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金正男殺害を中国はどう受け止めたか――中国政府関係者を直撃取材

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
毒殺された金正男氏(写真は2001年日本への不正入国時)(写真:ロイター/アフロ)

習近平政権誕生以来、中朝関係が冷え切っている中、中国はなぜ金正男氏を保護してきたのか、殺害は今後の中朝関係に影響するかなど、日本人が抱く疑問をぶつけた。回答から東北アジア情勢と課題が見えてくる。

◆中国政府メディアの報道の仕方

中国の中央テレビ局CCTV系列は、金正男(キム・ジョンナム)氏が2月13日にマレーシアのクアラルンプール国際空港で毒殺されたことに関する報道で、2月16日昼のニュースの時点でもなお、「金という姓の朝鮮籍男性」が殺害されたという形での報道しかしていなかった。

これに関して、日本の多くのメディアが「中国が困惑している証拠」という主旨の報道をしていたので、先ずは中国政府関係者に「名前を完全な形で明示しない真意は何か」を聞いてみた(16日午後2時)。

以下すべて、「あくまでも個人の意見だが」という前提で答えてくれた。

「CCTVは最も権威あるテレビ局なので、責任ある報道しかすることができない。絶対に確実だと公式に確認されるまでは、“金正男”というフルネームを言うことはできない。パスポートが偽造でないかなど、まだ確認されていない」とのこと。

特に北朝鮮の場合、偽造パスポートで海外渡航しているケースが多いのも事実。その後、マレーシア政府がパスポートやDNA鑑定により「まちがいなく金正男だ」と公表すると、CCTVもまた「金正男が何者かによって殺害された」と実名で伝えるようになった。ということは今も評論が全くないのは、指示を出したのが北朝鮮か否かが判明していないからか。それにしても報道が静かすぎる。

◆中国はなぜ金正男氏を保護していたのか?

金正男は北京にいたこともあるが、長いことマカオに住んでいた。北朝鮮の朝鮮労働党の金正恩(キム・ジョンウン)委員長の異母兄で、金正日(キム・ジョンイル)元総書記の長男だ。中国は金正男の身辺保護をしてきたのは確かだ。その理由はなぜかを聞いた。

すると中国政府関係者は意外な事実を教えてくれた。

「金正男がマカオに住み始めたのは、まだ金正日が生きていたときだ。金正男はかつて後継者の候補にも挙がったことがあったが、偽造パスポートで(ディスニーランド観光のために)日本に入国しようとして北京に強制送還されたあたりから状況が変わってきた。金正男本人は北の指導者になる気持ちは全くなかったが、後継者争いで暗殺される危険性があった。金正日は中国政府に金正男の身の安全を確保してくれと頼んできたことさえあると、私は聞いている。中国と朝鮮の間には同盟があるから、中国で守ってあげるというのは当然のことだ。道義的な問題にすぎない」

◆ボディガードは付けていたのか?

ボディガードを付けていたのか否かを聞いた。

「ボディガードには二種類ある。一つは彼自身が個人的に雇用していたボディガードと、中国の(彼が住んでいた)地域(北京とかマカオとか)の公安関係者がボディガードとして付いている場合とがある。但し、中国の公安関係は、あくまでも彼が中国の国土上にいたときに責任を果たしてあげるだけで、マレーシアであれシンガポールであれ、彼が中国の国土から離れて第三国に行ったときには、中国とは完全に関係なくなる」

日本のメディアの中には、「これまでは海外でも中国のボディガードが付いていたのに、今回はいなかった」と報道しているケースがある。そこで「海外に出る場合にも、かつてはボディガードを付けたことがあるか否か」と聞いてみた。

「ない!未だかつて、一度もない!そんなことを言う人は、法律を知らない人たちだ。中国の公安がピストルを持って第三国に入り、特定の個人を守るなどということが許されるかどうか、考えてみるといい。金正男個人が雇ったボディガードなら別だが、中国が国家として動くはずがないだろう。そもそも彼は、あちこちに愛人がいたりビジネスもやっていて、そのためにあちこち動いている。そんなことに国家がつきあうはずがないし、義務もない」

◆中国で亡命政権を創ろうという計画はあったのか?

日本のメディアでは、金正男を担ぎ出して、中国あるいは韓国などで亡命政権を創ろうとしているといった話もあるが、そもそも金正男氏は「世襲制度」を批判していたし、また中国では、「中国は建国以来、世襲制をとったことがない。中国を独裁国家と海外メディアは批判するが、北と比べればずっと進歩している」と、「独裁度」を比較して北朝鮮を批判してきた。

したがって金正男を担ぎ出して、金正恩の首を挿げ替えようというような発想は、中国にはあり得ないと筆者は思っている。しかし日本人の疑問を払拭するため「亡命政権樹立計画」があったか否か、念のため聞いてみた。

やはり、中国政府関係者は「絶対にない!」と語気を荒げて続けた。

「金正男は善人ではあるが、そもそもリーダーになる器ではない!また彼自身、自由に暮らしたいという気持ちを優先していて、北朝鮮のリーダーになろうという野心など全くなかった。そのような力も彼にはない。特に、叔父の張成沢(チャン・ソンテク)が公開処刑された後は、金正男の力は完全になくなっていた。張成沢は中朝友好を重んじた人物で、北朝鮮でも改革開放を進めるべきだという考え方を持っていた。その意味では金正男と考えが近く、金正男を支えていたと思う。キーパーソンは、あくまでも張成沢だ。彼が処刑されたことで、もう中朝の友好関係は終わっている。修復は困難だ」

なお、脱北者たちが中国以外の国で亡命政権を樹立しようとしていることに関しては、「中国とは関係のないことなので関知しないが、少なくとも金正男は世襲制を強く批判していたし、そうでなくとも暗殺を恐れていたので、政治に関わることによって暗殺の可能性を高めるようなことには、絶対に賛同しなかっただろう」と、中国政府関係者は付け加えた。

◆消したかったのは「後継者」ではなく張成沢系列

中国政府関係者は言う。

「もし仮に、金正男が金正恩の指示によって殺害されたのだとすれば、それは“血のつながりのある”後継者の可能性を消したのではなく、張成沢系列を抹消するためだと考えなければならないだろう。何度も言うが、金正男の後継者可能性はゼロだ!そこは勘違いしないように!しかし張成沢ならば、北で力を持ち得たし、北の改革開放を進めるためにクーデターといったような手段を用いて政権転覆を謀る力は持ち得た。その残党狩りをしているのではないのか」

「金正男が暗殺されたことで、中国で何かが大きく変わることは全くない。もしこの暗殺が、中国の領土上で起きたのだとすれば別だ。中国も黙ってはいないだろう。しかし、マレーシアという、他の国を選んでいる。国家として(遺体引き渡しなど)何かの軋轢が生まれるとすれば、それはマレーシアとの間であって、中国ではない。2011年以降、何回か金正男暗殺未遂事件があった。中国の国土上で金正日元総書記の長男を殺害するようなことがあったら、中朝同盟を損なう要素はあっただろう」

◆むしろ北朝鮮内部の抗争と混乱が問題

今後の問題はむしろ、北朝鮮内部の抗争と混乱にあるという。

「今回の問題は道義的に許されないものの、金正男暗殺によって中国がどう動くかという要素はほぼない。それよりもやっかいなのは、北朝鮮内部の権力抗争問題だ。現に15日に北朝鮮で開催された金正日元総書記の生誕75周年記念大会には、党内序列ナンバー2の崔龍海(チェリョンヘ)が出席していない。彼は2013年5月に金正恩の特使として訪中し習近平と会っており、2015年9月の抗日戦争勝利70周年記念の軍事パレード式典にも一応参加はしているが、北朝鮮内では昇格したり降格したり、実に不安定だ。なぜなら彼は張成沢の側近だったからだ。中朝友好に貢献して改革開放を進めようとした張成沢一派はつぎつぎに粛清されているが、今後もどのような動きがあるかを見ていれば、金正男がなぜ殺害されたのか、中朝関係がどうなるのかが見えてくるだろう」

◆中朝同盟の下での外交努力か、武力鎮圧か

習近平政権誕生以来、中朝首脳会談が行われたことがない。これまで「日中、中韓、日韓」首脳会談が行われているのに、中朝首脳会談だけは行なわれていないという事実は、いかに中朝関係が悪いかを示す何よりの証拠だ。北がどうしても中国の言うことを聞かず、核ミサイル開発で暴走を加速させるなら、いざとなったら中国が北を武力攻撃して政権を転覆させる可能性だってある。この点に関して取材対象である中国政府関係者と筆者の見解は一致している。

意外だったのは、彼が「しかし今や最も信用できないのは韓国だ!」と言ったことだ。

「中国を向いていたかと思うと、突然アメリカを振り向いたり、結局のところTHAAD(終末高高度防衛ミサイル)を韓国に配備するつもりだ。THAADの配備は北朝鮮のためではなく、中国を見張るために配備するに決まっている。韓国ほど信用のできない国はない!」と吐き捨てた。

THAADの韓国配備という点において、中韓あるいは米中が妥協点を見い出す可能性はないことになろう。

となれば、中朝接近を招くのかと懸念されるが、中国商務部は2月18日、北朝鮮からの石炭の輸入を19日から年末まで暫定的に停止すると発表した。ただ中国としては、制裁によって北朝鮮の暴走が抑えられることはなく、逆に核・ミサイル能力を急速に強化させる結果を招いているので、アメリカのトップが北朝鮮の要求(願望)に応じて会談をし、あくまでも六カ国会議で北の問題を解決すべきだとしている。

話し合いなどという外交手段が通じる状況ではないとは思うが、トランプ大統領は選挙期間中、金正恩委員長と会うこともやぶさかではない趣旨の発言をしている。その可能性はマティス国防長官の訪韓によって消えたようにも見える。

しかし、もし中国が本気になれば、北朝鮮の経済状況を一気に破綻させることだってできるはずだ。そのことを迫ると、中国政府関係者は「人道の問題がある」と言う。そればかりは偽善というか、言い逃れとしか思えない。突然、話に整合性がなくなる。

「金正恩は国民が餓死してでも、核・ミサイル開発にはお金を注ぐのではないのか」とさらに迫ると、「中朝同盟がある」と苦しげだ。

結局のところ、中国は北がアメリカの配下という形で滅んでほしくないし、アメリカの軍事力を頼りに韓国が北朝鮮を統一させるということも、もちろん最も警戒している。

中国が中朝同盟を破棄して、北朝鮮への一切の支援を断ったときに、北朝鮮がいかなる自滅の道をたどるのか、あるいは逆に自暴自棄になって暴走した結果、戦争になるのか、そのシミュレーションが必要になろう。このままでは金正恩体制は恐怖政治を加速させ、さらなる核・ミサイル開発へと突進していくだけだ。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。2024年6月初旬に『嗤う習近平の白い牙』を出版予定。

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