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笑顔を武器にのし上がった習近平主席――なぜ安倍首相を嫌うのか?

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

笑顔を武器にのし上がった習近平主席――なぜ安倍首相を嫌うのか?

笑顔を武器にしてこんにちの地位までのし上がった習近平国家主席なのに、なぜ日中首脳会談の握手場面であそこまで頑なに笑顔を拒んだのか?その背景には安倍首相を信頼しない習近平の心の内がある。それを読み解く。

◆16年にわたって囚われの身となった父親、習仲勲

習近平は1953年に北京で生まれた。中華人民共和国(現在の中国)(新中国)が誕生したあとに、父親の習仲勲(本来の文字は員に力)(しゅう・ちゅうくん)が北京(旧称:北平)に近づいたことから「近平」という名が付けられた。

習仲勲(1913年~2002年)は新中国誕生(1949年)後、国務院副総理(副首相)にまで上り詰めた革命第一世代だ。革命第一世代とは、毛沢東や周恩来、あるいはトウ小平らとともに、中国共産党による国家を誕生させようとして戦った世代のことを指し、初期のころはその軍隊を「紅軍」(こうぐん)と称した。だから中国の国旗は「五星紅旗」で「紅(あか)い」のである。

筆者は『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』で革命第一世代の子女たちのことを「太子党」と称した。しかし「党」という言葉があるために、少なからぬ読者に「一つの党」としてまとまっているような誤解を与えてしまったようなので、先般出版した『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』では、太子党ではなく「紅二代」(こうにだい)と呼ぶことにしている。

さて、この習近平、まさにこの紅二代として祝福されてこの世に生まれてきたのだが、1962年、父親が冤罪で政治闘争に巻き込まれ、逮捕投獄されてしまう。正式に名誉回復されて釈放されたのは1978年のことだ。

1966年に文化大革命が始まると、逆賊の子として虐められていた習近平は延安に下放される。下放というのは都会にいる知識青年を辺境な地に追いやって「農民を模範として過酷な労働をさせる」ことを指す。

習近平は延安のヤオトンの中で、ノミやシラミに悩まされ、家畜とともに寝起きしながら下放生活を送る。

1976年に文化大革命が終焉し、78年から改革開放が始まるのだが、父親の習仲勲はトウ小平に信頼されて広東省の書記になり「経済特区」構想を提案し、改革開放を花開かせていくのである。

しかし政治闘争に巻き込まれることの恐ろしさを、身を以て体験した習近平は、基層(末端組織)に自ら行き、ゼロから鍛え上げる道を選んだ。そして河北省、福建省、浙江省と、昇進しながら地方の政治に携わるのだが、そのときの習近平の徹底した政治哲学は「目立たず、低姿勢で、誰に対しても笑顔を絶やさない」ということであった。

笑顔を武器として、やがて江沢民に見込まれ上海市書記から「チャイナ・ナイン」に入閣する。「チャイナ・ナイン」とは8000万人以上いる中国共産党員のピラミッドの頂点に立つ「中国共産党中央委員会政治局常務委員9人」のことだ。あまりに長い名称なので、筆者はこれに「チャイナ・ナイン」という名前を付けた。

かくして2012年に開催された第18回党大会では、この9人が「7人」(チャイナ・セブン)となり、習近平は、その頂点の中の最高峰の地位に就いたわけだ。

それが可能だったのも、彼があまりに低姿勢で、笑顔を絶やさなかったために、党内における人気投票で、つねに最高位を占め、敵が少なかったからである。

つまり「笑顔」は「紅い皇帝」にのし上がるための、彼の武器だったのである。

◆なぜ安倍首相を信用していないのか?――安倍内閣への期待と失望のギャップ

その彼がなぜ、日中首脳会談における握手場面で、安倍首相が笑顔で挨拶を述べ、それを通訳者が中国語に翻訳している最中に安倍首相から顔をそらし、口を開くことなく、ニコリともしなかったのか?

そこには「中国人民に親日的だと罵倒されないため」と、「この会談は日本側が何度も頼んでくるので仕方なく応じてやったのだ」ということを示すことによって、会談前に交わした合意文書を中国に有利に持って行こうという強い意図がある。

しかしそれ以上に見落としてならないのは、安倍第二次内閣が誕生した初期のころ、中国には安倍政権に対する強い期待感があったことだ。

第一次安倍内閣は、靖国参拝などで激しい反日デモ(2005年など)を招いた小泉政権のあとに誕生した政権だ。安倍首相は最初の訪問国に中国を選び、胡錦濤前国家主席との間で「戦略的互恵関係」を結んだ。「戦略的互恵関係」の中で「日中両国がアジアおよび世界に対して厳粛な責任を負うとの認識の下、アジア及び世界に共に貢献する中で、お互いに利益を得て共通利益を拡大し、日中関係を発展させること」を約束した。いうならば「ウィン-ウィンの関係になろうね」ということである。当時の安倍首相は靖国神社参拝に関しても「言明しない」ことを以て「行く」とは言わなかった。

そのため、小泉政権と違い、「すばらしい政権が誕生した」と中国側は喜んだのである。

ところがすぐに民主党が政権を奪い、その間に尖閣諸島の国有化問題などがあったため、中国は「民主党はダメで、自民党の方がよっぽどいい」と思っていたのだ。

だから第二次安倍内閣が誕生したとき、中国の世論も中国共産党機関紙「人民日報」の論説においても、むしろ「歓迎ムード」だったのである。

ところがその安倍首相が、第一次安倍内閣とは異なり、集団的自衛権、憲法解釈問題、さらには靖国神社参拝と、つぎからつぎへと「中国側から見た期待を裏切った」ため、期待が大きかった分だけ失望も激しいものになっていった。ちょうど、アメリカにおけるオバマ大統領と同じように「期待が大きかった分だけ失望が大きくなったために大敗した」のと似ている。

中国の国営テレビ局CCTVでは、連日のように「安倍政権がいかに右傾化し、軍国主義への道を歩もうとしているか」を大々的に報道。激しい怒りが安倍政権に向けられるようになった。

胡錦濤元国家主席は、2012年9月9日、ロシアのウラジオストックで開催されたAPECでの「15分間の立ち話」の直後に、野田前首相が国有化を宣言したために顔を潰されてしまった。あの「屈辱的な裏切りに二度と遭ってはならない」という警戒感が中国側にある。

だから日中首脳会談前にまず合意文書を交わし、その上でニコリともしなかった。

そしてその合意文書は「あいまいさ」を含めた分だけ、「中国側の解釈」による規制のカバー範囲を広くしているのである。

以上はあくまでも、中国側が何を考えているかということを分析しただけであって、筆者の思いとは完全に無関係。客観的な中国の内部事情をご紹介しているに過ぎない。それは日本国および日本国民がミスのない選択をしていくための参考にしてほしいと思うからだ。なお、一部の読者からの誤解による誹謗中傷が見られるのは残念なことだ。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。2024年6月初旬に『嗤う習近平の白い牙』を出版予定。

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