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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第10回 空白の記憶

藤井誠二ノンフィクションライター

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空白の記憶

こう宮本は言うのだが、事実は異なっている。

宮本は、知美を右手で一発ひっぱたいた後、今度は、山岸景子の席のすぐ脇にある出入口から廊下に出ようとした知美を後ろから押し、転倒させているのだ。それは山岸景子の眼前で起きた。二人の一挙一動を見ていた山岸景子は、知美の背中を押したのは宮本の右手だった、と詳細に記憶している。

《宮本先生が前を歩いている知美の背中をドーンと強く押したところ、知美はその場に倒れてしまい、両手両膝を床についた四つん這いの恰好になったのでした。宮本先生は知美に対し、『スカートを曲げちょろうが』と言いながらいきなり知美の背中を押したのです。私はこのとき、知美が両手で、曲げていたスカートを直しているのをはっきり見ました。知美がスカートを直しているときにいきなり宮本先生から押されたので、バランスを崩して倒れたものと思います。知美が倒れたとき肩にかけていたカバンが床に落ち、中から何かが飛び出しました。それは出入口から廊下に飛んだのですが、見ると知美がよく使っているエチケットブラシでした。このエチケットブラシは後で廊下にいた田中真紀(仮名)が拾っていました。倒れた知美はすぐに立ち上がり、『そんなんしたら直されんやん』と言いなから教室を出ていこうとすると、宮本先生はさらに知美の背中を押して、『何ちゃ』と言いながら知美の後ろから廊下に出ました。廊下に出ると、二人は向かい合うような恰好になり、すぐに宮本先生が知美をビンタし始めたのです》

背中を押されてつんのめるように前に倒れた知美は、教室の床に両手両膝をつく恰好になった。彼女が肩にかけていたカバンは床に落ち、整髪用のブラシと洋服の埃取り用のエチケットブラシがそのカバンから飛び出した。さらに宮本は、立ち上がった知美の背中をもう一度突いて、彼女を廊下に押し出したのである。

宮本の記憶は消し飛んでいるのか、知美を突き倒しておきながら、覚えていない。記憶が途切れるほど頭にきていたということなのか。

《押したような記憶がありません。私は陣内のあとを追いましたが、ちょっとその間に時間があったように記憶しており、陣内より少し遅れて山岸の席の前を通って出入口から廊下に出た記憶です。というのは試験をさせていたのでそちらのほうも気になり、みんなが試験をやっているのを見たからであります。みんな、机に座って試験に取り組んでいるのを確認した後、このままでは捨てておけないと思いました。素直に謝らずスカートの丈も直さず無視されたと思い、腹立たしく思って半分頭にきていました。再々試験を受けている一○人の中にはこれまで叩くなどしていたこともあって、このまま見過ごしてしまうとみんなの手前よろしくないと思いましたし、また問題行動が起きやすい夏休み前だしきちんと筋を通すべきであるとも思いました。とにかくこのままでは済まされないと思い、体罰を加えてでも謝らせ、スカートの丈を直させなければならないと思いました。個人的感情でも頭にきていたので体罰を加えて指導しようと思ったのです。『このヤロウ』というように腹立たしく思っていたので、少し遅れて廊下に出ました》

それが三時四五分ごろのことである。

知美のあとを追うように廊下に出た宮本は、知美と向き合うような恰好になった。宮本自身の証言によれば、宮本はいきなり、「おまえ、たいがいにしとけよ」と怒鳴りつけながら、右手掌部で知美の左肩付近を強く突き、続けて左手掌部でも右肩付近を力を込めて突き、知美を後方にのけぞらせるようにして突き飛ばした、となる。

知美の後ろ、つまり廊下の窓の下には高さ九○センチほどの下駄箱が設けられ、窓の内側には転落防止用の鉄柵が横についている。突き飛ばされた知美は、頭頂部から後頭部にかけてを、転落防止用の鉄柵に激突させた。

実は、ここでも宮本の記憶は消えている。というのは、突く前に平手で数発、宮本は知美の頬をビンタしているのである。このことは、廊下で知美を待っていた田中真紀も次のように証言する。

《宮本先生は知美といっしょに廊下に出て来た後、知美に対し『スカートを下ろせ』と言ったのです、それに対し知美は『下ろしよろうもんちゃ』と答えながら、少しずつ下駄箱の方に後退していきました。宮本先生が知美を追っているときだと思いますが、平手で知美の頬の辺りを一、二発殴りつけていました。私はこのとき廊下でしゃがんで見ていたのですが、はっきりと宮本先生と知美のことを見ていました。宮本先生が殴るとき、手を肩より上にあげて強く殴ったのを覚えています。宮本先生が知美を殴ったあと、私は整髪ブラシとエチケットブラシを拾いに行ったのです》

教室内から見ていた山岸景子も言う。

《私の席から見ると宮本先生は背中しか見えなかったのですが、知美を殴るとき先生は右手を頭のところまで振り上げ、力いっぱい知美の左頬を叩きはじめたのです。知美の顔に当たったのを私ははっきりと見ましたし、バシッという音が二、三回聞こえましたので、宮本先生のビンタが知美の顔に命中したのは間違いありません。これに対し、知美は『やめて』と言っていましたが、先生に攻撃はしておらず、ビンタを避けるために後退していました》

教室内で知美を突き飛ばしたことや、廊下で殴りつけたことを忘却した宮本は、自身の行為をこう振り返る。

《お前たいがいにしとけよ、と強い口調で言いながら右手を開いた形で、陣内の左肩をボーンと押すように突きました。そして私は続けて、左手で陣内の右肩をボーンというように突きました。ボーン、ポーンというように、グイッと力を入れて押すように突いたのでした。すると陣内は後ろにのけぞるようになりました。後ろには高さ一二○センチくらいの下駄箱の棚があり、窓がその後ろに接するようにあり、その窓には転落防止川の鉄柵が横についておりました。その左側には(宮本の位置から見ると右側)コンクリートの柱が突き出ておりました。ボーン、ボーンと突いたことでその鉄柵やコンクリートの柱で頭を打ったのかもしれません。私の見た感じではコンクリートの柱に頭を、つまり陣内の左側頭部の上を打ちつけたような感じを、そのとき受けました。それらにぶつけてやろうと考えて突いたわけではありません。しかし、いきなり不意に突いたのであり、安全に対する配慮はこのとき欠けておりました。陣内はそのように私にやられるのを察知して身構えていたものではありませんでした。(その前に陣内の顔を平手で)叩いた記憶がないのです。自信はありませんが、私の記憶では叩いておらず、右、左と力を入れてグイッと押すように突いただけであります。私の身長は一五五センチであり、陣内も変わらないくらいの背だったと思います。突いたときの恰好は、下から上に突き上げるような感じでありました》

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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