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商店街が衰退してイオンが繁盛した、たったひとつの理由

遠藤司SPEC&Company パートナー 皇學館大学 非常勤講師
(写真:アフロ)

 商店街にいかない理由はシンプルである。行く意味がないからである。

 それに対してイオンはいい。食材は安いし、家電や衣服など、色々なものがそろっている。フードコートでは家族みんなが各々の好きなものを食べることができる。ゲーセンもあれば、本屋もある。モールによっては映画館まである。季節ごとに行われるイベントも楽しみだ。それからイオンにはベビールームまであって、お母さんは安心して、赤ちゃんのおむつを替えることができる。まさに家族みんなのことが考えられた、おもてなしの場所が、イオンなのである。

 そのイオンも、どうやら赤字に転落したようである。原因は総合スーパー事業のブランディングにあるのだが、ここではあまり関係がないので取り上げることはしない。黒字化するかどうかはさておき、原因がわかっているのだから、イオンは経営努力によって改善策を講じればよいだけである。経営者の手腕が問われる。

 それよりも問題なのは、商店街も衰退の原因がわかっていたのに、これまで決定的な対策を行えてこなかったことである。商店街も、かつてはイオンと同じように、色々なものがそろっていた。むしろ商店街のほうが、楽しい場所、ゆかいな場所だったのである。しかし衰退がみられるようになると、つまり後ろ向きな状況に陥ってしまうと、両者の違いは明るみに出る。イオンと商店街との間には、一つの決定的な差異があるのだ。

 いったいどうして、商店街とイオンモールはここまで差が開いてしまうのか。どうしたら商店街は、昔のように活気を取り戻すことができるのだろうか。

ようするに、経営者の存在

 イオンと商店街との違いは一つである。すなわち、経営者がいるかいないか、である。

 商店街それ自体には経営者はいない。経営者と呼べるのは、各店舗のオーナーである。それをまとめ上げ、経営の手法を駆使して全体の成果を向上させるための経営陣が、商店街には存在しないのである。

 商店街にあるのは、商店街振興組合という寄り合いである。ほかにも地域ごとに商工会とか商工会議所といった任意に加入できる団体があり、経営支援などを行ってはいるが、ともあれ商店街にあるのは、この振興組合である。

 組合には、機能しているところとそうでないところがある。機能しているところはなかなか頑張っていて、商店街の活性化のための様々な施策を打ち出している。筆者は遠くのまちにいくと、必ずそのまちの商店街を見るようにしている。単純に、そこには楽しいアイディアが落ちているからである。

 しかし、機能している組合でも、衰退を食い止めることができない決定的な理由が一つある。すなわち、経営者のような権力ないし強制力を持たないことである。あくまでも組合は、そこに集まった人の寄り合いであって、店舗のオーナーに何かを強いることはできない。権利をもつのはオーナーである。ゆえにたとえば、オーナーに店舗のシャッターを開けるように要望しても、オーナーの自己都合によって開けられないといわれてしまえば、それまでである。

 この点が、イオンとの違いである。イオンであれば、赤字転落したならば、店舗を改装したり、商品のラインナップを変更したりと、前向きで、具体的な行動を、即座に起こすことができる。対して商店街では、たしかに要望ないし要請することはできるが、主体はオーナーであるから、商品を変えるかどうか、店舗を開けるかどうかは、オーナー次第である。

 また、組合それ自体は潤沢な資金をもたない。あくまでも目的は、協同して経済事業を行なうこと、ならびに環境改善を行うことだからである。ゆえに組合は、オーナー個人のもつ店舗をリニューアルすることはできない。したがって、商店街のいち店舗が老朽化し、撤退したとしても、すなわち所有権を持ったままシャッターを閉めたとしても、それを歯がゆい思いで見ていることしかできないのである。

 さらには、いまや巨大企業に成長したイオンは、店舗運営のプロである。商工会や商工会議所の呼ぶ「専門家」もセミナーを開いてはいるが、それはあくまでもセミナーである。対してイオンでは、モールに出店した専門店に対して、「売場づくりのアドバイスや接客力向上教育、ITを活用した売上情報の収集・分析など、小売に精通したディベロッパーならではの運営サポートを行うほか、従業員専用のコンビニエンスストアや快適な休憩スペースを設置するなど、働きやすい環境づくりに努め」ることができる。イオンの目指す「出店したいモール」のために、プロの視点から、各種サポートを行うことができるのである。

 商店街には経営者がいない。組織内において役職をもった経営者がいないのである。そうであるから商店街の活性化に関わる人は、苦労することになるし、うまく成果を上げられないのである。

まずは現状把握から

 問題を改善するためには、現状の把握と、目指すものとのギャップがいかなるものかを知らなければならない。とりわけ商店街の活性化において把握しておかなければならないのは、貸し手の姿勢と借り手のニーズとの差である。

 平成28年度の「商店街実態調査報告書」(中小企業庁)によれば、空き店舗が埋まらない理由における「貸し手の都合によるもの」の39.0%が、「所有者に貸す意思がない」ことが原因である。次いで「店舗の老朽化」が34.6%、「家賃の折り合いがつかない」が29.2%と続く。

 一方、「借り手の都合によるもの」では、「家賃の折り合いがつかない」が33.8%、「商店街に活気・魅力がない」が33.6%、「店舗の老朽化」が26.9%である。

 ざっくりまとめると、こういうことになる。もはや商店街は新規店舗を出すのに値するだけの活気・魅力がないのにもかかわらず、貸し手は家賃を下げようとはしない。そもそも所有者に貸す意思がないからである。彼らは過去に儲けたお金や、年金などの社会保障によって、明日の飯を食べることができる。よってシャッターを開けるつもりもなければ、自分の住んでいる店舗を貸すつもりもない。そういった事情によって借り手がつかないから、店舗が老朽化しても修繕されず、放置されている状態である。したがって、商店街の活気・魅力はさらに下がっていく。

 よくないループである。ようするに、貸すつもりのない人たちは、商店街の活性化などは二の次なのである。あるいは、悲壮感、諦めモードがずっと続いているのである。いまのところ彼らには、「地域ビジネス」をやる意思がない。いくら一部の人ががんばっても、意思のない人が多くいるのであれば、商店街は活性化しない。

 悲観的になっていても仕方ない。どうすればいいのかを考えなければならない。答えは一つ。すなわち、商店街をひとつの「イオン」に見立てて、全体運営を真剣に考える人を設けなければならない。経営を行う人、商店街全体を儲けさせる人を決め、施策を実行するしかない。その人は、店舗のオーナーにも意見を言い、納得させなければならない。

 商店街は、まちづくりをやろうとか、地域を活性化させようとか、そういった大義はとりあえず脇においといて、ビジネスに集中したほうがよい。明日の飯が食べられないのであれば、経営を続けることはできない。

なんだか楽しそうに儲けている商店街

 商店街の「経営者」が第一にやるべきことは、貸す意思のない人を、貸す意思のある人に変えることである。彼らに訴求できるメリットは、お金ではない。先に述べた通り、貸す意思のない人はお金に困っていないからである。そのような状況で補助金を出しても仕方ない。むしろ切羽詰まった人のほうが、月に数万円でもお金を得るために店舗を貸そうとする。ゆえにお金は、動機づけにならない。

 お金ではない。喜びが必要なのである。退屈で不安な毎日から逃れられる、これから楽しくなるはずだという期待感が、そこには必要である。

 すなわち、商店街をとにかく盛り上げることから始めなければならない。それには組合を、楽しく参加できる場所にしなければならないのである。元気のある組合は、子供から大人まで、なんだか楽しく、愉快に、色々なことを企画している。そういった組合なら、シャッターを開けないオーナーも、とりあえず参加してみたくなるだろう。出店意思のある人は新しい店舗コンセプトを持っていることが多いから、商店街のカンフル剤になる。こういった店舗が増えれば、商店街は活き活きと動き出す。

 誤解を恐れずにいうならば、景気とはお金の問題というよりは、気持ちの問題である。「景気がいいねぇ」という言葉があることが、それを物語っている。したがって、商店街の景気の向上は、気持ちの喚起から行わなければならない。誇りを持てる街、シャッターを開けてみたい街、人を呼んだら何か楽しそうなことがありそうな街を、「経営者」は作っていかなければならない。

 このコンセプトに基づく様々な活動を総称して、「天の岩戸プロジェクト」と私は呼ぶことにした。アマテラスオオミカミは天の岩戸にひきこもったとき、アメノウズメノミコトの踊りによって生じた神々の大笑いを不思議に思い、見てみたいと思って岩戸を開けたのである。北風と太陽の話と同様、無理やりこじ開けようとしても開けることはできないが、動機があれば、開けようとするものである。

 地域活性化についての様々な意見を見ていると「~でなければいけない」とか「責任や自覚をもってやるべきだ」といった、何かを強制する話が多いように感じる。専門家の人たちはみんな何かに怒っていて、正直おっかない。しかし、もともとまちは、そんな堅苦しいものではない。前向きに生きる場所がまちである。

 もっといえば、後ろ向きになっているから、補助金に頼るようになるのである。そうではなく、やりたい仕事が出来る場所、楽しくみんなで、外からきた人も仲間に呼び込んで、お客さんに幸せを提供できる場所をつくりあげていこうではないか。

 最後に、経営には戦略が必要である。そして戦略の本質は「選択と集中」である。そうではないという人もちらほら見受けられるが、いずれにせよ資源は限られているのだから、何を行うかを決め、それに集中しなければならない。自分たちはどのような商店街を目指すのか。そこにおける顧客は誰か。顧客への価値は何か。いかなる手段でそれをなすのか。

 イオンになってはいけない。商店街がイオンになろうとしても、資本力が違いすぎて、勝つことはできない。たしかにイオンには何でもある。しかし、何でもあることは必ずしも、メリットではない。メリット、価値は、顧客が決めるのである。特定の顧客の姿をイメージし、その一群に何を提供できるのか、何を整備し、どのように儲けるのかを、考えなければならない。それが商店街の目指すべき道である。

SPEC&Company パートナー 皇學館大学 非常勤講師

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。多数の企業の顧問やフェローを務め、企業や団体への経営支援、新規事業開発等に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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