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医学部卒TBS入社批判にみる日本人の学歴観

榎木英介病理専門医&科学・医療ジャーナリスト
専門職は養成学校に入ったらほかの道の選択の余地はない?!(写真:アフロ)

医師免許を持ったテレビ局社員誕生

今春、医師免許を持ったテレビ局社員が誕生した。筑波大学医学専門学群を卒業し、医師国家試験にも合格したという吉藤芽衣さん(24)。

ドラマ制作を希望し「医療ドラマが大好きで医者になろうと思ったんですけど、でも本当に好きなのはドラマだったと気付いてテレビ局に挑戦しました」と動機を語った。

出典:TBSに超異色新人 医師国家試験合格も「ドラマ好き」と入社

医師国家試験に合格しても、臨床研修をしていないので、診療行為はできないが、医学の専門知識を生かして、優れたドラマを作ってほしいと思う。

今までも医学部を出て新聞記者になった人や作家になった人もいるわけだから、報道や芸術というのは、医学を生かす一つの道だと思う。

読売新聞は、医師の記者を募集したくらいだから、医学の専門性はいろいろな場で生きるということだ。

批判沸き起こる

ところが、せっかく医学部を出て医師国家試験に受かったのに、テレビ局社員になるとはいかがなものか、と批判の声が起こっている。

正直、かなり驚いたのだが、ぼくの周囲では多くの医者がこの件に猛反対している。国立大学医学部を出て、その教育には多額の税金が使われているので、身勝手である、というのだ。

出典:楽園はこちら側「医学部卒業後にTBSに入社してはいけないのか」

これに似た批判は過去にもあった。

一昨年ですが、マッキンゼーが東大医学部の学生に対して就職の説明会に来た。100人の学生のうち、実は40人近くが参加しているんです。現実問題として、医者にならなかった学生も結構出ました。今年も私のかわいがっていた学生が、医者にならないという決断をしています。

出典:今後の医学部入学定員の在り方等に関する検討会(第6回) 議事録

医師不足のなか、せっかく養成した学生が、医学部を卒業して医師にならないのは残念、という嘆きの声が出たのだ。

高齢医学生への批判

こういう批判を聞くと、ああ、またか、と思ってしまう。というのも、私自身、これに類似する批判を受けた経験があるからだ。

私は28歳で医学部に学士編入学をし、32歳で医師免許を取得した。一番若い同級生より8歳年上の遠回り組なのだが、

「年を取ってから医師になっても、活動できる時間が短い。税金の無駄使いだ。」

「お前が医学部に入ることによって、若い人が一人医師になることを断念したのだ。」

と批判されたことがある。TBS社員への批判とはちょっと異なる部分があるが、税金投入云々言われるのは共通している。こうした批判を聞くと、大学が正規の学生として自分を認めてくれたんだから、何が悪い、と反発する気持ちと、確かに社会に貢献しないと税金の無駄使いになってしまう、という気持ちが沸き起こったものだ。

群馬大学では、56歳の女性が年齢を理由に不合格にされたのは納得がいかない、と訴訟を起こした事例がある。

かねてから注目されていた訴訟の判決が出た。訴えていたのは、群馬大学医学部を年齢を理由に不合格にされたという東京在住の女性(56歳)。

同大を受験し、筆記試験では平均点を上回っていたものの不合格に。不合格の理由を群馬大学に問い合わせると「総合的に判断した」との回答があり、それでも納得できず食い下がると、入試担当者は「個人的な見解」とした上で、年齢が理由だったことをほのめかしたという。

判決が出たのは2006年10月27日。前橋地裁松丸裁判長は、「年齢により差別されたことが明白とは認められない」と原告の請求を棄却した。

出典:続・医学部入試に年齢制限(前編)

32歳はよくて56歳はだめだとすると、境界はどこにあるのか…難しい問題だ。

博士に職がなくても批判されないが…

一方、博士号取得者に対する人々の見方は非常にシビアだ。博士号取得者を一人養成するのに、数千万から一億かかるという説があるが、博士号取得者が博士号を生かせないのは税金の無駄使い、残念、という声はあまり聞かない。原則自己責任という人が多い。

2009年に開催された行政刷新会議「事業仕分け」では、若手研究者を支援する日本学術振興会特別研究員事業に対し、仕訳人からこんな声が出た。

ポスドクの生活保護のようなシステムはやめるべき。本人にとっても不幸。(本来なら別の道があったはず)。

出典:行政刷新会議事業仕分け 第3WG 評価コメント

自民党が2008年に行った「無駄遣い撲滅チーム」事業棚卸しでは、ポスドクや博士号取得者の進路選択を支援する「キャリアパス多様化促進事業」に対し、以下のような意見が出た。

課題設定能力の無いポスドクが他の民間企業に採用されても使えないのではないか。採用した企業の方が不幸。

出典:各事業における評価者のコメント、主な指摘事項 科学技術

また、法学部卒業生が法曹関係の仕事に就かなくても批判されることは少ない。

金額の多寡はあれ、医師のときのみ多額の税金を無駄使いするな、という反応が出るのは、いっけんちぐはぐのようにみえる。

自己実現と公共財のはざまで

専門職を養成する学校の場合は、教育と職業が結びついており、その学校への入学がその職業に就く人の数に近い。しかも、資格と結びついており、業務独占の場合も多い。医師国家試験には9割の受験者が受かるので、医学部と医師はほかにもまして養成課程と業務独占の職業資格との関連が強い。養成にお金がかかることだけが問題ではない。業務独占というのは大変重いことなのだ。

一方、法曹関係の資格は業務独占といえど、法学部入学者が法曹の資格を得られる率は低い。しかも法曹資格を得られるのは法学部出身者だけではない。

少数の子供を産み、手をかけて育てる少産少死型の動物と、魚のように多数の卵を産む多産多死型の動物では、一人の子供にかけるコストが違う。哺乳類にとって、子供が一人死ぬのは大きな痛手だ。同じように、特定の職業、とくに業務独占の資格に深く結び付いている養成課程では、求められている職以外の職に就いた者や、高齢で入学した人などは厳しい目をむけられるのかもしれない。一方職業との関連性が強くない養成課程では、勝手にすれば、となる。法学部に入った者が法律職に就かなくても、博士号取得者が博士号を生かす職につけなくても批判されにくいのも分からないではない。

とはいえ、濃淡はあれど、職業と学んだ教育課程には関連がある。ここまでは無駄使いで、ここまでは自己責任、という明瞭な線引きは難しい。

考えれば、私たちは普段学歴を自己実現の手段と考えており、自分への投資と考えている。職業はその投資に対するリターンだ。あまり社会から投資されている、期待されている、ということを意識しない。

東大や京大に合格した学生が、週刊誌などで得意げなコメントを述べているが、合格に至るまでに、私立の学校や塾などに行かせてもらえる家庭にいたなどという、自分の恵まれた境遇に対する言及は少ない。

日本で給付型奨学金がなかなか導入されないのも、国公立大学の学費がバカ高いのも、我々が学歴を個人的なものとみなすからかもしれない。なんで収入をアップするために大学行く人にお金をあげなきゃいけないの、というわけだ。

しかし、多かれ少なかれ学歴は「公共財」だ。政府の高等教育への資金投資に対する効果には、近年疑問の声も出ているというが、それでも高等教育への投資をゼロにする国はない。どの国も、高等教育が国、社会にとって利益があると考えているからだ。

医学部卒業生の場合は公共財が強調されすぎ、博士号取得者に対しては自己実現が強調されすぎなのではないだろうか。

テレビ局でもマッキンゼーでも、医学部で学んだことが役に立つだろうし、それは社会貢献だろう。博士号を取得した人が才能を発揮できないのは、社会にとっても不幸だろう。

医学部入試はどうしたらいい?

とはいえ、やはり医学部卒業生には医師、もしくは医療を生かした職業で社会貢献してほしいというのが、医学部教員として思うところではある。

医学部入学が医師という職業に直結しているならば、医学部生は、高校卒業までの乏しいイメージで職業を決めざるを得ないということになる。医学と医療ドラマのどちらが好きか、ということを、医学部に入るまで分からなかったというのは、高卒医学部一直線という制度の落とし穴なのかもしれない。

そう考えると、ある程度の人生経験を経てから、医学部に入るか入らないかを決めたほうが良いのかもしれない。

アメリカを中心に、一部の国では、医学部は大学院大学であるメディカルスクールであり、他学部卒業生が入るようになっている。ある程度の人生経験と教養を積んだうえで、やる気のある人間を選択している。この制度の欠点は、医師になる年齢がやや高くなってしまうということだが、だからと言ってアメリカの医療の質がよくないとは言われていないので、年齢は大きな要因ではないのだろう。

とはいえ、年齢が高ければ目的意識を持ったよい人である、というわけではない点は注意が必要だ。

マッキンゼーの説明会に40人の学生が参加した東大医学部(に進学する理科3類)では、入試で面接を復活するという。

東大は18年度入試からの面接試験の復活理由について、実質全員が医学部へ進学する理IIIでは患者とのコミュニケーション能力などの適性や医師への動機付けを早い段階で判断する必要があるためと説明。現理III生の医師の適性を否定するわけではないものの、成績は良いが医師の自覚に欠ける学生もいると苦言を呈した。

出典:2018年度から復活の理科三類面接、過去の試験では何が問われたのか

面接をしたからと言って医師の適正がはかれるのか、という声もあり、難しい問題ではある。

職業選択の自由と社会からの期待、自己実現と公共財としての学歴…TBSもなかなか難問をなげかけてくれたわけだ。

病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

1971年横浜生まれ。神奈川県立柏陽高校出身。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒業後、大学院博士課程まで進学したが、研究者としての将来に不安を感じ、一念発起し神戸大学医学部に学士編入学。卒業後病理医になる。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表理事。フリーの病理医として働くと同時に、フリーの科学・医療ジャーナリストとして若手研究者のキャリア問題や研究不正、科学技術政策に関する記事の執筆等を行っている。「博士漂流時代」(ディスカヴァー)にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。近著は「病理医が明かす 死因のホント」(日経プレミアシリーズ)。

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