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温暖化対策計画 2050年80%削減は可能? 「分煙革命」を参考に考える「脱炭素革命」の意味

江守正多東京大学未来ビジョン研究センター教授/国立環境研究所
(写真:アフロ)

政府の地球温暖化対策計画の案が3月4日にまとまり、パブリックコメントを経て閣議決定される見込みだ。

国内の温室効果ガス排出量を2050年に80%削減することが明記された。これは民主党政権時に閣議決定された目標だが、自民党に政権が戻って以降の新たな政策文書に明記されるのは初めてだろう。

報道では、家庭やオフィスで40%の削減という数字が強調された。これがどんな我慢や辛抱や節約や出費を意味するのか、と心配になった人やうんざりした人もいるだろう。

もっとも、最近では環境省も、温暖化対策が我慢や辛抱だと思われると広がらないので、「COOL CHOICE」というキャンペーン(これがまた知名度が低いのだが)の下に省エネ製品への買い替えなどを応援しはじめた。しかし、そうなったらそうなったで「結局、特定業界を儲けさせるキャンペーンで、本当に意味があるのか」みたいな(かつてのエコポイントの時のような)反発も聞こえてきそうだ。

多くの日本国民は、そもそもなぜ80%も削減しなくちゃいけないのかや、そもそもそんなことが可能なのか、ほとんど見当がつかずにいるのではないか。

この点について、筆者なりに論じてみたい。

「脱炭素革命」という国際アジェンダ

国内の温暖化対策計画の背景には、当然、昨年末にパリで開催されたCOP21(国連気候変動枠組条約第21回締約国会議)で合意された「パリ協定」がある。

そこでは、今世紀後半に人間活動による世界の温室効果ガス排出量を実質ゼロにすること(人間活動による排出と吸収をバランスさせること)が目標として明記されている。

人間活動による温室効果ガス排出の大部分はエネルギー・産業起源の二酸化炭素(CO2)であるから、これは国際社会が今世紀中に「脱炭素」(decarbonization)に向かう決意をしたことを意味すると言ってよい。

現在、世界のエネルギーの8割以上は化石燃料の燃焼によって作られているが、これをほぼ完全に、CO2を出さないエネルギー源に置き換えることを目指す、「脱化石燃料」だと言い換えてもよいだろう(CO2を地中に封じ込めるCCSを使うならば、その分に限って化石燃料を燃やしてもよい)。

このことが、パリ協定の合意以降、国際社会では当然のように語られるようになった。

社会の大転換の実例としての「分煙革命」

言ってみれば、これは「革命的な」変化だ。

その意味は、単に技術が置き換わるということだけでなく、人々の常識が「CO2を出しながらエネルギーを作るのが当たり前」の状態から、「CO2を出さないでエネルギーを作るのが当たり前」の状態に大転換を起こすということである。

海外の議論を見ていると、これに似た「大転換」(transformation)の歴史上の実例としてよくあげられるのは、奴隷制度の廃止である。今となっては想像するのも難しいが、かつては奴隷を所有し、使役し、売買するのが当たり前の文化が存在していた。社会の革命的な大転換を経て、現在は奴隷が禁止されるのが当たり前の世界になっている。

しかし、欧米の奴隷制の歴史は我々日本人にはあまりなじみが無いので、もっと身近な例を探してみよう。

筆者が、自分が生きてきた中で目の当たりにした社会の大転換として以前からよく思い浮かべるのは、タバコの「分煙」が進んできたことだ。筆者が子供のころは、バスの中でも電車の中でもタバコを吸っている人がいた。つい20年くらい前まで、飛行機にも喫煙席があった。

「どこでもタバコを吸ってよいことが当たり前」の社会だったのだ。それが今や、「タバコは決まったところでしか吸ってはいけないのが当たり前」の社会になっている。これは革命的な変化だと思う。

そういうわけで、「分煙革命」と比較しながら「脱炭素革命」について考えてみたい(念のため断っておくが、筆者は別に嫌煙家というわけではない)。

ステップ1 科学

分煙が社会に受け入れられる背景として重要な役割を果たしたのは、「受動喫煙」が健康を害するという科学的(この場合は医学的)な知見が積み重ねられ、証拠として提示されるようになったことではないかと思う。

地球温暖化も同様に、CO2などの温室効果ガスの排出が気候変動をもたらし、それが社会や生態系に悪影響を及ぼすという科学的な知見が積み重ねられ、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書に代表される形で、証拠として提示されてきた。

特に「受動喫煙」と似ているのは、脆弱な国における悪影響についての指摘である。

つまり、気候変動で最も深刻な被害を受けるのは、海面上昇で国がやがて水没してしまうかもしれない小島嶼国、干ばつが増えると深刻な食糧不足に陥るアフリカの最貧国の人々などだと考えられる。しかも彼らは、受動喫煙被害者と同じく、自らはその原因にほとんど責任が無い(原因となる温室効果ガスを歴史的にもほとんど排出していない)。

ステップ2 倫理

分煙の場合、受動喫煙の健康影響が明らかになってくると、「タバコを吸うのは自分の自由だと思っていたけど、周りの人の健康を害してまで吸う自由があるとまではいえないよなあ」と感じる人が増えてきたのではないだろうか。

つまり、「タバコをどこでも吸ってよいという自由は制限されるべき」というような倫理的な規範が社会の中で共有され始めたのだと思う。

地球温暖化の場合、これと対応するのは「CO2を出して作ったエネルギーだろうがなんだろうが、お金を払ってエネルギーを使うのは自分の自由だと思っていた。だけど、何の責任もない脆弱な国の人たちを深刻な危機に陥れてまで、いくらでもCO2を出す自由があるとまではいえないよなあ」というようなことになるだろう。

つまり、「エネルギーを作るのにいくらでもCO2を出してよいという自由は制限されるべき」というような倫理的な規範である。

筆者の印象では、国際社会において脱炭素を論じる時にはこのような規範が共有されるようになってきている。

もちろん自国への悪影響も心配であり、ある面で温暖化問題は自国の影響被害と対策コストを天秤にかける経済合理性の問題だ。しかし同時にこの問題は、何の責任もないのに深刻な被害にあう人々の人権問題だという見方(気候正義;Climate Justice)が強く意識されるようになっており、これがパリ協定の合意を後押ししたと想像される。

日本国内では現時点でこの規範はまったくといってよいほど共有されていないだろう。

この考えに触れる機会として、元アイルランド大統領メアリー・ロビンソンのTED talk「なぜ気候変動が人権を脅かすのか」を見てみてほしい。

ステップ3 制度

科学的な認識と倫理的な規範の共有がある程度まで進むと、それが行政のアジェンダになり、制度がつくられる。

日本の分煙についていえば、2002年に制定された「健康増進法」の中で、受動喫煙の防止が施設等の管理者に義務付けられた。

罰則規定はないものの、このような制度はこれまで受動喫煙を問題視していた人たちの行動を後押しし、これまで関心が無かった人たちにも問題の存在を知らしめるシグナルを送る効果を持ったと想像できる。

地球温暖化の場合、国際的にはこれと対応するのはパリ協定だといえるだろう(1992年の気候変動枠組条約自体がこのような制度の始まりとも考えられるが、決定打となるのはパリ協定だろう)。

パリ協定では、排出削減目標の提出、目標の達成に向けた努力、進捗の確認などが各国に義務付けられている。ただし、目標が達成できなくても(健康増進法の場合と同様に)罰則規定は無い。

ステップ4 経済

制度ができると、それに後押しされる形で、経済活動の中の消費パターンや投資パターンに変化が生じる。

分煙でいえば、健康増進法は罰則無しであったにもかかわらず、それをきっかけにして、たとえば分煙や禁煙の喫茶店やレストランが増え、客がそのような店を好むようになると、もはや分煙や禁煙の店でないと儲からないという事態が生じただろう。

こうなってしまえば、雪崩を打ったように分煙が一気に広まり、それが社会の新しい常識になるのにそれほど時間はかからなかった。

地球温暖化の場合、パリ協定の合意以前から、化石燃料関連産業から投資を撤退するダイベストメント(divestment)運動が多くの国で起きており、参加する機関投資家は500団体、投資撤退の総額は420兆円に達した。これは「気候正義」の倫理観に基づく社会運動であり、パリ協定に後押しされてさらに勢いを増すかもしれない。

また、COP21開催中に、ビル・ゲイツ(Microsoft 創設者)、マーク・ザッカーバーグ(Facebook CEO)らは、Mission InnovationとBreakthrough Energy Coalitionという2つの投資プロジェクトの立ち上げを発表し、クリーンエネルギーの研究開発に官・民の資金を集中投入することを宣言した(後者にはソフトバンクの孫正義会長も参加)。

ステップ5 技術

最後のこのステップは、分煙革命と脱炭素革命で大きく違う点である。

分煙では、基本的には喫煙スペースを隔離すればよいのであり、分煙機といった技術の役割は補助的だ。

一方、脱炭素革命を進めるには、安くて安定なクリーンエネルギー技術が不可欠である(その主力は再生可能エネルギーと蓄電池だという意見も、次世代原発だという意見もある)。現時点の技術を普及させることも重要だが、さらに安く安定な技術を新たに研究開発し、普及させる必要がある。

ステップ4で述べたような投資パターンの変化は、これを目指したものだ。これによってたとえば、もし太陽光パネル+蓄電池の価格が十分下がり、石炭より安く発電できるようになったらと想像してみてほしい。脱炭素革命の場合、経済が雪崩を打って大転換を起こすのはこの段階だ。

分煙革命からわかること

以上の比較を基に、分煙革命の経験から学び取れることを4つ指摘しておきたい。

1つめに、分煙革命は人がタバコを吸う自由自体を奪っていない。タバコを吸う場所を制限しただけである。我慢や辛抱を強要するものではなく、マナーの問題の範疇と言っていいだろう。

同様に、脱炭素革命も人がエネルギーを使う自由を奪わない。エネルギーを作る手段(およびエネルギーを使う効率)を制限するだけであり、我慢や辛抱を強要しない。

2つめに、大転換を起こすために社会のほとんどの人たちが問題に関心を持ち、科学的知見と倫理的規範を共有する必要は、必ずしも無い

科学と倫理は「点火」の段階でのみ必要なのであり、制度ができて経済にまで火が付けば、あとは勝手に燃え広がる。問題に無関心な人が多くいたとしても、彼らは新しい常識にいつのまにか従うようになるだけだろう。

3つめに、大転換を起こすために罰則は必ずしも必要ない。現在、分煙のルールに従っている施設管理者や喫煙者は、罰を受けたくないから従っているのではなく、それが常識になったから従っているのだろう。そのような常識の転換が起こることが重要なのだ。

4つめに、分煙や禁煙が常識になる前は、人々のほとんどはそんな状態を想像できなかったと思う。「分煙が常識にならないとダメだ」と誰かに言われても、「そんなのは無理だよ」と答えたかもしれない。しかし、今となっては、たとえば飛行機でタバコが吸えたなんてとても信じられない。若い人に至ってはなおさらだろう。

常識が転換するとはそういうことなのだ。信じられないような変化がいつのまにか起こり、振り返ると以前の状態の方が信じられないものに感じられる

日本の温暖化対策の行方

筆者の印象では、国際社会が目指している脱炭素革命はここに述べたような常識の大転換だ。これが正しいとしたら、日本の取組はそれに沿ったものになっているだろうか。

この度まとめられた地球温暖化対策計画は、それなりに真面目に脱炭素の方向を目指そうとしたものだろう。

しかし、日本ではその動機のところで「気候正義」といった倫理観が共有されておらず、どこか「やらされている」感じがしていないだろうか。言ってみれば、計画はできたが、そこに「魂」が入っていないのではないか。

政府は、日本の技術力で世界の温暖化対策をリードする構えを見せているが、今の常識が変わらないことを前提に、技術の置き替えだけの問題と考えているのだとしたら、日本の技術が世界の流れとずれていってしまうおそれもあるだろう。

未来は不確実であり、常識の大転換を伴う脱炭素革命が順調に起きるのかどうか、筆者には予言できない。

しかし、それがもし起きた場合に、日本社会全体が「世界の常識が大転換していっていることに気が付かず、新しい常識にいつのまにか従うだけ」になってしまう事態は避けるように考えていくべきではないだろうか。

東京大学未来ビジョン研究センター教授/国立環境研究所

1970年神奈川県生まれ。1997年に東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程にて博士号(学術)を取得後、国立環境研究所に勤務。2022年より東京大学 未来ビジョン研究センター 教授(総合文化研究科 客員教授)/国立環境研究所 地球システム領域 上級主席研究員(社会対話・協働推進室長)。専門は気候科学。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次および第6次評価報告書 主執筆者。著書に「異常気象と人類の選択」「地球温暖化の予測は『正しい』か?」、共著書に「地球温暖化はどれくらい『怖い』か?」「温暖化論のホンネ」等。記事やコメントは個人の見解であり、所属組織を代表するものではありません。

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