Yahoo!ニュース

遺体冷凍保存~少女の願いは叶うか

榎木英介病理専門医&科学・医療ジャーナリスト
もっと生きたいと遺体の冷凍保存を願った少女の願いが叶う日は来るか(写真:アフロ)

将来に希望を託し

少女はもっと生きたかった。命がここで終わってしまうことが嫌だった。

がんを患っていた14歳のイギリス人の少女が、死後遺体を冷凍保存する権利を求めて裁判所に訴えた。

ロンドンに住んでいた少女は、昨年がんと診断された後、インターネットで人体冷凍保存について調べ、将来治癒が可能になった段階で「生き返る」ため、遺体の保存を希望。母親は同意したが、父親が反対したため訴訟に持ち込まれ、「遺体の処置は母親が決めるべきだ」との判決が下された。

出典:末期がん少女、遺体冷凍保存=「生き返るため」、裁判所容認-英

14歳という幼さで自分の人生が終わってしまうくやしさ、もっと生きたいう強い気持ちが伝わってくる。

少女は亡くなり、遺体はアメリカに移され、冷凍保存されているという。

冷凍保存はアメリカで

米ミシガン州にあるクライオニクス研究所によると、遺体は死後8日目の10月25日、ロンドンから同施設に到着。「コンピューターで制御された冷却室に運ばれ、液体窒素温度に冷却された」という。24時間かけて冷凍された遺体は、長期保存のための低温保持装置に安置された。

出典:英14歳少女の遺体を冷凍保存、未来の蘇生と治癒に希望託す

少女の遺体が安置されているクライオニクス研究所では、「クライオニクス」という、液体窒素で遺体を冷却する方法で、人やペットを冷凍保存しているという。

同研究所のページにざっと目を通してみた。水を何らかの物質(具体的な内容ははっきりしない)に置き換えることで、水が氷になることによる細胞や組織のダメージを減らし、-124℃で遺体を安置するという。

死とは何か

同研究所では、心停止後にも臓器や細胞は死んでいないので、心停止直後に「クライオニクス」を行えば、将来医学が発展したときに、再び回復する可能性があるという。

病理医としても、個体としての死のあとに、臓器や細胞がまだ死んでいないという点は同意できる。いわば死とはある時間の一点ではなく、徐々に進行するプロセスだからだ。

医学的には、死は「心停止」「呼吸停止」「瞳孔散大(対光反射消失)」の三徴候によって判断される(脳死は別に判定基準がある)。死の判断は医師が行わなければならず、報道でよく耳にする「心肺停止状態」という言葉は、医師でないものが心停止、呼吸停止までは確認しているということを意味する。

なぜこの三徴候を死と定義しているかというと、この3つが重なっていれば、体にはもう回復できないほどの致命的なダメージがあるからだ。

心臓が動いていなければ、血液が全身をめぐらず、呼吸がなければ酸素を取り入れられず、瞳孔散大があれば、脳幹部という、脳のなかで最も重要な司令塔とも呼べる部分が働いていないということになる。この状態では体中の細胞は酸素不足に陥り、徐々に破壊されていく。機械を使って心臓を動かしたり、肺に酸素を送り込むことはできるが、脳幹部が働いていないので、もはや自力では心臓を動かしたり、肺を動かしたりすることはできない。

しかし、心停止、呼吸停止直後、生きている臓器はあるし、また、医学的死後相当たっても、細胞は生きている。亡くなった方の組織を顕微鏡でみても、生きているのと変わらない状態の細胞は多い。

実際、腎や角膜は心停止後に取り出しても生きており、移植できることはよく知られている。皆さんも臓器移植カードでみたことはあるだろう。

「個体の死」を逆戻りさせられるか?

そうなると、問題は「個体の死」とは何か、ということになる。

生きている人の体は、様々な臓器や組織が統合されて成り立っている。心臓や腎臓だけが独立に動いているということはない。相互に関係しあっており、いわばオーケストラのようなもので、指揮者のもとにメロディを奏でているようなものだ。

そして、人体における指揮者は脳神経系だ。

逆に言えば、脳神経系が生きていれば、ほかの部分は取り換え可能だ。だから臓器移植が可能なのだ。脳死を法的に人の死と(長い議論の末)認めているのは、指揮者を失ったオーケストラはもはやメロディを奏でることができないからだ(指揮者がなくてもある程度演奏できるというツッコミはありうるが、たとえ話なのでご容赦を)。

最近頭を移植する手術が計画されているという報道があった。

現在の技術でそれが可能かはやや懐疑的だが、不可能ではないとは思う。

こうしたことを考えると、冷凍された人がいつの日か「蘇る」のかの答えは、脳へのダメージの程度によるということができるだろう。

臓器移植される臓器などは冷却して運搬される。個々の細胞は-80℃で冷却保存できる。臓器、細胞レベルまでは生きたままある程度保存が可能だ。とはいえ、低温にする過程で臓器や細胞にダメージがあり、どの程度ダメージを抑えるかが重要になる。

脳はどうか。

脳は機能の維持に大量の血液、つまり酸素とエネルギーを必要とする。体の血液の20%は、わずか1キログラム程度の脳に常時流れている。心臓や肺が止まってしまえば、脳はあっというまに(5分程度と言われる)酸素不足、エネルギー不足に陥り、破壊されてしまう。

脳低温療法という方法がある。

低酸素,外傷,出血などで損傷を受けた脳に対し,脳保護作用や頭蓋内圧低下作用を目的として,損傷後早期に,一定期間,体温(脳温)を32-34℃まで低下させる低体温療法を脳低温療法という。

出典:日本救急医学会用語集

くだんのクラニオニクス研究所は、脳のダメージを防ぐために、生前から体を冷やしはじめ、死後可能な限り早く冷凍保存しようとしているようだ。

しかし、報道によれば、少女は死後8日後に研究所に搬送された。どのような処置がなされたか不明だが、脳のダメージは大きいように思われる。残念ながら見通しはかなり厳しいのではないか。

それでもいつかは死ぬ

2014年に公開されたインターステラーという映画には、不治の病に侵された登場人物が死の前に冷凍され、家族に最後のお別れを言うために解凍されるというシーンがある。

冷却による臓器、組織へのダメージを最小限に抑え、いわば冬眠のような状態を人工的に作り出すことができれば、こうしたことは可能だろう。

とはいえ、不老不死は無理だと思う。老化には細胞レベルでの老化、臓器レベルでの老化、そして個体レベルでの老化があり、今のところ、多少老化を送らせることはできても、老化を止めることはできない。将来もかなり難しいだろう。

老衰で亡くなった方を解剖させていただくと、どの臓器や組織にそれほど異常がみられない場合がある。あらゆる臓器が少しずつ弱ることで人は亡くなるのだ。死を止めるというのは、すべての臓器の老化を止めることであり、これは極めて難しい。

冷凍保存され、100年後によみがえったとしても、100年分の生きる体験をしたわけではない。いつか人は死ぬのだ。

14年という短い時間で終わらざるを得なかった少女の命、生きたいと思う強い願い…

今生きる私たちは、少女の思いを受け止め、一日一日を大切に生きるという思いを新たにすべきではないか。ありきたりな結論ではあるが。

病理専門医&科学・医療ジャーナリスト

1971年横浜生まれ。神奈川県立柏陽高校出身。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒業後、大学院博士課程まで進学したが、研究者としての将来に不安を感じ、一念発起し神戸大学医学部に学士編入学。卒業後病理医になる。一般社団法人科学・政策と社会研究室(カセイケン)代表理事。フリーの病理医として働くと同時に、フリーの科学・医療ジャーナリストとして若手研究者のキャリア問題や研究不正、科学技術政策に関する記事の執筆等を行っている。「博士漂流時代」(ディスカヴァー)にて科学ジャーナリスト賞2011受賞。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。近著は「病理医が明かす 死因のホント」(日経プレミアシリーズ)。

榎木英介の最近の記事