抗争に関わり相手方の組員らを殺害した罪で無期懲役刑となった知念正勝さん(76)=仮名=は、この旭川刑務所で服役して34年になる、という。見たところ、「人の良さそうなおじいさん」といった風情で、事件当時の荒々しさを想像するのは難しい。

服役している間に手にもしわがきざまれた(旭川刑務所で)
服役している間に手にもしわがきざまれた(旭川刑務所で)

息子からは年に1度くらい、今でも手紙が来る。娘の子供の写真も、息子から送ってもらい、居室内に飾ってある。

「ひ孫もできた……やっぱりうれしいです」

その顔がほころぶ。

抱いてみたいと思いません?――そう尋ねると、すっと笑みが消えて、真顔になった。

「思いますけどね、自分のような人間がね、行けば向こう(孫一家)が迷惑しますからね」

刑務所での楽しみは、テレビを見ること。

「テレビで普天間飛行場の問題とか出ててると、沖縄の人間としては、やっぱり気になります。この前も、若い女の子の(殺害された)事件がありましたけどね」

76歳になる今でも、毎日縫製の刑務作業に携わっている。

「65歳くらいまでは、『疲れ』ってどういうもんだろうと思ってたんです。けど、65歳すぎたら、一日立ち仕事してたら疲れます。座骨神経痛やったことがあるので、座ったら左側の足が悪くて、夜には突っ張ってこむら返りみたいになるんで、薬をもらいます」

領置金を使い、老眼鏡と入れ歯を作った。最近は、死を考えることもあるようで、万が一の時には貯めてある作業報奨金は息子が受け取れるよう、担当刑務官に頼んでおいた。

2014年には、23人の無期懲役囚が獄中死した。一方、仮釈放となった無期囚は7人。

しかし、外に出る希望は捨てていない。彼の口からは、何度も次のような言葉が出た。

「こういう事件起こしてますから、娑婆に出ても、本当に跼天蹐地(ちょくてんせきち*)の思いで生活しなければならないわけですよ。そうであっても、1年でも半年でもいいから、1日でもいいから、社会に出たい」

「出て1日で死んでもいいから、社会で死なせてもらえば、これ以上ありがたいことはないです」

〈*跼天蹐地……身の置き所もない思いをすること。肩身が狭くて世を恐れはばかって暮らすこと(広辞苑より)〉

高齢者対策に追われる刑務所に

増えていく高齢受刑者のために、刑務所サイドもさまざまな対策を重ねてきた。

食事は、体の状況に合わせて、塩分、糖分、タンパク質やカロリーなどに配慮した療養食を用意し、かむ力が弱くなった者のために刻み食、ミキサー食も作る。食事や排泄のコントロールができなくなった受刑者に対しては、刑務官が対応するだけでなく、若い受刑者が刑務作業の一貫として介護を行ったりする。そういえば、長野刑務所で服役していた堀江貴文さんも、高齢者介護の担当だった。

施設に手すりをつけ、できる範囲でバリアフリー化の努力も進められている。広島刑務所尾道支所では、高齢受刑者を集めたフロア設置し、そこを完全バリアフリー化して、工場にも段差なしに通えるようにした。

全室ベッド付個室となった旭川刑務所
全室ベッド付個室となった旭川刑務所

また老朽化のため建て替えた旭川刑務所では、受刑者の居室である舎房を、すべてベッド付の個室とした。それまでの刑務所は、畳に布団が定番だったが、高齢者には布団の上げ下ろしが負担。足腰の悪い者も、ベッドならば寝起きも容易だ。限られた職員で増える高齢受刑者に対応するためにも、ベッド化は必要だった。個室にしたのは、受刑者同士のトラブルや犯罪の手口を教え合うなどといった問題を解消すると共に、一人になる時間を増やして反省や勉強を促すためだ、という。

そうしたハード面の対策のほか、全刑務所で社会福祉士を採用し、福祉専門官として配置した。出所時の帰住先が決まっていない受刑者のために、行き場を探すのが主な仕事だ。

かつては、法務省の管轄である「矯正」と、厚生労働省の担当である「福祉」とは全く連携がなかった。帰住先がなく、今後が心配な受刑者も、満期が来れば、福祉とつながる機会もないまま、外に出るだけだった。

それが変わるきっかけとなったのが、2006(平成18)年1月に起きたJR下関駅放火事件だった。前年の年末に刑務所を出所した74歳の男性が、行き場がなく、さまよった挙げ句に、寒さと空腹に耐えかねて、「刑務所に戻ろう」と、火を放ったのだった。精神鑑定で、知的な障害があることも分かった。再犯防止のためにも、出所前の段階で帰住先を決めておくことが大切、という観点で、矯正と福祉を結ぶパイプ役として社会福祉士が採用されることになった。縦割り行政の壁を越える、画期的な変革である。

そのほか、女子刑務所では「地域支援モデル事業」として、地域の医療や福祉の専門家の支援を受けて、さまざまなプログラムを行う試みが始まっている。摂食障害を含めた女性受刑者特有の問題に対応しようというものだが、その中で、高齢女性に多い盗癖のある受刑者への更生プログラムなども行われている。札幌刑務支所で活動している大嶋さんが行っているグループワークも、この事業の一貫だ。

塀の中の職員だけですべての問題に対応しようとしていた刑務所に、少しずつ外の目が入り、外からの風が一人ひとりの受刑者のところに届き始めている。特に、縦割り行政の枠を超えて、福祉の目が入ったことの意議は大きく、それによって新たに見えてきた問題もある。次回は、そんな福祉の視点で見た、老いゆく刑務所の状況をお伝えする。(写真:清作左)

(一部の写真は、受刑者のプライバシー保護などのためにモザイク加工してあります)

ジャーナリスト・神奈川大学特任教授

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。2020年4月から神奈川大学国際日本学部の特任教授を務め、カルト問題やメディア論を教えています。

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