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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第9回 証言の温度差

藤井誠二ノンフィクションライター

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証言の温度差

いつもどおりの授業が終わり、六時間目か終わるチャイムと共に、生徒たちは三々五々帰路につき、あるいは部活動に参加する者はそれぞれに準備をしていた。

気温は午前中から三○度を超えていたが、教室は冷房が効いていた。夏休みを目前に控えた、あの浮足立つような雰囲気が教室や廊下に漂っていた。

二年一組の教室では、午後三時四○分から約三○分程度、特別に簿記の再々試験をおこなおうとしていた。宮本が担当する試験だ。

黒板脇には、他のクラスと同様、生徒信条が掲示してある。

一、女子高等学校の生徒は、いつも明るく、清く、正しく、強く、しかもつつましく、生き抜く。そして人に愛され、尊敬される人となる。

二、女子高等学校の生徒は、なまけることを罪悪であると思い、勉強こそ生徒の本分であると信じる。

三、女子高等学校の生徒は、人に見せるために正しいことをしない。正義を重んじるものは先ず自己を正しくする。真理を守り、善いことをおこなうものは、何ものをも恐れない。

四、女子高等学校の生徒は、健康を保ち体力を向上させる。父母は子の病気を最も心配する。

五、女子高等学校の生徒は、父母のいつくしみ、社会のおかげによって、今日の自分があるということを思いつつ報恩感謝の念を忘れず、隣人を愛し、すすんで勤労する。

六、女子高等学校の生徒は、いつも正しい言葉ではっきり発言する。

七、女子高等学校の生徒は、気品ある態度、礼儀にかなった動作を身につけ、いつもあいさつを忘れない。けれども卑屈にならず、又自慢をしない。

八、女子高等学校の生徒は、いつも端正に制服をつけ、清潔である。

九、女子高等学校の生徒は、その交友関係は相互の家人の了解を得る。ことに男女の交際は、一対一の交際を避け、礼節を守り、公明清純な交際をする。

十、女子高等学校の生徒は、学校の規則や指示を忠実に守ること。

二年一組は知美が在籍しているクラスだが、彼女は追試の対象者ではなかった。なぜなら、事前の簿記の試験において、同クラスの生徒中三位という八六点を取り、合格点に達していたからである。

その日のことを宮本はこう振りかえる。

《二年一組は就職コースのクラスであり三六名おりますものの全般的に見て他のクラスの生徒と比較すると学力が劣り、また学習意欲にも欠ける者が多いクラスでした。就職するクラスでしたので、就職するには少なくとも商業簿記三級に合格していることは最低の条件でありました。できれば三六名全員に二級を持たせてやりたいと考えていたのです。ところが、再試験をやっても合格に必要な七○点以上を取れない者が一○名おりました。再試験をやっても合格しないのですから、そのまま放置しておいてもよかったのですが、進路指導部長をしており簿記を担当している立場から、その生徒の将来を考え、何としてでも三級程度の知識を身につけさせてやりたいと私なりに考えて、放課後一○名を対象にした再々試験をおこなってやろうと考えたのです。そして、きたる十一月十九日の三級の日商簿記のテストを全員に受けさせて、合格させてやりたいと考えたのです。この再々試験は私自身の判断によるものであって、学校のカリキュラムとして予定されていたものではありません》

そして宮本は七月十五日、担任の棚町教諭に十名の名前のメモを渡し、簿記の再々試験をおこなうことを告げ、生徒たちにもその旨を伝えてくれるよう頼む。十名とは、山岸景子、高田純子らだった。前記したように、知美はすでに合格していたためこの十名には入っていない。

宮本は、午後三時四○分頃、答案用紙を持ち進路指導室を出て、同じ校舎の四階にある二年一組へ向かった。教室に入ると試験に関係のない生徒が二、三人、教壇の付近にいたが、宮本が教室に入ると入れ違いに出ていった。

廊下には、友だちを待つ生徒や、帰路につく前にトイレへ向かう生徒がいた。

再々試験を受ける十名は、それぞれ自分の席で受けることになっていたので、固まって座っていなかった。宮本は教室後方に座っていた山岸のほうから答案用紙を配り始めたが、残りの生徒たちが、宮本のところに答案用紙を取りにきた。全員に渡ったところで、再々試験がスタートした。

《時間は五○分程度を予定しておりましたが、生徒たちも早く終えて帰りたいだろうと思い、おそらく二、三○分程度で終わるだろうと思っておりました。そのように試験を開始し、教卓のところで教室を見渡したところ、入口から数えて五列目の一番後ろの席に陣内が座っているのが目に入りました。自分の席に座っていたのです。陣内がそのとき何をしていたのかは、はっきり覚えておりませんが、椅子に座って何かをしていました。私はおそらく、友だちを待っているのだろうと思いましたが、再々試験をおこなっているときであり、この試験に関係のない陣内がいるとカンニングを助けることになるかもしれないと考えて、教室から出ていかせようと思ったのです》

宮本は教卓から、「陣内、お前、試験に関係ないだろう。出ていけ」と知美に言った。

《すると、陣内は自分の声が聞こえたはずであるのに、聞こえたのか聞こえなかったのかわからないような感じで席から立とうとしませんでした。そんな陣内の態度を見て、私の言葉を無視したように感じました。それで、私は教卓のところから歩いて陣内の机のそはに行き、前と同じように普通の口調で、「陣内、試験に関係ないから出ていけ」と言いました。陣内はその私の言葉に対して何も言わず、少しふてくされたような感じでしぶしぶ黙って立ち上がりました。そして、後ろの入口に向けて歩き出したのです。黙って立ったことに対し素直でないなと感じながらも、出て行ってくれてよかったなと一瞬思いました》

ところが、知美は宮本の願望とは裏腹の行動をとった。彼女は後方出入口から廊下へは出ず、後方の壁に取り付けてあった鏡の前に行き、髪を手で整える仕草をした。

このあたりのことを先の山岸景子はこう証言する。山岸は出入口に近い窓側最後列の席に座っていた。

《試験の始まるころ、知美は教室の中に残っていたのです。知美は試験の始まる前に私のところに来て、『教えてやろうか』と言いましたが、そのうちに自分の席に帰って行きました。そのうち宮本先生が入って来られたので、答案用紙をみんなで受け取り、試験が始まったのです。このとき、知美は自分の席に座り、カバンに教科書を入れて帰る準備をしていました。

この日は知美といっしょに帰る約束はしていなかったのですが、いつもいっしょに帰るので私の試験が終わるまでは待っていてくれるものと思い、知美のほうは気にせずに問題を解きはじめました。すると試験が始まって一分ぐらいしたころ、宮本先生の『試験に関係ない者は出れ』という声がしたので先生のほうを見ると、先生は教壇の向かって左側に立っていました。宮本先生はそのあとすぐに『お前、何しようか出らんか』と大きな声で怒鳴ったのです。先生は名前を言わずに出て行くように注意をしていたのですが、それは知美のことだとわかりました。先生が知美のほうを見ていたからです。このとき、私は知美のほうは向いていなかったのですが、宮本先生は歩いて知美の左横に行きました。そして、知美に早く出るように言っていましたが、そうしているうちに知美はカバンを右肩にかけると立ち上がり、教室の出入口のある私の方に向かって歩きだしました。宮本先生は知美のすぐ後ろをついて来ながら『出れ』と言っていました。私はその様子を見て、いつものことがまた始まったと思いました。宮本先生は遅刻したり教科書を忘れたりしたとき、その生徒を注意しときにはビンタをすることがよくありますので、このときも宮本先生と知美のやり取りを見て、また宮本先生のいつものことが始まったと思い、私はその光景に見慣れていたので、特に気に止めることなく答案用紙のほうに目を移したのです》

宮本は「普通に言った」と証言しているが、山岸は「怒鳴った」と、とらえている。この宮本証言と生徒証言の「誤差」は、最後までその幅を大きくしながらつきまとい、事件のディテールに影響を与えることになる。

鏡の前で髪を整える仕草をした知美を見て、宮本は次のように思った。

《私はそれを見て、私が教室から出て行けと言ったことに対し(陣内が)反発をして、これみよがしに髪をとくような仕草をしていると思いました。私は素直に教室から出ず、そのような態度をとる陣内に対し腹立たしくなり、横着もんと思って頭にきました。それで注意するために私は陣内のところに行きました。陣内は鏡の前に正対するように立ちながら髪を触っていました。そのときにスカートの丈を折り曲げているのが日に入り、二回くらい折りたたんで丈を短くしているのがわかったのです。校則でスカートは膝頭が隠れる程度でなければならないと定められており、膝頭が見えるようなミニスカートは禁止されていたのです。

私は教室から出て行けと言ったのにそれを無視された挙げ句、スカートの丈を短くするため短く折り曲げていたのを見つけて、なおも感情的に腹立たしくなり、このまま見過ごすわけにはいかないと考え、スカートの丈を元に戻させようとしました。そのように思うや、私は鏡に正対して立っている陣内の右横からスカートの折り曲げたところを右手で掴みながら、『元に戻せ、直さんか』と少し強めの口調で言いました。すると陣内は『わかっちょる』と反発するような口調で答えたものの直そうとはしませんでした。私はそれまでは感情的に腹立たしくなっていたものの理性を失うところまでは至っておりませんでしたが、その陣内の反発するような口調にカーッときて『なに言いよってか』と言いながら、右手平手で陣内の頭のてっぺんから後頚部にかけて軽く一発叩きました。このようにすぐに手が出てしまいました。一連の動作で叩いてしまいましたが、その程度は強いものではなく軽く叩いたのです。陣内は『(スカートを)持っていたら直されん』というようなことを言いました。陣内はその後も素直に謝らず、スカートの丈も直さないでムッとした態度で鏡の前を離れ、山岸が座っている机の前を通って、開いている出入口から廊下に出ました》

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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