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日中合意文書――習近平の戦略を読み解く

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

日中合意文書――習近平の戦略を読み解く

11月7日、日中合意文書が出された。最も注目すべきは「尖閣諸島に関して日中に異なる主張がある」ことを文字化したことだ。これは「領土問題は存在する」という米中の主張を中国が日本に認めさせたのに等しい。習近平の戦略を追う。

◆11月8日の「人民日報」、高らかに勝利宣言

尖閣諸島が日本の領土であることに疑いの余地はなく、そのため日本は「領土問題は存在しない」と主張してきた。

一方、日米安全保障条約により尖閣諸島を安全保障の対象とするとしてきたアメリカは、ニクソン政権以来、「尖閣諸島の施政権は日本にあるが、領有権に関しては、アメリカは紛争関係者のどちらの側にも立たない」と明言してきた。沖縄返還の際のことである。

これは「中華民国」の代わりに「中華人民共和国」を「中国」という国家として国連加盟させることに関して、アメリカの台湾に対するリップサービスのようなものだったのだが、中国は国連に加盟するや、アメリカの台湾に対するリップサービスまでをも、台湾から引き継いで、自国(中華人民共和国)のものとしている。

習近平が国家主席になったあとの2013年6月、アメリカのカリフォルニアでオバマ大統領と習近平国家主席による米中首脳会談が開催されたが、このときオバマは習近平との共同記者会見で「アメリカはニクソン政権以来、尖閣諸島の領有権に関しては、どちらの側にも立たないと宣言してきた」と力強い顔で断言した。

中国はニクソン宣言以来、アメリカのこの立場を利用して、戦略的言動を続けてきている。

まず1972年の日中国交正常化では「ここでは尖閣諸島の問題を取り上げない」と時の周恩来首相が会談中「口頭で」言明し、78年の日中平和友好条約締結のために訪日したトウ小平は、「棚上げ」という言葉を用いて領有権論争を回避した。

このときまだ国力の弱かった中国は「韜光養晦」(とう・こう・よう・かい)(タオ・グヮン・ヤン・ホイ)(力のない間は闇に潜んで力を養え)という戦略に基づいて行動していたのだ。

ところが1991年12月に旧ソ連が崩壊すると、中国は「もう日本の役割は終わった」とばかりに、翌年の92年に「領海法」を制定し、尖閣諸島を中国の領土に入れてしまった。このとき日本政府が徹底して抗議すべきであったのに、それをしなかったために、中国は尖閣諸島を含めた東シナ海や南シナ海などにある島嶼領海を中国の領土として固定化。いわゆる「中国の赤い舌」を自国のものとして「法的に」取りこんでしまったのである。

日本は72年のときも78年の時も、そしてこの92年の時も「尖閣は日本の領土である」という主張をするチャンスを逃したまま、こんにちに到っている。

中国はGDPが日本を凌駕した2010年以降、尖閣諸島の領有権に対して強く主張し始め、日本が尖閣諸島を「国有化」したことを、現状(棚上げ)を変更させたとして激しく抗議し始めた。本当は現状を変更させたのは中国の方で、それまで中国の領土と定義されていなかった尖閣諸島(釣魚島)を、「領海法」で中国の領土と変更してしまったのだから、「棚上げ論」を破ったのは中国だった。だというのに、日本はそれを黙認したに等しい。

中国が強気に出始めた2010年以降、日本の一部では「棚上げと言った覚えはない」とか「領有権に関していかなる問題も存在しない」といった主張が強まっていったのだが、それを覆させるために中国政府は尖閣周辺の日本の領海領空を侵犯し始めたのである。

それは「領有権問題は存在することを日本に認めさせる」ための戦略であった。

そのため、11月8日の中国共産党の機関紙「人民日報」は第3面で、「初めて文字で明確にした」と勝利宣言をしたわけだ。

これまで「ここでは取り上げない」とか「棚上げにしよう」といった言葉は、一部の議事録には残っていても、日中両国が交わした文書の中には残っていないので、「言った、言わない」の論議があったが、「ついに文書で残したぞ!」というのが、中国の勝利宣言の意味合いなのである。

◆本来なら、アメリカを説得すべきだった日本

尖閣諸島が日本の領土であることは、歴史的にも国際法的にも疑いのない事実なので、ニクソン政権が「尖閣諸島の領有権に関しては、係争関係者のどちらの側にも立たない」と宣言したことに対して、本来なら日本がアメリカを説得すべきであった。

筆者はこのときのニクソン大統領や大統領補佐官であったキッシンジャー等の機密文書や蒋介石直筆の日記を調査すべく、アメリカ公文書館やスタンフォード大学のフーバー研究所に潜んでいる資料を徹底して洗い出し、『完全解読 「中国外交戦略」の狙い』(第6章および第7章)(WAC)に詳述した。そして日本政府やメディアに対して、根気よく(しつこく?)「同盟国であるアメリカをこそ説得すべきだ」と主張し続けたのだが、この重要性に気づいてくれるメディアは、そう多くはなく、日本政府もアメリカを説得する勇気を持っていなかったようだ。

結果、日本は「中国から突き付けられる形」で、アメリカの主張する「尖閣諸島の領有権に関しては紛争(dispute)がある」ことを認めたことになる。

今般の日中合意文書は、結果的に「中国と日本の間に領有権に関する主張の違いがあることを認識した」ということを意味しているのである。

だから日本語では「合意」という言葉を使っているが、中国語では「共識(コンセンサス)」という言葉を用い、「ともに、この相違を認識した」という表現にしている。

おまけに中国側は何度も「日本のたび重なる希望により」合意に達したこと、それを前提として「日本が忠実にこの合意に従い、中国に対して誠意を示し続けること」を前提条件として、日中首脳会談を開催するという条件を突き付けてきた。

そんなに頼むのなら、仕方ないので開催してやるよ、その代わり条件を守れよ、という姿勢なのである。

これを「日本外交の勝利」と位置付けていいのだろうか?

日中首脳会談を何としても実現させたかったのは、アジア回帰をしたいオバマである。その要求を実現するために、日本は涙ぐましいまでの外交努力をしてきたわけだが、安倍首相をギリギリまでじらせた習近平は、「うまくいった」と、ほくそ笑んでいることだろう。

これまでの尖閣諸島周辺の領空領海侵犯は、まずは「領有権問題があること」を日本に認めさせたかったからであり、今般の日中合意文書により、ついに「文字化」に成功したのだから。

中国は中米首脳会談を特別に大きく扱い、「サプライズ」があるとしているが、中国の戦略はまだまだ続く。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。

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