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「写真撮影禁止」の時代錯誤:お客さんを自由にすれば観光地はもっと栄える

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

昨年の10月頃だっただろうか。筆者は長野の奥まったところにある、とある観光地を家族で訪れた。家族とはいっても、筆者はいい歳して結婚していない。ここにおける家族というのは、父と母である。

訪れたのは、有名な観光地である。趣のある町並みがとてもよい。宿場町としての面影が残っていて、立ち並ぶお店もまた、観光客を楽しませてくれる。

まちを歩いていると、切り絵のお店があった。おそらく自作であろう。とても上手だし、絵のセンスもいい。しみじみと見ていると、むこうの壁に「写真撮影はお断りしています」という張り紙があった。なんだかこれで気持ちが冷めてしまった。この張り紙なからましかばと覚えしか。

なぜ写真撮影を禁止する必要があるのだろうか。「この行為にどんな意味があるっていうんだ?」色々と考えてみた。

「写真撮影禁止」の時代錯誤

少なからぬ観光地のお店で、写真撮影禁止の張り紙をみる。文化的な観光地ほど、そういうことが多い。

なぜ写真撮影を禁止するのか。理由は (1)目の前の人が (2)買うか買わないか が店の人の関心事だからである。ようするに店の人は、観光客が、写真を撮る、ということが何を意味するのかを、理解していないのである。

当たり前だが、観光客は、観光をするために、観光地を訪れる。つまり訪れる目的は、見物すること、体験すること、である。何かを買うのは、その後の行為だ。

観光地を練り歩くのは楽しい。いろんなお店をみて、同じものを食べる。新しい発見がある。そのあとは一緒に訪れた家族や友人と話し、感動を共有する。

そういう体験から、よい経験を得るために、観光地を訪れるのである。楽しい経験、充実した経験、幸せな経験。それらの経験を得るために、人は観光地を訪れる。だから観光客の心は、観光地のうちにあって、ともにある。思い出として、心に刻み込まれる。

ここで登場する、写真撮影禁止。この張り紙がお客さんに対して示すものは「あなたはお客様ではありませんよ」ということである。だから、気持ちが冷める。見物しに来た私は、受け入れられていないのか、と。よってもちろん商品を買うことはない。心がそこになくなったのだから、衝動買いとはならない。

写真を撮るのは、それに心を動かされたからである。心はふだん固定されていて、だからこそ心を動かすために、観光地を訪れる。観光地では様々な刺激が得られる。その刺激の対象を記録として残すために、あるいは身近な人と共有するために、写真を撮るのである。

しかもこの時代は、身近な人だけでなく、より多くの人に知ってもらおうという動きが頻繁にみられる。観光地を訪れた人は、SNSなどに写真をアップする。それを見た人が、写真をシェアする。その写真はネットのなかで広がりをみせ、誰かを、次の休日はそこを訪れてみようかという気持ちにさせる。ビジネスは人がいることで成り立つ。写真を撮った人は、勝手に人を呼び込んでくれて、自分たちを成功させてくれる人なのである。

顧客は、目の前の人ではない。その人が買うか買わないか、ではない。観光地は、できる限り写真撮影を許容したほうがよいのである。それを見た誰かが、明日お金をくれるかもしれないからである。

多くの人の自由を保証する

「夢の国」であるディズニーランドは、禁止事項が多い。飲酒はダメだし、ペットも連れ込めない。刺青をこれみよがしに見せている人は、入場すら禁止である。なぜか。そこが「夢の国」だからである。「すべての方に楽しく快適にお過ごしいただき、笑顔あふれるパークにするため」に、禁止事項を多くしている。

写真撮影にあたっては、一脚や三脚のほかに、自撮り棒までも禁止されている。いずれも、他の人の迷惑になるからである。よってたしかに観光地でも、皆に楽しんでもらうためには、むやみやたらに写真撮影するのは禁止したほうがいい、ということになる。写真撮影でその場を動かない人は、迷惑である。

「オイオイ、言っていることが違うじゃないか」と思われるかもしれない。そんなことはない。筆者が禁止したほうがよいと言っているのは、人の迷惑になる行為、マナーの悪い行為である。一人の顧客の自由によって、多くの顧客の自由を制限するような行為は、制限したほうがいい。

だから観光地では「写真撮影禁止」ということになるのだろう。しかし、それは短絡的だといえよう。やるべきは「ここでなら写真撮影を存分にお楽しみください」である。写真撮影を楽しんでもらえる空間を、別のどこかに設けることである。

ディズニーランドは自撮り棒を禁止しているのであって、背景と一緒に自分が写ることを禁止しているのではない。よって客は、キャストの皆さんに、撮影をお願いすればよい。温かく了解してくれる。ディズニーとは、そういう気配りの場所である。

観光地も同じように考えたほうがいい。店もまちも、写真撮影がOKな場所を積極的に設けるのである。例えば切り絵の店であったら、むしろ外に自慢の作品を並べて、よいアングルで写真を撮ってもらおう。また、自分も写りたいお客さんがいれば、店の人は「撮りましょうか」と声をかけるとよい。ベストショットがシェアされれば、お客さんが増える。ビジネスは大成功である。

ようするに、より多くのお客さんに楽しんでもらうことを考えるべきなのである。いかに自由にふるまってもらうかを考え、積極的にそれをサポートすることで、観光地は成功する。だから逆に、放縦は禁止しなければならない。思うがままに振る舞う人がいると、他の多くの人の自由は制限される。自由はマナーがあってこそ、保証されるのである。マナーを守ることから、自由ははじまる。

写真撮影を例にしてものを述べた。すべての要素においてそれを心がけることで、観光地「など」はもっと栄えると思われる。

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皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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