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温暖化「2℃目標」の生みの親 シェルンフーバー博士に聞く ― 脱炭素化に向けたわれわれの役割は何か?

江守正多東京大学 未来ビジョン研究センター 教授
(写真:ロイター/アフロ)

モロッコのマラケッシュで行われていた国連気候変動枠組条約の第22回締約国会議(COP22)が11月19日に閉幕した。昨年のCOP21で合意されて今年の11月4日に異例のスピード発効をした「パリ協定」について、COP22ではそのルール作りが進められた。米国のトランプ政権のインパクトについて悲観論、楽観論が飛び交う中ではあるが、各国はパリ協定の目標である「世界平均気温の上昇を産業革命前から2℃より十分低く抑え、1.5℃未満を目指して努力する」こと、そのために「今世紀後半に世界の温室効果ガス排出量を正味ゼロにする」ことを力強く確認し合い、その実現に向けて歩を進めている。

そのパリ協定で掲げられた目標の議論に大きな影響力を及ぼし続けてきた科学者がいる。ドイツ ポツダム気候影響研究所の所長、シェルンフーバー(Hans Joachim Schellnhuber)博士である。シェルンフーバーさんは、ドイツのアンゲラ・メルケル現首相が環境大臣であった20年前から、気候問題について彼女の科学アドバイザーを務めてきた。また、昨年6月にローマ法王が発表した気候変動問題についての「回勅」の作成においても中心的な役割を果たした。

シェルンフーバーさんが11月2日の環境省の審議会出席のために来日された際にインタビューの機会を頂き、筆者がかねてから興味があったいくつかの点について、詳しく伺った。

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「2℃目標」の生みの親

江守:このたびはインタビューの機会を頂きありがとうございます。

あなたが「2℃目標」の生みの親であるとどこかで読んだのですが、正しいですか?

シェルンフーバー:温暖化を2℃で抑えるのが合理的だと言った人は他にもいたが、私の知る限り、それを政治プロセスに持ち込んだのは私が関わったものが初めてだ。1994年にドイツの「地球変動に関する諮問委員会」の中で私が言い出して議論し、1995年にベルリンで行われたCOP1に向けてドイツ政府に提案した。COP1を取り仕切っていたのは現在ドイツ首相であるアンゲラ・メルケルだ。

江守:当時は環境大臣でしたね。

シェルンフーバー:そのとおり。私が彼女に「2℃」を提案したんだ。その後、この提案はドイツ政府を通じて欧州理事会で議論され、1996年に欧州理事会の正式な決議になった。

「失われた20年」を振り返る

江守:それからちょうど20年が経っています。今やそれが国際合意になったのはすごいことです。しかし、その20年の間に温室効果ガスの排出量も大気中濃度も上昇を続け、目標の達成はどんどん難しくなってきたともいえます。20年間で、「2℃目標」に関するあなたの認識は変化しましたか?

シェルンフーバー:まず、国際合意になったのは本当にすごいことだ。今やわれわれは気候問題の対策において一つのナラティブ(物語)を共有しているのだから。そして、一つの数字(2℃)をも共有している。これが非常に重要だ。世界の気温上昇は温室効果ガスの排出量の累積に依存するので、残された排出可能な量が規定される。言ってみれば「2℃」がすべてを規定するのだ。

一方で、おっしゃるとおり、そこに至るのは非常に遅かった。1996年に欧州理事会が「2℃」を採用したときに、中国、米国なども合意していたら…と思うが、もちろんそれは当時不可能だった。中国もインドも排出の権利を主張していた。それが政策決定の現実だ。みんなが合意するには長い長い時間がかかる。20年が失われた。「2℃未満」の実現は20年前は比較的実現性が高かったが、今は非常に難しい。

しかし同時に、この20年の間に2℃を超えるべきでない理由がより明らかになった。いくつかの危険なティッピングポイント(大規模で不可逆な影響の起きる閾値)を超えてしまうかもしれないといったことだ。それに、「2℃」は非常に難しいが不可能ではない。特にドイツの固定価格買取制度導入以降、太陽光発電と風力発電のコストが劇的に安くなってきている。

つまり、失われた20年の間に得られるものもあったということだ。希望はまだある。

「気候工学」に出番はあるか

江守:今世紀中に世界の脱炭素化(CO2排出量正味ゼロ)を達成できたとしても、「気候感度」(地球の気温の上がりやすさ。大気中CO2の倍増に対して1.5~4.5℃の世界平均気温上昇である可能性が高いと推定されており、不確かさが大きい)が大きければ、2℃を超えてしまいます。もしそうなった場合には、「気候工学」(大気からCO2を吸収したり太陽光を制御する大規模な工学的対策)を使って、無理にでも2℃や1.5℃未満に留まるべきだと思いますか?

シェルンフーバー:まず、2℃未満に留まるには、今世紀末に脱炭素化したのでは遅く、今世紀中ごろには脱炭素化する必要がある。あと30~40年しかない。1.5℃未満に留まるならもちろんもっと早くだ。これは気候感度が2.5℃くらいの(中位の)値だった場合だ。気候感度がもっと高ければ、目標の実現はもはや不可能になるかもしれない。そうなったら、われわれはより高温の世界に適応するしかない。私の考えでは、それはおそらく破滅的な事態だ。つまり我々は急速に脱炭素化を進める必要があるだけでなく、少し好運である必要がある。残念ながらそれがわれわれの置かれた状況だ。

一方で、最終手段としての「気候工学」が議論されている。私もこれについてよく調べたが、私は幻想だと思う。成り行き任せで排出を続けて、それを気候工学だけでリセットしてしまうようなことは不可能だ。そうではなくて、急速な脱炭素化を進めることを大前提に、追加的に気候工学を使うことなら考えられる。映画でいえば、脱炭素化が主演俳優で、気候工学はあくまで助演だ。特に、太陽放射管理は海洋酸性化を止められないので解決策にはならない。すぐにでも始めたほうがよい小規模な気候工学は、たとえば荒廃地への植林だ。CCS(CO2の地中貯留)と組み合わせたバイオマスエネルギーの利用も、農林業から廃棄されるバイオマスを使って小規模に行うならよい方法だ。

繰り返すが、世界経済を脱炭素化するための大規模なイノベーションが何よりも先決だ。

炭素経済の内部崩壊を引き起こす―われわれの役割は?

江守:その脱炭素化について、あなたは最近"induced implosion of the carbon economy"(炭素経済の誘導された内部崩壊)という概念を提案していますが、詳しく教えてください。これは社会の状態をあるところまで引っ張っていけば、そこから先は自動的に変化が進んでいくようなことだと僕は理解しました。そのときに、行政、ビジネス、専門家、市民はそれぞれどんな役割を果たしますか?

シェルンフーバー:脱炭素化が起きるためには、化石燃料に依存した産業が急速に縮小する必要があるが、それを引き起こすためには外的な要因が必要だ。2つの例を挙げたい。一つはトップダウン、もう一つはボトムアップだ。

トップダウンは行政の役割だ。これまで化石エネルギーには世界中で多額の補助金が出ていて、再生可能エネルギーには比較的小規模な投資しか行われていなかった。これは変更可能だ。例えばドイツでは、化石燃料産業への補助金をやめて再生可能エネルギーの固定価格買取を始めた。その結果、ドイツでは百万人以上の人が小規模発電事業者になり、再生可能エネルギーの電気を自分で発電して使い、余った分を売っている。エネルギーに関する風景がまったく変わってしまった。同じことは他の国でも可能だ。

もう一つのボトムアップの例は投資に関するものだ。現在、石炭への投資が減っており、それを見た投資家がさらに石炭に投資しなくなっている。これは自己強化的に進む変化だ。そして、これを引き起こしたのは主に「ダイベストメント」(化石燃料からの投資撤退)とよばれる社会運動だ。化石燃料、とりわけ石炭への投資は反倫理的だと主張するグループが増えてきている。個人としても、自分の銀行口座、年金基金などで集められたお金がどこに投資されているかを調べて、最終的に石炭に行きつけば、そのお金を撤退できる。保険会社や政府系ファンドなどの機関投資家が石炭に投資していれば撤退を要求することもできる。今やこれが投資環境に大きな変化を生み出している。

江守:今ので行政と市民の役割についてお話しいただいたことになると思いますが、ビジネスはどうですか?

シェルンフーバー:ビジネスという言葉を古い意味で使うなら、つまりもしあなたが投資に対するリターンにしか興味が無いとするなら、もちろん安い石炭を使おうとするだろう。しかし、現代のビジネスでは、その他に2つの次元がある。

一つは「リスク」だ。石炭に投資すれば短期的には大きな利益が得られるかもしれないが、10年後にはその投資が「座礁資産」になっているリスクがある。つまり、政府の規制もしくは世論によって石炭火力発電所が停止に追い込まれるかもしれない。

もう一つは「道義的責任」だ。ビジネスは雇用を生み出し、利益を生み出すのが良い点だと考えられてきたが、同時に、社会の一般的な道徳基準に沿っていなければならない。あなたのビジネスが子供たちの将来を破壊するのに加担しているとみられれば、もはや社会から受け入れられなくなるだろう。

江守:われわれ専門家や科学者の役割は何でしょうか?

シェルンフーバー:私は基礎物理学の出身だ。博士論文では物理学の重要な問題を解いたが、社会的な議論とはまったく関係がなかった。気候科学者も、科学的な水準は基礎物理と同じように高くなければいけない。一方で、気候科学者の知見は社会に直接的な意味を持つ。その点が基礎物理と違う。

たとえば、あなたがウィルス学者だったとして、感染力が強く対処法の知られていない新種のウィルスを発見したらどうするか。論文誌に発表して仲間内だけで議論するのか、それとも政策決定者に伝える責任があると思うのか。気候科学者も同じで、高水準の科学研究を行うと同時に、その意味するところを一般市民や政策決定者に説明しなければならない。ある意味で2つの人格を持つ必要がある。

科学者は政治的主張を避けるべきか

江守:科学者が政治的な主張をすると、その人の科学自体も政治的に偏っているという印象を与え、科学の信頼性を貶めるという見方もあります。科学とアドボカシー(特定政策の提言、擁護)についてどう考えますか?

シェルンフーバー:その問題は私もずっと考え続けてきた。それについて、私のロールモデル(模範となる人物)はアルバート・アインシュタインだ。アインシュタインは間違いなく最も偉大な科学者の一人だが、同時に非常に政治的でもあった。彼は平和、文化、宗教などについて考え、1955年には有名なラッセル=アインシュタイン宣言で軍拡競争に反対した。アインシュタインの人生を見ると、最高水準の科学と、その意味を社会に説明する責任は必ずしも矛盾しないことがわかる。

あなたの科学が社会に高い関連性を持つならば、その意味を社会に説明する道義的責任があると思う。それを仲間内だけで話しているのはほとんど犯罪的ではないか。科学の意味を社会に説明することが科学の質を損なうという誤った考えは、温暖化否定論者が持ち込んだものではないかと思う。

まとめると、アドボカシーはあなたの科学の質を損なわないし、あなたの科学が人類の重大な関心事であるならばアドボカシーはむしろ必要である。

江守:ありがとうございました。

(2016年11月1日、都内にて)

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東京大学 未来ビジョン研究センター 教授

1970年神奈川県生まれ。1997年に東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程にて博士号(学術)を取得後、国立環境研究所に勤務。同研究所 気候変動リスク評価研究室長、地球システム領域 副領域長等を経て、2022年より現職。東京大学大学院 総合文化研究科で学生指導も行う。専門は気候科学。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次および第6次評価報告書 主執筆者。著書に「異常気象と人類の選択」「地球温暖化の予測は『正しい』か?」、共著書に「地球温暖化はどれくらい『怖い』か?」、監修に「最近、地球が暑くてクマってます。」等。記事やコメントは個人の見解であり、所属組織を代表するものではありません。

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