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ビジネスは都会を離れたほうが儲かる 土日の副業は田舎でやろう

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

 10月7日、東洋経済オンラインに、まちビジネス事業家、木下斉氏による「「シャッター商店街」は本当に困っているのか」と題する記事が掲載された。「空き家バンク」を作っても意味がない、とする論調である。

 まったく同感である。筆者の講義を受けている学生には周知のことだが、「空き家バンク」の話を耳にしたとき、筆者は「エイブルやミニミニに頼めばいいだけじゃん!」と語気を強くして言った。はっきりいうが、これは愚策である。既存の民間のサービスを使うほうが良いに決まっている。それらはいずれも、広く国民のうちに認知されているからである。そればかりか、政府が余計なことをして民間と競合しうる事業を立ち上げるというのは、民業圧迫である。頑張っている企業の邪魔をしてはいけない。

 記事のなかでも取り上げられているように、木下氏の基本的な立場は、まちづくりのためには補助金をなくせ、というものである。この見解は筆者の考えと一致している。だいたい、よくある補助金制度のように、特定の事業者にのみカネを出そうというのは、えこひいきである。本当に必要なところにカネがいく保証もない。あちら様がいい思いをしているのに自分はそうではないとあらば、次には自分にもよこせ、という態度になるのは当然である。

 そして、毎日エサを与えられている犬猫は、狩りの仕方を学ぶことはできない。補助金があるうちは潤っていても、なくなれば事業は立ちゆかなくなる。ゆえに新たなカネを求めて奔放する。かくして自治ないし自助の精神は失われ、地方政府たる自治体の力に頼るしかなくなっていくのである。

 したがって、もらう側に問題があるというよりは、くれる側のほうに問題がある。目の前に大金が転がっていれば、誰だって拾うに決まっている。しかし木下氏のいうように「補助金は麻薬」に他ならない。しかも麻薬とは称されずに、それはばらまかれている。恐ろしいことである。麻薬漬けにならないためにも、地域でビジネスを立ち上げようとしている人は、補助金を使わないほうがいい。

地方の人はビジネスを行っていない

 ここではあえて、「地域」とは異なる「地方」という言葉を積極的に使わせて頂きたい。「地方」は、中央があって成り立つ言葉である。それに対して、地域とは自分の存する「エリア」に関わる言葉である。個があって公が成り立つように、個人があって地域が成り立つ。「地域」と「地方」とは、そもそもの考え方からいって別物である。

「地域ビジネス」という言葉がある。これを促進するために、補助金がばらまかれる。しかし、よく考えて頂きたい。ビジネスとは自分が立ち上げたいから立ち上げるものである。誰かを喜ばせたいから。世の中に貢献したいから。不満な現状に変化をもたらしたいから。人からありがとうと言われ、その対価であるお金をもらいたいから。それらのゆえに立ち上げるのがビジネスである。ビジネスとはまったくのところ、人に関わる自分ごとなのである。

 しかるに、どういうわけか「地域ビジネス」なるものは、補助金を前提として議論される。経験してみれば分かることだが、地域活性化に関わると、必ずといっていいほど補助金の話がどこかのタイミングで浮上する。よいことだからカネをやる、というのはビジネスとは関係がない。自分の「エリア」に関するビジネスなのだから、自分のお金でやればよかろう。そして投資したお金よりも高い価値をもたらし、稼げばよいのである。

 ようするに、もうすでに地方の人たちは、この構造に慣れてしまっているのである。中央があって地方がある、地方政府があって自分がいられる、という構造である。すなわち、施しを受ける構造、従属の構造である。実によくない。主体性がない。自分ごととして地域を捉えられなくなってしまう。先に述べたとおり、ビジネスとは自分がやりたいからやるものである。自分の「エリア」を定めるのがビジネスである。自分のまわりをとりまく環境を変えるのは、自分自身である。

 それゆえまた、ふつうビジネスを興す際には、最初に補助ならぬ投資を受けるか、持ち金を使うものである。投資対効果の観点がそこには存在する。投資したお金よりも高い価値をもたらそうという観点、そこからお金を儲けようという観点である。ゆえに初動の前にプランは練り上げられ、高い成果につながるのである。さらには、その高い成果をこれからも継続させるにはどうすればよいのかという観点がつねに持たれることになる。

 それに対して、補助金は言葉の通り「補助」だから、そういった観点はどこかでぬぐい去られる。補助金を求めているうちは、ビジネスの基本前提から外れてしまうことになるのである。よって補助金ではなく投資の観点を持ったほうが、儲けようという姿勢、スキルは育まれる。補助金があることで、ビジネスが成功する可能性は、むしろ低くなってしまうのである。

 悪しきループから逃れ、地域を活性化させるには、本来のビジネスの観点から考えなければならない。ゆえに、地域活性化における筆者の意見はシンプルである。地方創生とかなんとかいっておらず、この儲かる「地域」において、普通にビジネスをやろう、である。そもそもからいって、すべてのビジネスには「~のために」という前提が存在する。地域ビジネスは「この地域のために」というだけにすぎない。

地域ビジネスのほうが儲かる

 都会は人脈が得られて、ビジネスのスピードが早くて、それゆえ起業がしやすい。起業をするなら、やはり都会に限る。そういうイメージがある。

 しかし、これは決めつけである。たしかに立ち上げやすいのかもしれないが、始めやすいということと、それが成功しやすいということとは、別の話である。都会は成功しにくいのである。なぜなら、すでに様々なモノやサービスが溢れているからである。競合との差異は生じにくい。よほどの特性がなければ、そのビジネスは成功しない。そうすると単に奇抜なだけで、本当のところは無価値なものが生まれやすくなる。

 一方で、地域はいい。何にもない。本当に何にもないのである。よって、ここにないものを考えるのが非常に楽である。都会にはすでに当たり前にあるものが、少し観点を変えるだけで、ここでは斬新なビジネスとなる。東京にいた頃にはよく耳にした、イノベーションにおいて最も嫌うべき言葉「それってもうあるよね」は、ここではほとんど聞くことはない。イノベーションを興すためには「あるもの」ではなく「ないもの」に目を向けなければならないが、「ないもの」だらけの地域では、それが容易なのである。

 まえに書いたように、いきなり大きなビジネスを立ち上げる必要はない。副業から始めるべきである。いまの収入に、年間50万、100万円を得られたときの姿を想像してほしい。まずはそれを目指そうではないか。地域は小さくビジネスを立ち上げるのに最適な環境である。地域では初期投資が抑えられる。拠点を構えるにしても家賃が安い。都会とは違って情報にあふれていないから、プロモーション費用も抑えられる。競合がいないサービスをもってくれば、価格競争からも逃れられる。メリットだらけである。まさに地域はドル箱なのである。

 一つだけ、注意していただきたい。多くの「地方」は、縄張り意識が強い。自分のまちを荒らされたくないと考える人が少なからずいる。また、取り分を減らされたくないと考える人も多い。つまりは、「ふるきよき」現状を維持したいのである。ゆえに、それらの「地方」では、体質的に保護を求める傾向が強い。補助金を求めるのも、根本的にはこの姿勢が原因である。

 そのため、三つのことに気をつけなければならない。一つは、「地方」ではなく「地域」の意識が高いかどうかを見極めることである。二つ目に、いわゆる「よそ者」に寛容かどうかを見極めることである。これには多少の時間がかかる。最後に、参入したのちに、ああだこうだ言われて「やりたいこと」を邪魔される傾向が少しでもあれば、早めに撤退することである。彼らはずっと邪魔をし続ける。したがってまた、どうしてもそういう「地方」でビジネスがやりたいということであれば、「地方」の意識をもつ人たちとできる限り関わりを持たないことである。そして、地域のリーダーを探し当てなければならない。リーダーとは、先を見て、実際に行動する人である。その人があなたのパートナーである。

 地域創生のためには、ビジネスの観点が必要である。そうすれば税金を使うのではなく、生み出すことができるようになる。雇用も生まれる。地域は活性化するようになるのである。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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