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「女性・女系天皇」賛成は84.5% いまなお続く皇位継承問題の無理解

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(ペイレスイメージズ/アフロ)

11月20日、西日本新聞に「「女性・女系の議論を」82% 「退位、恒久制度必要」70% 皇室世論調査」と題する記事が掲載された。

この記事で注意すべきは、「女性・女系天皇」とひとくくりにされた言葉が使われていることだ。調査をみると、いま立ち上がっている有識者会議で「女性・女系天皇」や「女性宮家」について議論した方がよいと考えている人は、81.7%。また「女性・女系天皇」を認めることに賛成の人は、84.5%である。しかしこの「女性・女系天皇」という言葉、はっきりいって意味不明である。女系の、女性天皇、ということだろうか。

どうやら世間には、いまだ女性天皇と女系天皇の違いがわからない人が少なからずいるようである。それではいかに政府が議論を進め、解決策を講じたとしても、国民はその意味するところを正しく理解することができない。

こういうことが続くようでは、我が国の政況は不安定なままである。いまさら説明するのは恥ずかしいくらいなのだが、改めて、ここでざっくりと整理することにしたい。

女性天皇、女系天皇はまったくの別ものである

女性天皇、女系天皇がいまだ混同されているのは、言葉のなかに「女」というキーワードが入っているからであろう。

女性天皇とは、文字どおり「女性の天皇」である。女性天皇には前例があり、過去に8人の女性天皇が存在した。これが明治になって、皇室典範を法制するにあたって、男系男子のみが即位できるものとされた。

しかし、歴代の女性天皇は、男系天皇である。ここが混乱しやすいところだ。男系とは、父方の血筋であることである。対して女系とは、母方の血筋であることである。つまり、歴代の女性天皇は、父方の血筋である男系の、女性天皇なのである。ときの天皇が男性であったか女性であったかはさておき、男系を続けてきたのが皇位継承における歴史的事実である。

それゆえ男系か女系かということと、男性が天皇になるか女性も認めるかということとは、その意味も、議論する内容も、検討にあたるときの姿勢も、まったく異なる。とりわけ前者は、皇位の正統性がどこにあるかという問題にほかならず、男女の性別がどうこうとは異質の問題である。

それなのに調査では、「女性・女系天皇」とひとくくりにされてしまっている。調査者の無理解によるものか、ミスリードを誘うことを意図したものかはわからないが、意味が分からない言葉をもってなされているのであれば、調査は信用に値しない。

議論したほうがいいに決まっている、普通ならば

この度の世論調査は、共同通信社に事務局を置く、全国の地方新聞などが加盟する、日本世論調査会という団体が行った。全国250地点から18歳以上の男女3,000人を選び、調査員が直接面接して回答を得る。回収率は58.0%であった。

着眼すべきは、「直接面接して回答を得る」点だ。この場合、問題についてよくわかっていない人もまた、答えざるを得なくなる。そうすると、無難な答えを選択するようになる。基本的に議論を封殺するのはよいことではない。ゆえに、結果がどうであろうとも議論はしたほうがよい、と回答するのが人間の心理である。これが第一に、議論した方がよいと答える人が多い理由である。

また、女性天皇と女系天皇との違いを理解している人は、そもそも質問自体がおかしいことに直ちに気づく。問いが間違っているのだから、彼らは正しく回答することができない。放棄を選ぶのが自然であろう。そうであれば回答者は、女系天皇と女性天皇の違いについてまったく理解していないか、あるいは是非に関する何らかの信念を持って回答している人、ということになる。これが第二に、「女性・女系天皇」なるものを認める人が多くなる理由である。

このように、世論はいくらでも操作できるのである。この記事では、本当に「女性・女系天皇」なるものを国民が肯定しているかはわからない。女性天皇、女系天皇に関する正しい理解がなければ、国民の望むものはわからないのである。

土台となる知識がなければ正しい判断は下せない

現在の我が国においては、旧宮家の皇籍復帰を目指すにも、あるいは側室を復活するにも、はたまた結論として女性天皇や女系天皇を認めることになったとしても、国民の理解を得られなければ行うことができない。怒られるかもしれないが、それが事実である。

そのためいまやるべきことは、国民の教化である。皇室に関する正しい知識を国民に得させることこそ、皇室の正統なる存続のために必要なのである。知識がなければ正しい判断は下せない。

まずもって必要となるのは、皇室についての基本的な知識である。これは基礎的なテキストを用いて学ぶことから始めなければならない。皇室とは何なのか、どのような原理によって成り立っているのかを知らなければならない。それらを土台にし、有識者の見解に耳を傾けなければならない。思考しなければならない。

そのときはじめて、国民のうちに見解が生まれる。土台がなければ、その上に築城することはできない。現世に生きる個々人の浅はかな考えではなく、過去に生きた人たちの見解を含む、まさしく「輿論」というものを尊重しなければならないのである。チェスタトンの言うように、「死者には墓石で投票して貰わなければならない。」「単にたまたま生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない」のである。

知識なき判断は危険である。浅はかな結論しか生じない。しかもこれは、国家の精神的支柱たる皇室の問題である。誤った判断を下すことは、国家の衰亡を招くことになる。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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