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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第11回 「暴行」の細部

藤井誠二ノンフィクションライター

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「暴行」の細部

宮本に暴力を受けながら、追い詰められるような恰好で下駄箱に乗り上げるようになった知美は、必死で身体を起こす。

そして「先生、何しよっと、先生なんね」と言いながら、しがみつくように宮本の襟首を右手で持った。宮本は、知美が立ち向かってきたものと勘違いし、「先生に楯突くのか」と思い、「おまえ、何しようとか」と怒鳴りながら、襟首を掴んでいる知美の手を右手で払い除けた。それと何時に、知美の右額部から右側頭部付近を左手で下から上に突き上げるようにして力まかせに押したのである。

知美は後方にのけぞり、廊下の窓側に設置された下駄箱の上に座るようにして倒れ、廊下の窓付近でその後頭部を強く打ちつけ、その勢いで左側に崩れるようにして、コンクリートの柱で頭頂部を強く打った。

宮本はこう思い返している。

《陣内は私の突きにより後方にのけぞりましたが、すぐに私のほうに向かって来るような感じで、『先生何しよっとね、先生なんね』という言葉を吐きながら私の襟首をグッと、たぶん右手だろうと思いますが、掴んできました。握る力は異様なぐらいの力でありました。いま思うとおそらくは頭を打つなどしたため、びっくりして掴んできたものと思いますが、このときは力が強かっただけに逆に私に立ち向かってきたのではないかと思いました。それで私は『先生に楯突くのか』という思いで、『お前なにしようとか』と言いながら右手で襟首を掴んでいる手を払い除けると同時に、左手で陣内の右額から右側頭部付近を下から上に突き上げるような感じでグイと力を入れて押しました。陣内は斜め後ろにのけぞるように倒れて、下駄箱の上に腰か乗るような感じになりました。そのときに陣内が頭をコンクリートの柱に当てたかどうかははっきりとわかりません。短い時間の間の行為ですので、よく覚えておりません》

また宮本はこうも言う。

《意識して突いたのですが、突くことを考えたのはとっさの判断でありました。なぜ、突くことを選んだのかについては深い考えはなく、その場の感情から突いてやろうと考えて突いたのです。そのときは顔を叩くよりは突くのがよいと考えたものと思います。その前に(陣内の)顔を叩いたという記憶がないのです。ビンタしたという記憶がないのです。気が治まらなかったのでいきなり突いたのです。いきなり力をグイッと入れて突いたので、陣内は後ろにのけぞったのであり、陣内が身構えていたのであれば、あれほどまでにのけぞることはしなかったと思います。突いたとき、突いた勢いで後ろにのけぞったのでした。その突きによって、陣内はコンクリートの壁などに頭を打ちつけたと思っています。突いたときに陣内は後ろにのけぞりましたが、そののけぞったときの様子は、陣内の左側頭部の上辺りがコンクリートの壁に当たったような感じで、陣内の頭が左斜め後ろにガクッといくような感じでした。その後、陣内は私のほうに戻ってきて私の襟首を掴んだのです。突きを入れるのをやめればよかったと思いますし、その程度の力を入れずに軽くやるべきでした。後ろにのけぞるような程度まで力を入れて、突いたため、その程度が過ぎてしまったのです。やはり腹が立っていたため、力が入ってしまったのです》

この場面を最もよく目撃していたのは、田中真紀である。田中は看護科に属しているため、「側頭部」「頭頂部」といった用語を普段から使い慣れている。

《宮本先生は左手で知美の右側頭部を強く叩きつけたのです。叩きつけたというのは、ビンタをするようにバチーンと叩いたのではなく、知美の右側頭部に手を置いて押すようにして叩いたということです。知美は後ろの窓の辺りで後頭部を一回ガーンと打ちつけ、その後コンクリートの柱に頭頂部をぶつけたのをはっきり見ました。知美は、窓のところに後頭部を一回ぶつけたあと、お尻を下駄箱の上に乗せたまま左側のコンクリートに頭をぶつけたのです。それは、知美とコンクリートの間には、ちょうど知美が横になれるぐらいの間隔があったので、知美が左側に横向きに倒れたとき、頭頂部を打ちつけたのです。もしその間隔がなかったら、知美は左の側頭部を打っていたと思います》

田中の目撃証言によれば、知美はコンクリートに頭頂部をぶつけたあと上半身を起こし、下駄箱の上に座ったまま、宮本を睨みつけるような感じで見ていたという。が、その直後、知美は正面に立っている宮本の体とすれちがうように再びコンクリートの柱の方に倒れてしまい、そのまま下駄箱から落下、床の上に崩れ落ちた。

一方、宮本は知美が下駄箱の上に腰から乗るような格好になったとき、知美の顔色が変わるのを確認している。後に「血の気が引くような顔色になり、唇が青くなりました」と証言している。知美か崩れるようにして倒れたため、宮本はびっくりして、すぐに知美の首の後ろに右手をまわして抱え、左手でセーラー服の襟首を持って立たせようとしたが、知美の膝がガクンと折れ曲がり再び崩れ落ちた。宮本は知美の頭を右腕で抱えるようにして支え、その場に寝かせた。

ここで宮本は我にかえる。

「陣内!陣内!」

こう宮本は叫びながら、廊下に横たえた知美の顔を何度も軽く左手で叩いた。

《私は私の乱暴でこのような状態になり、大変なことになったと思いながら、しっかりさせるようにしたのです。陣内は息をするだけで意識がないようでした。私は意識を戻そうとして軽くほっぺたをぽんぽんと叩きましたがダメだったので、誰かいないかと思ってみると、近くに生徒がいるのが目に入ったのです》

宮本はその生徒に、「担架を持ってきてくれ!」と大声で言った。その生徒は同じ階に教室がある三年生で、直ちに養護教諭のいる保健室に急いだ。保健室は二年一組のある一号館の隣、二号館一階にある。

教室の最も廊下に近い席にいた山岸景子はこう証言する。

《教室の外でバシッという音が聞こえて、そのあとすぐにバーンという音が聞こえました。すると教室の中にいた生徒のひとりが『何しよっちゃ』と大声を挙げたのです。私も知美のことが気になり、みんなといっしょに廊下に飛び出しました。知美は宮本先生の腕に抱かれて倒れていました。私はすぐに知美のところに行って知美を見たとき、知美がふざけて先生に倒れかかっていると一瞬思いましたが、知美をよく見ると目はうつろで顔色は真っ青、唇の色は紫色をしており、『ウーッ』と吃っているのを見て非常にびっくりしてしまいました。私は宮本先生に、『何しよんちゃ』と言いました。でもそれには答えず、知美のほっぺたを叩きながら、『大丈夫か、大丈夫か』と必死になって呼んでいました。でも知美は返事をせず意識がない状態でした。その後、先生は私たちに対し、『大丈夫、大丈夫。試験を受けよけ』と教室に戻るように言いますので、私たちは教室に戻ったのです。しかし、教室に戻ったあとも知美のことが心配になり、みんなで集まって『知美が死んだらどうしよう、死ぬわけないやん』などと言っていましたが、一応、問題は解いたのです》

宮本の腕に頭を抱えられた陣内知美は、口から白い泡を吹いていた。

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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