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アンケートでは1か5か、イエスかノーかを考えよう 脳を鍛える方法について

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

ずいぶん昔、ネットでこのような冗談を見た。

Q. 日本人は物事を白黒つけるのが下手だと思いますか?

・思う 21%

・思わない 7%

・どちらともいえない 72%

風刺が効いている。このような冗談が成り立つということは、それが事実として認められているということである。

当時はニヤつくこともできたが、大学の教員になったいまはそうはいかない。人を育て、社会を健全に維持する責任がある。正否が判断できないということは、破滅の道に進む危険性に気づくことができない、ということである。

自らにふりかかる危険に対処できない

質問が投げかけられているのに、しかもイエスかノーかしか判断できない質問がそこにあるのに、「どちらでもない」を選択するのは、思考が働いていないからである。

上記の質問の場合、日本人というステレオタイプに対する自分の考えを示すことが求められている。よって、「思う」か「思わない」かしか答えはない。ここで「どちらでもない」を回答した人は、自分の考えがない、ということになる。あるいは、考えたくないのである。

どうでもいい質問だから「どちらでもない」にしたという人は、むしろ危ない。思考が働いていないどころか、停止している。人間ならば思考はつねに行っているものである。それを放棄している。人間であることを放棄している。

「どちらでもない」を選択する人は、物事を真剣に捉え、考え抜く習慣がないのである。どこか甘えの姿勢があり、自分ではない誰かが方向性を示してくれるだろうと思っている。

そのような姿勢が続くとどうなるか。思考は訓練である。考えて行動できない人になる。あなたの会社にいる、あの人のことである。相手の意図がわからず、したがって自分の意思もない。仕事はコミュニケーション、意思表示の交錯によって成り立つから、仕事そのものができなくなる。会社のお荷物になるか、でなければリストラの対象だ。しかも、たとえそうなっていることには気づいたとしても、それを真剣には捉えられない。自分の身を守ることすらできないということである。

会社にふりかかる危険に対処できない

何となく生きている人は会社にはいらない。たんに置いておくだけでもいけない。なぜなら、その人は会社が危険な状態に陥っても、それに対処しようとしないからである。

日常に潜む危険性は、常日頃から、そこに何かがあるのではないかと思いながら過ごさなければ、気づくことはできない。考えることを放棄している人は、目の前に危険が迫っていても、それが危険であることに気づけないのである。あるいは気づいても、自分ごととして考えないから、対処しようとしない。放置し、手遅れにさせる。

すべての悪は、初期症状を見過ごしてしまわなければ、何らかの形で対処できる。より害の少ない悪を選択することで、少なくとも最悪に陥ることからは逃れられる。破滅から逃れ、どうにか存続できる。

悪から逃れるには、まず気づけるようになることが重要である。何かに気づくには、普段からよく視ていなければならない。普段からよく考えていなければならない。普段から、判断を下さなければならない。それができない人には、小さな仕事すらも任せてはならない。危険は日常のなかにこそ潜んでいる。

常日頃から判断力を鍛える

判断とは、実際の状況において正否を見極め、いかなる行動を選択するかを決めることである。行動のうちに、判断力を鍛える習慣を身につけなければならない。

何でもなさそうなものでも、いい加減に決めてはならない。怠惰は堕落の元である。思考は常に働かせていなければならない。ゆえに取るに足りないアンケートひとつにも、自分の意思表示の場だと思って真摯に取り組まなければならない。あいまいな姿勢から始めてはならないのである。

訓練はこうである。いかなる場合においても、質問が投げ掛けられたら、イエスかノーか、よいか悪いかを考えぬくことから始めよう。1か5か、である。その次に考えるのが、程度、具合、どれほどか、である。1ではなく2の場合、5ではなく4の場合も存在する。どちらでもないは考えなくてよい。日常にはそのような場面などない。機内食は肉か魚かと聞かれて、「どちらでもない」を選択することはない。

現実社会における正否の判断は、人によって異なる。なぜか。ものの見方、パラダイムが異なるからである。その人の立場からしか、物事は判断できない。ゆえに立場、スタンスを明確にすることから、判断は始まる。そのとき、人はブレない判断ができる。

そうすると人は、高い価値をもつようになる。人の価値は、人と異なることにあるからである。そして、異なるものが結合することで、創造が生まれる。新たな活動が生まれるのである。どちらでもない人には、価値はないのである。

意思表示の訓練は絶やしてはならない。そういう時代に生きていることを忘れてはならない。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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