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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第15回 「知美を返せ!」

藤井誠二ノンフィクションライター

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「知美を返せ!」

七月二十日は一学期の終業式だった。

終業式の冒頭に一分間の黙祷をおこなったあと、初めて山近校長が事件の経過を全校生徒に説明した。「諸君の友だちを失うことになり、申し訳ないことをしました。学校内に体罰があることを初めて知りました。職員会議を開いて新しい学校づくりに取り組みます。先生と生徒の信頼関係回復に取り組みたいと思っています」

こう山近校長は話した。ところが、ハンカチで目頭を押さえながら耳を傾ける生徒がいる一方で、校長が「断腸の思いがした」と言ったところで、「ウソつくな!」「帰れ!」「知美を返せ!」という罵声が飛び交い始めたのである。校長が「信頼関係を」と口にすると「信頼なんかない!」という声も上がった。声を上げたのは知美と同じ二年生のグループだった。

しかし、一方でその野次に対し「うるさい!」と声を上げた生徒たちもいた。三年生の一部の生徒たちだった。彼女たちは式の終了後、「二年生の気持ちもわかるが、知美さんが指示に従っていれば叩かれることはなかった」と、待ちかまえていた記者の質問に答えている。

この日は知美の告別式でもあった。前日に、知美が教員の体罰により殺されたニュースが全国を駆けめぐったせいもあって、テレビカメラも群がった。

葬儀が終わり、枢に生徒たちが一輪ずつ献花するとき、ほとんどの生徒たちが知美の名を絶叫した。出棺は午後一時だったが、終業式を終えて駆けつけた知美の同級生たちが「行かないでえ!」と泣き叫びながら霊枢車を取り囲み、止めてしまった。あちこちで肩を抱き合い、号泣する生徒たちも見られた。

弔問におとずれた校長ら、近大附属の教員たちも生徒に取り囲まれ、身動きか取れなくなった。「いつも暴力があったじゃない!」と罵声を浴びせる生徒もいた。その生徒は、「体罰があることを知らなかった」と発言した校長に抗議したのだった。

元春は事件が報道された日の夕方、テレビのニュースで校長を観た。

「学校の中で、校長にテレビの記者が詰め寄っていました。校長は、体罰があるのを知らなかった、と言っていましたから、記者が『知らないって、あなた怠慢じゃないですか』ちゅうたわけです。そしたら『いやぁ、私に報告がないものをどうして知りますか』って言ってましたよ。そしたら、『あなた知らないんだったら知ってる人を出してください』と記者が言ってました。

結局、学校からは事件について何の説明もないまま、私らが事件の中身について知らされたのは、初公判のときだったんです」

知美の死因について、治療にあたった飯塚病院の医師は、頭部外傷による脳挫傷、神経原性肺水腫、無酸素脳症だとすでに判断しているが、司法解剖の結果、死因は頭部の打撲によって脳髄がはれる急性脳腫脹を起こしていたことがわかった。また頭部左側の頭皮内に小さな出血もあった。

宮本が捜査員から知美の死亡を知らされたのは、二十日の朝であった。宮本は、「責任の重大さを痛感しております。ご冥福を祈ります」と答えたという。送検された宮本はさらに詳しく調べられることになる。

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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