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北の湖理事長の急逝と多臓器不全

榎木英介病理専門医&科学・医療ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

場所中の急逝

日本相撲協会の北の湖理事長が、九州場所中の11月20日、急逝された。62歳の若さだった。心よりご冥福をお祈りする。

44歳の私にとって、子どものころに見た北の湖の強さは衝撃的であり、いまだに脳裏にやきついている。横綱白鵬の「猫だまし」に苦言を呈するなど、まだまだお元気にみえただけに、突然の死は衝撃であった。

報道によれば、死因は直腸がんによる多臓器不全であった。

体調不良を訴えたのは20日朝だった。貧血の症状で福岡市内の病院へ救急搬送された。当時、容体は安定していた。だが、夕方になって急変した。

出典:日刊スポーツ

ただ、本当は突然ではなく、直腸がんを周囲には隠していたという。

がんが進行していた

がんはどのように人を死に至らしめるかについては、川島なお美さんの死についての記事ですでに解説したが、北の湖理事長の場合がどのような経過を辿ったか、報道から推測したい。

近年は体調がすぐれなかった。史上初の理事長復帰を果たしたのは12年2月。直前に見え始めた大腸がんの兆候を周囲には隠した。13年末に、大腸ポリープの除去手術後に腸閉塞(へいそく)を起こして入院。今年7月には腎臓に尿がたまる「両側水腎症」で手術し、体重も20キロ以上やせた。

10月に入っても腎臓がすぐれず、都内で入院していた。秋場所に続いて今場所も、土俵祭りや協会あいさつを欠席。場所中は会場に着いても車の中で2時間、横たわる日もあった。それでも大関戦が始まると、報道陣には何事もなく対応した。亡くなる前日の12日目まで、変わらなかった。

出典:日刊スポーツ

体調不良が続いていたが、死の直前までそれを隠していたため、周囲にはあまりに突然な急逝であったが、兆候はあったということだ。

上記から推測すると、以下のような経過を辿ったと考えられる(報道の内容が乏しいので、推測が多く入ることをお断りしたい)。

大腸ポリープの除去と言っていたのは、おそらく直腸がんの手術だったのだろう。手術によって体のなかに操作が加わると、体の反応によって手術部位に「癒着」が起こる。これにより、腸がねじれるなどして、腸閉塞が起こったのだろう。

ポリープ除去術は手術しなくても、ポリープを取り除くことができるので、腸閉塞が起こるような大きな操作が加わることは少ないからだ。

手術でがんは取り除かれたと思われるが、取りきれなかったがんや、あるいは転移したがんが増え始めたものと考える。川島なお美さんの記事で述べたように、20キロの体重減少は「がん悪液質」だったのだろう。がん細胞が体から栄養を奪い、体を衰弱させていくのだ。

がんの広がりと多臓器不全

今年7月の水腎症は、がんが尿の通り道である尿管もしくは尿道などを塞いだために発生した可能性を考える。腎臓で作られた尿が体の外に出せなければ、尿はどんどんたまってしまい、腎臓が尿だらけになってしまう。このため、腎臓の働きが落ちてしまう。

水腎症が起こるほど、がんが体のなかに広がっていたのだろう。

とはいえ、亡くなった日の経過は急だった。何が起きたのだろうか。

貧血はがんからの出血、もしくは直腸がんの肝臓への転移により鉄の利用障害などが起き、赤血球が作られにくくなったことが考えられる。直腸と肝臓は血管でつながっているため、直腸がんが肝臓に転移することは珍しくない。

また、「がん悪液質」による「がん性貧血」の可能性もある。

(著者補足;がん細胞は)鉄からヘモグロビンを合成する働きをブロックする物質(ヘプシジン)を作り、「がん性貧血」が進行します。

出典:がん研究最重点課題の一つ、「がん悪液質」を克服できれば「天寿がん」も夢ではなくなる

多臓器不全はその名の通り、一度に複数の臓器の働きが悪くなることだ。

多臓器不全症候群multiple organ dysfunction syndrome (MODS)は急性に生じる臓器の機能低下で、心、肺、腎、肝、消化管、中枢神経系、凝固及び線溶系などの臓器やシステムのうち、2つ以上が同時に、あるいは短期間のうちに連続して機能不全に陥った重篤な状態で、何らかの処置を必要とする状態である

出典:砂川、根本 病理と臨床 2005 Vol.23 No.10 p1079

多臓器不全は様々な原因で起こりうる。腫瘍が上記の複数の臓器に転移したことにより、臓器の働きを悪くしたことのほか、「がん悪液質」で弱った体に感染が起こることによる「敗血症」、「敗血症」などによって引き起こされる「全身性炎症反応症候群(SIRS)」、SIRSによって引き起こされる「播種性血管内凝固症候群(DIC)」などが複数の臓器の働きを悪くする可能性がある。

北の湖理事長の多臓器不全が何で起こったのかは、報道からははっきりしないが、直腸がんをはじめとするがんの末期では、多臓器不全が起こりうることは認識しておく必要がある。弱った体に起きた最後のひと押しが、死をもたらすのだ。

がん死は徐々に、そして突然に

阿藤快さんの死は、あまりに突然であり、直前までお元気だったこともあり、ご家族はお辛いことと思う。

北の湖理事長の死も突然だったので、ご家族にとってもお辛いことと思う。川島なお美さんや北の湖理事長の死は、比較的お若かっただけに、周囲の悲しみは大きいと思うし、ご本人ももっとやりたいことがあっただろう。さぞかし無念だと思う。

ただ、死を意識しながらも、死の直前まで仕事をすることができたこと、ご家族を含め、死を受け止める準備があったのは、多少の慰めかもしれない。

私の祖父は肝臓がんで亡くなったが、死の前日まで話をすることができ、がんばれ、と励ましの言葉をもらうことができた。生前お別れができたことはよかったと思う。一方、心筋梗塞で亡くなった父は、あまりに突然だったため、別れの言葉なども言えずショックは大きかった。下世話な話で恐縮だが、銀行口座の名義変更などの手続きが、本人がいないためにかなり煩雑になった。

死に方にはいくつかのパターンがある。徐々に弱っていき、最後に訪れる老衰のような死。健康だったのにいきなり生が断ち切られる血管の死。そして、徐々に弱っていき、最後にストンと落ちるようながんの死。

どれがよい、悪いということではない。繰り返しになるが、死を知ることが、充実した生をおくるためにも必要なのだ。

病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

1971年横浜生まれ。神奈川県立柏陽高校出身。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒業後、大学院博士課程まで進学したが、研究者としての将来に不安を感じ、一念発起し神戸大学医学部に学士編入学。卒業後病理医になる。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表理事。フリーの病理医として働くと同時に、フリーの科学・医療ジャーナリストとして若手研究者のキャリア問題や研究不正、科学技術政策に関する記事の執筆等を行っている。「博士漂流時代」(ディスカヴァー)にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。近著は「病理医が明かす 死因のホント」(日経プレミアシリーズ)。

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