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早稲田大学の博士論文調査にみる「ネグレクト」の痕跡

榎木英介病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

前回のエントリーに引き続き、「先進理工学研究科における博士学位論文に関する調査委員会」調査報告を取り上げたい。

追加で公開された報告書の全文を読むと、調査自体はしっかりと行われており、その点は評価したいと思う。

報告書全文からみえてくるのは、小保方氏がろくな指導も受けていない、いわば「ネグレクト」された状態であったということだ。

全文は79ページに及ぶ。関係者の所属などについてところどころ黒塗りのところがある。ハーバード大学のS氏の記述の黒塗りの範囲は多く、内容が確認できない(P29など)。

調査は丹念に行われており、小保方氏が画像を勝手にウェブサイトから取ってきたことを、もとの著作権者に事情聴取して確認している。

コスモ・バイオ社の担当者の供述及び小保方氏の供述によると、転載元5の 2 の著作権はコスモ・バイオ社にあること、及び同社は転載元5の 2 の使用につき小保方氏に許諾を与えていないことを認定できる。 (P19)

そして驚くべきは、小保方氏の以下のコメントだ。

「インターネットにある画材と自分で書いた絵や文字を組み合わせて作成しました。なので、一部、他者が作成したイラストを含んでおります。当時は、何の問題意識も持っていなかった」(P12)

また、以下のような記述もある。

「参考文献の付け方も指導を受けたことがなかったので、一般的な参考文献のまとめ方もわからず、関連した内容の論文の文献リストが参考になるかと考え、いったん仮置きしたことを記憶している。」「その後、書き直しを進める過程で、一つ一つ確認して参考文献を付けた。」等と供述する。 (P41)

このような記載からは、小保方氏が日常的に研究者としての指導を受けていなかったことが分かる。

いったい小保方氏はどのような指導体制にあったのだろう。報告書はこの点を詳しく記載している。

平成 18年 4 月から、本研究科の修士課程に進学すると同時に、東京女子医大の先端生命化学研究所研修生として、Q 氏及び R 氏の指導の下、東京女子医大の先端生命医科学センターにおいて、再生医療の研究を開始した。(P58)

しかし、早稲田大学の指導教員である常田教授は

週に 1 度の頻度で開催されるゼミにおいて、小保方氏の研究内容を一定程度、確認するようにしていたが、Q氏及び R 氏に対して、小保方氏の研究内容や状況を定期的に確認するようなことはしていなかった。 (P58)

ハーバード大学留学中は

メールにより小保方氏の研究や論文作成の状況を時折確認していたが、小保方氏自身やハーバード大学での指導教員にあたる T 氏や S 氏に対して、小保方氏の研究内容や状況を定期的に確認するようなことはしていなかった。 (p58)

博士論文に対しては

平成 22 年 11 月初旬に博士論文の草稿を受け取ったときから平成 23 年 1 月 7 日頃に公聴会時論文を受け取るまでの間、小保方氏に対し、博士論文の提出やその内容について指導を行うことはなかった。(p60)

早稲田大学の指導教員であった常田教授は、「外研」に出した東京女子医大の指導に任せきりだった事がわかる。

もう一つの大きな問題点は、常田教授の研究分野と小保方氏の研究分野が異なっていたことだ。

常田氏自身も、小保方氏の研究内容が常田氏の研究分野と大きく異なることは認めているところであり、また、常田氏の指導状況を知る関係者数名が、「常田氏は小保方氏の研究内容を十分には理解できていなかったと思う。」等と供述する。 (P63脚注)

さらなる問題点は、指導すべき学生の多さだ。常田教授の研究室は「平成 22 年度に常田氏が指導を担当していた学生数は、15 人であった」、「なお、常田氏の研究室に所属する学生の数は、平成 20 年度は 28 人、平成 21 年度は 21 人、平成 23 年度は 18 人、平成 24 年度は 22 人、平成 25 年度は 28 人であった」(P60)という。

現在公開されている常田研のホームページをみると、 メンバー構成は教授1名、助手1名、「次席研究員」と「招聘研究員」が1名つづ。残りは学生だ。学生は博士課程9名、修士課程7名、学部学生6名だ。

指導者が2名(研究員あわせて4名)で、これだけの学生を指導しきれるのかという疑問が率直にわく。一般に私立大学は、財政上の理由から多くの学生を指導しなければならないのが現実であり、この点国立大学法人とは異なる。

これは、私立大学の構造的に問題と言えるだろう。ただでさえ指導すべき学生が多いなか、分野も異なる学生の指導がいたら、指導が手薄になるのは当然だろう。

では、他の研究機関、「外研」で指導をうける学生の指導はどうなっているのか。本報告書では、小保方氏が東京女子医大やハーバード大学で日常的にどのような指導を受けていたのか書かれていない。しかし、冒頭にあげたとおり、引用文献のつけかたも教わっていなかった。すでにTissue Engineering誌に筆頭著者の論文が受理されているはずだが…

あくまで推定だが、Tissue Engineering誌を実際執筆したのは小保方氏ではなかったのかもしれない。東京女子医大やハーバード大学は、学生である小保方氏をデータ作成マシンとして利用しただけかもしれない。

報告書から見えてくるのは、小保方氏が早稲田大学と東京女子医大の指導の及ばない「エアポケット」に陥り、指導を受けられない「ネグレクト」状態に陥った痕跡だ。

学生を多数抱える研究室は早稲田大学に限らず日本中にある(ネットで検索してみてればすぐ分かる)。そして、学生をデータとりマシンとして利用し、まともな指導をしない研究室も多いと聞く。こうした構造がある以上、今後STAP細胞の事件と同じような事件が起こる可能性は否定出来ない。小保方氏ひとりを犯人とし、また、理研や早稲田大学を叩くだけでは、問題は解決しないのだ。

ニューヨーク・タイムズは、7月7日の記事で、日本の研究者養成に大きな問題点があることを取り上げている(Academic Scandal Shakes Japan)。

記事は以下のように述べる。

Critics say Japan’s best universities have churned out hundreds of poor-quality Ph.D.s. Young researchers are not taught how to keep detailed lab notes, properly cite data, or question assumptions, said Sukeyasu Yamamoto, a former physicist at the University of Massachusetts, Amherst, and now an adviser to Riken.

出典:ニューヨーク・タイムズ2014年7月7日付記事

日本のトップ大学でもまともな指導をされていないことが世界に知れてしまったのだ。もはや早稲田大学だけの問題ではない。日本の科学コミュニティが、この問題をどこまで「自分ごと」としてとらえ、行動できるか…それが問われている事態といえるだろう。

病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

1971年横浜生まれ。神奈川県立柏陽高校出身。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒業後、大学院博士課程まで進学したが、研究者としての将来に不安を感じ、一念発起し神戸大学医学部に学士編入学。卒業後病理医になる。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表理事。フリーの病理医として働くと同時に、フリーの科学・医療ジャーナリストとして若手研究者のキャリア問題や研究不正、科学技術政策に関する記事の執筆等を行っている。「博士漂流時代」(ディスカヴァー)にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。近著は「病理医が明かす 死因のホント」(日経プレミアシリーズ)。

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