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マラソン選手の強みはプロレスラーの弱み:貧乏人をなくす方法

遠藤司SPEC&Company パートナー 皇學館大学 非常勤講師
(ペイレスイメージズ/アフロ)

「格差が問題」という考えが、本当の格差を生む:貧乏人をなくす方法」の中で、政府は非正規雇用を対象としたビジネス訓練校を創るべきだと述べた。

誤解した人がいたようだが、筆者は貧乏なのは自己責任だとか、努力が足りないなどとは言っていない。そうではなく、貧乏から抜け出せない社会は問題であるから、抜け出すための仕組みを政府がつくらなければいけない、ということである。ようするに、社会に歪みが生じているのだから、構造のほうを改革せよ、と言っているのである。

貧困国への支援は、資金援助に終始してはいない。自立と発展のための支援、教育の支援もまた行われる。これを国内においても行うべきである。すでに述べたように、魚を与え続けてはならない。生きるためには、魚を獲るための道具と、その使い方を身につけることが重要になる。またその前に、何が何でも魚を獲ろうという意思が必要である。

施しを与え続けると、それが当たり前になる。そこから抜け出せなくなる。サミュエル・スマイルズは『自助論』のなかで、次のように述べる。「外部からの援助は人間を弱くする。自分で自分を助けようとする精神こそ、その人間をいつまでも励まし、元気づける。その人のために良かれと思って援助の手を差し伸べても、相手はかえって自立の気持ちを失い、その必要性をも忘れるだろう。保護や抑制も、度が過ぎると役に立たない無力な人間を生み出すのがオチである。いかにすぐれた制度をこしらえても、それで人間を救えるわけではない。」

努力によって、貧乏から抜け出さなければならないのである。だからこそ、努力する意思さえあれば、貧乏人が金持ちになれる仕組みがつくられなければならない。

所得格差があることそれ自体は問題ではない。アイデアを出し、それを実行し、成功した人がお金を儲ける社会はよい社会だ。チャレンジ精神が産業を発展させる。そのような社会では、貧乏人でもチャンスがあれば金持ちになれる。ここにおける問題は、家庭を持てないほど貧しい人がいること、そしてそこから抜け出せないこと、である。つまり貧困層が固定化していることが問題である。だから問題解決は、貧乏から抜け出すこと、となる。

筆者の施策は、ビジネス訓練校だ。それと異なる施策があれば、教えてほしい。まとめてYahoo!ニュースに取り上げようと思う。われわれ皆の力で、この国を正しく導こうではないか。

ところで、もう一つ誤解があるように思う。ある人は言う。「国家一億人がマラソンをし、トップクラスを走れる方々も沢山おられるが、当然そうなれる方ばかりではありません。」まさしくその通りである。しかし筆者は、ここに考えを改めなければいけない点があるように思う。すなわち、トップクラスとかエリートといったものを目指すのではなく、自身の成功を勝ち取ることを目指す必要がある、ということである。儲かる仕事はごまんとある。新しくつくることもできる。マラソンにおける一番を目指すのが正しいとは限らないのである。

再度ドラッカーの言葉を引用したい。「知識は、職業の定められた社会を、職業を選べる社会へと変えた。いまや、いかなる種類の仕事につき、いかなる種類の知識を使っても、かなり豊かな生活を送れるようになった。」知識を得ることによって、人は生き方、職業を選択できるようになった。その職業において、豊かな性格を送るチャンスが生まれた。教育の力で、それを実現しなければならない。

一律の基準で勝負してはならない。たしかに勉強が得意で東大に行く人もいれば、大学にすら行けなかった人もいる。しかし、高校までの勉強が出来たということと、仕事において能力があるということとは、全く関係がない。昔の企業家は、みんな高卒だ。儲ける能力、儲けられる分野の能力さえ身につければ、人は充分に成功を収めることができる。

ゆえに筆者の考えるビジネス訓練校は、いまの大学のカリキュラムのようなものを想定していない。それよりも、彼のもつ力、持っているもの、「強み」をいかに伸ばし、カネに繋げられるかといった観点で創られなければならない。

ここで重要なのは、人の持つものが強いか弱いかということは、何に用いられるかによってまったく異なるということである。マラソン選手にとっての強みは、プロレスラーにとっての強みではない。逆にプロレスラーの大きな体躯は、マラソンには向いていない。よって始めに検討しなければならないのは、彼がどの方向に向いているのか、向いたほうがよいのか、である。同時に彼のもつ素養は、そこにおいていかに活かせられるか、である。そのとき、学ぶべきものが定まる。伸ばすべきもの、足りないものがわかるようになる。それらを重点的に習得すれば、儲ける人になることができる。

切れない包丁で料理をしている板前はいない。まずは包丁を研ぐ。また、腕を磨く。そうすれば旨い料理を作ることができるようになる。儲けられるようになるのである。

もしこのような学校ができ、レールから離脱しても努力次第で再び成功を収めることが出来るようになれば、若者に新しいことにチャレンジする姿勢が生まれる。将来に失望せず、頑張れば報われると思えるようになるから、家庭を持とうという気持ちも生まれる。若者を勇気づけることが出来るようになるのである。

実際の手段は、大学や専門学校との提携になるかもしれない。もしそうなるのであれば、すでに「学歴ではなく「学習歴」を見る時代:ビジネスの観点から大学を改革せよ」で述べたように、大学は変革を遂げる必要がある。いずれにせよ、訓練校での教育は、儲かることのために行われるべきである。目的は、貧乏人の貧乏からの脱出であり、少なくとも人並みに稼げるようになることである。カネは、明日を生きるための条件である。

多様性を尊重することでビジネスは生まれる。よって日本の成長戦略は、貧乏人を儲けさせることから始まる。儲けてもらって、税金を納めてもらわなければならない。非正規雇用を活かすことこそ、我が国の未来のための最重要課題である。

SPEC&Company パートナー 皇學館大学 非常勤講師

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。多数の企業の顧問やフェローを務め、企業や団体への経営支援、新規事業開発等に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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