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すべては92年の領海法が分かれ目――中国、南沙諸島で合法性主張

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

中国が南沙諸島で進めている埋め立てが、滑走路を建設できる規模に至っている。TPPを拒否しAIIBに加入したフィリピンが中国に抗議。中国は合法的な範囲内として反駁。中国の根拠は92年の領海法にある。日本はそのとき何をしたのか検証する。

◆南沙諸島に滑走路

フィリピン、ベトナムあるいはマレーシアなど、多くの国が領有権を争っている南シナ海の南沙諸島で、中国の埋め立て作業が進んでいる。その規模は滑走路を建設できる3kmにまで至っていると、複数の国から注意喚起と抗議が上がっている。

中でも注目されるのは、3月末にTPPへの加入を拒否してAIIBへの加盟を決定したフィリピンの態度だ。

フィリピン軍のカタパン参謀長は4月20日、記者会見を開き強い懸念を表明した。

それによると、中国は南沙諸島の7つの浅瀬で埋め立てを進めているが、このうちのファイアリークロス礁(しょう)とスビ礁の2か所で、滑走路を建設できる規模まで拡大させているとのこと。長さ3kmと、小島と言ってもいいほどの大きさだ。

これらはフィリピンが実効支配する島に近く、カタパン参謀総長は「摩擦を引き起こすおそれがあり、中国側の意図と目的を知る必要がある」と述べて強い懸念を示した。

フィリピン外務省の幹部は来週、マレーシアで開かれるASEAN(東南アジア諸国連合)首脳会議で、「アキノ大統領が問題提起する」と述べ、今後、ASEAN各国への働きかけを強め、中国に圧力をかける姿勢を示している。

これに対して中国外交部(外務省)の報道官らは、「中国は国際法的に合法的な範囲内でしか作業を進めていない」とし、さらに「南シナ海の問題は、中国とASEAN諸国との間の事柄ではない」と反発。あくまでも当事国同士の話し合いには応じるが「関係国全員との協議」は従来通り拒否するという姿勢を変えてない。AIIBと領土問題は「別だ」ということは注目に値する。

後者に関しては「多勢に無勢」だと勝てないことを中国が知っているからではあるが、前者の「合法的である」という中国の主張に関しては、日本にも責任がないわけではない。

◆92年に中国が制定した領海法に日本はどう対処したのか?

1992年2月25日、中国の立法機関である全人代(全国人民代表大会)常務委員会は「主席令7期第55号」として「中華人民共和国領海および毘(び)連区法」を制定発布した。いわゆる「領海法」である。「毘連(びれん)」は「連なる」とか「隣接する」という意味。

その第二条には、以下の条文がある。

――中華人民共和国の領海は、中華人民共和国陸地領土と内水(内海)に隣接する一帯の海域である。中華人民共和国の陸地領土は、中華人民共和国の大陸およびその沿海島嶼を含み、台湾および釣魚島(尖閣諸島、筆者注)を含む附属各島、澎湖列島、東沙群島、西沙群島、中沙群島、南沙群島および中華人民共和国に所属する一切の島嶼を包含するものとする。中華人民共和国の領海基線は陸地に沿った水域をすべからく中華人民共和国の内水(内海)とする。

この条文に書いてある島嶼(とうしょ)をプロットしてつないだものが、いわゆる「中国の赤い舌」と呼ばれる地域である。

西沙諸島や南沙諸島に関して日本が抗議をする筋合いではなかったかもしれないが、この第二条に釣魚島、すなわち尖閣諸島が「中国の領土」として法的に定められていることに関して、日本は激しい抗議をしなければならなかったはずだ。

筆者はかつて『チャイナ・ギャップ 噛み合わない日中の歯車』で「このとき日本は何もしなかったではないか」と書いた。その証拠に、当時共同通信で中国関係の仕事をしていた西倉一喜氏(現在は龍谷大学教授)がその著書『アジア未来』(共同通信社)で、「このことを外務省に急ぎ知らせたが、外務省は“中国の法整備の一環だろう”と回答し、相手にしてくれなかった」という趣旨のことを書いていることを挙げた(p.211)。

すると、当時、外務省で仕事をしていた高官から「外務次官が、楊振亜・中国大使に遺憾の意を口頭で伝えている」という知らせを受けた。

さらにその後、当時の宮澤内閣が4月22日に開催した外務委員会会議録第7号に以下のような抗議をしていた記録があることを発見したので、ご紹介する。

2月26日:在北京日本大使館より中国外交部へ口頭で抗議

2月27日:小和田外務事務次官より楊振亜在京中国大使へ口頭で抗議

3月16日:日中外交当局協議で抗議

4月   :訪日した江沢民総書記に対して宮澤総理が善処を求める

その結果、江沢民がどのように回答していたのかに関しては、今のところ情報はない。

たしかに筆者が『チャイナ・ギャップ』を書いた時には、上記の情報が抜けていた。そのことは反省する。外務省関係者からは、政府はそれなりに努力したが、マスコミがそれを大きく取り上げなかったという声が聞こえてくる。たしかに、この議事録を見る限り、一理あることは認める。

しかし少なくとも、たとえば「善処しないのなら、天皇訪中を中止するぞ」というような、大きな反撃を日本政府がしたかというと、今のところ、そのような痕跡を見い出すことはできない。 

実は当時中国は、1989年6月4日に起きた天安門事件で西側諸国からの厳しい経済制裁を受けて困っていた。改革開放を始めたばかりに中国経済は、まだヨチヨチ歩きで、おまけに江沢民が保守派の誘いに応じて、改革開放を進めようとはしなかったからである。

その保守派の中には、中共中央総書記として江沢民をトウ小平に推薦した薄一波(薄熙来の父親)がいた。薄一波は江沢民の出自をばらした手紙を握りつぶしてあげた代わりに、自分(薄一波)の言うことを聞けと江沢民を脅していた。やがて息子・薄熙来を中国のトップに持っていかせよう企んでいたのだ。そのためには改革開放が行き過ぎて、中国が民主化したら困る。

一方、江沢民を中共中央総書記に指名したトウ小平は江沢民が改革開放を進めようとしないとして、江沢民を更迭することを考えていた。そのことを知った江沢民は、何としても日本の天皇陛下に訪中してもらい、経済制裁をしている西側諸国を安心させて、「手柄をあげよう」と目論んでいたという裏事情がある。

これは明らかな天皇陛下の政治利用につながる。

日本の世論は「天皇陛下の政治利用」をめぐって燃え上がり、「領海法」というものが、これからどれほど危険な状況を日本にもたらすか、そしてどれほど国益を損ねるかに関して、目つぶしをくらってしまったような状況に追い込まれていた。

その意味で、責任が日本のマスコミにあるのか、それとも日本政府にあるのかは微妙なところかもしれない。それでもなお、江沢民の策略を十分には見抜けなかった日本をはじめとした「領海法」関係国には責任があると筆者には思える。あのとき、どのようなことがあっても、関係国が一致団結して抗議し、撤廃させるべきだった。

そのようなことを今さら言ってもしょうがないと思う方もおられるだろう。

しかし日本は、同様のことを今も繰り返している。

たとえばアメリカは沖縄返還の時に「尖閣諸島の領有権紛争に関しては、どちらの側にも立たない」と宣言し、沖縄に返還するのは「施政権のみだ」と主張して、今もその立場を変えていない。

中国はアメリカのこの立場を最大限に利用しているのに、日本はアメリカに対して「いや、尖閣諸島の領有権は日本にある。これは歴史的にも国際法的にも明らかである」として、全力を尽くしてアメリカを説得しているだろうか?

アメリカは、その領有権を主張する中国にも台湾にも、そしてもちろん日本にも「いい顔」をして中立でいたいのだ。

フィリピンに関しても類似のことが言える。

92年に中国が領海法を制定した背景には、91年末に(旧)ソ連が崩壊し中ソ対立が解消したことがあるが、同時にアメリカ軍がフィリピンから引き揚げてしまったという事実もある。

だからアメリカは、当時も、そして今も、東シナ海や南シナ海を防衛線として守っていたいが、しかし自ら自身は紛争に巻き込まれたくないのである。

世論に押されて軍事予算を減らしたアメリカが、日本に肩代わりの一部を希望している現状の中に、いま日本人は置かれている。これは差し迫った「現実」なのだ。日米ガイドラインの見直しも、そのあたりに原因の一つがある。

「領有権紛争に関しては、どちらの側にも立たない」としているアメリカの宣言が、中国の覇権を許し、中国の海上進出等の覇権ゆえに、日本は安保体制の見直しを迫られている。

ここには大きな自己矛盾がある。

しかし日本人は誰も(いや、ほとんど)、この「巨大にして決定的な自己矛盾」に光を当てようとはしていない。

自ら目をそらしているのだ。

日米同盟が、本当に堅い「対等の」信頼関係の上に結ばれているのなら、真実をアメリカに言う勇気も、日本は持たなければならないのではないのだろうか。

南沙諸島の分析をする際に、ただ単に「中国の覇権主義や横暴性」だけに目を向けていると、日本は足元をすくわれる危険性を孕んでいる。

そのためにも、92年に何が起きたのか、そして日本は何をしたのか、あるいは「しなかったのか」を、客観的に見ていかなければならないと思う。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』、『中国がシリコンバレーとつながるとき』など多数。

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