Yahoo!ニュース

【連載】暴力の学校 倒錯の街 第21回 3章・噂の孵化 噂のルーツを求めて (2)

藤井誠二ノンフィクションライター

目次へ

3章・噂の孵化 噂のルーツを求めて

住職がいくら否定しても、なかなか信じてはもらえなかった。陣内家が檀家であることを明かしても、「檀家なのに気がつかれませんでしたか」と逆に驚かれてしまったり、「嘘だったら、陣内家が騒ぐはずだ」と開き直られたり、檀家をかばっているようにしか受け取られなかったという。

ときが経つにつれて、デマや噂の数は増殖を始める――両親は離婚していた。子どもへの賠償金をもらうために急に再婚した。知美は覚醒剤の常用者だった……。

「確か、両親の離婚の噂は九五年の九月ころです。事件の数週間前に撮った知美ちゃんの写真が新聞なんかに出てから、茶髪という噂が、「あれはかつらで、家では外して、学校だけでつけていた」という噂に変わったんです。それが九六年の四月末です。そして、目的はわからないのですが、右翼の街宣車が飯塚にやってきた後に、『父親は暴力団の幹部だった。右翼の幹部だった』という噂を耳にしました。それが同じ年の五月ごろだったように思います」

住職に、一方的に知美の噂を聞かせる檀家の人たちのニュースソースは、すべて宮本の減刑嘆願署名用紙を運んできた人々だった。檀家の中には署名活動の発起人や、署名活動に積極的に動いた人はいない。

「その噂は誰から聞いたのですか、と聞くと、「署名用紙を持ってみえた方がそうおっしゃいました」と、署名した人は全員そう言うのです。署名活動と並行して広がっているのです。そのときに知美ちゃんの噂を聞かされている。署名用紙を持ってきた人は近大附属の卒業生だそうです。また、近大附属看護科の卒業生やその関係者の方も署名用紙を持っていらしたようです」

半ばあきれながらも、憤りがおさまらない桃崎住職は、檀家をまわるたびに説得を続けていく。自分で見てもいないことをさも事実のように信じ込んでいる人々に、住職は仏教者らしく、ねばり強く説いてまわった。

「茶髪とか、シンナー常習とか、不良だったというのは、あなた知っているんですか、見たことあるんですか、と聞いても、『見たことありませんが、そういう噂です』とおっしゃる。噂だけを信じてはだめですよ、両親が離婚していないことも、私は十何年前から陣内さんを知っているから断言できますよ、と。それに、覚醒剤を打っていたら、試験も一受けられないでしょう、知美さんは試験でクラスで三番目だったんですよ、と一つひとつ話していきました」

司法解剖の結果、入れ墨がなかったことは飯塚署刑事第一課長が認めているし、シンナーなどを吸引していたことは確認されていない。救命に当たった医師も、薬物に関係した異常を認めていない。そして、知美の両親が離婚していた事実もなければ、暴力団や右翼の構成員だったという噂もまったくでっち上げだ。断っておくが、仮に殺された生徒が入れ墨をしていたとしても、体罰を受けたり、殺されてもいいという理由にはいっさいならないのは当然である。

九六年四月中旬から、「陣内さん支援ネットワーク」の佐田正信たちは、近大附属で追悼集会をひらくことを大阪にある近畿大学総長に求めるハガキと、教員の暴力の根絶を文部大臣に求めるハガキを各八万通印刷し、そのハガキを主旨に共感してくれる市民に配布する運動を始めていた。ハガキをもらった者がそこに署名をし投函すると、それがそのまま意思表明となる。桃崎住職もそれに共鳴し、両方のハガキを各檀家へ持参し、署名を求めた。

「ハガキは六○~七○通集めました。数人を除いて、噂を信じていたほとんどの方に署名をしていただきました。『(陣内さんに)申し訳なかった、よろしく言ってください」と言う方もいらっしゃいました。お断りになった方の中には、娘さんが宮本先生の教え子だという方もいらして、「娘が宮本先生から教わりましたから、できません」とはっきり断られました。

その方は『(娘が卒業生だから、)向こうの嘆願署名をしました』ともおっしゃいました。それから、『まだうちは、子どもがいるからできません』と言われる方もいた。それは、子どもが将来、大なり小なり、近大にお世話にならなければいけないからという意味なんです。近畿大学の併設校である近大附属は、福岡県飯塚市周辺に幼稚園から短大まであって、署名がもしかしたら学校に見られて、子どもに悪い影響があるのではないかと心配されているのです。でも、それは親の浅はかな考えです。「自分の子どもが近大に行く可能性があるならば、なおさら、きちんとした学校でなければならないのではないですか」と言っても、『書けません』と。そういう方が何人かありました。この筑豊地方というのは、地縁・血縁がものをいう独特の土地柄なのです」

私は宮本先生についてどうのこうの言っているわけではない、と桃崎住職は念を押す。宮本先生を助けたいと思う気持ちを、嘆願署名というかたちにしたことにも、とやかくいう気持ちはない。しかし、署名を集める際に知美さんや遺族を貶め、その根も葉もない誹謗中傷がひとり歩きしていることに対して怒っているだけだ、と。

「今度のことは、宮本先生をかばうために、亡くなった知美さんと遺族を、一方的に貶めている。これは卑劣です。お父さんが『知美は二回も三回も殺されました』と言うようにです。当事者の家族にしてみれば、地獄のどん底に落とされたようなもの。私たちがいくら噂を否定しても、いまでもかたくなに噂を信じている人がいます。今年の盆に檀家さんが集まったおり、法話の中で今回の件に触れました。陣内さんもいらっしゃっていましたが、私は噂のような事実はなく、人間というのは言葉で人を傷つけたりする、と説法しました。まだ噂を信じている檀家さんを時間をかけて説得しなければならないと思っています」

飯塚市を中心とした地域に暮らしている市民の何割かが、何らかのかたちで近大と関わりがある、と住職はいう。それが署名運動が広がった素地でもある。

「知美さんのお葬式のとき、私はあと二人の僧侶とお経を上げたのです。葬儀が終わって、控室で衣をたたんでいたところ、表で、ギャーとか、ワーッという声がしたので、何かあったのかと、ばたばたと下りていったら、生徒たちみんなが泣き叫んでいるんです。知美さんと最後のお別れのときで、みんなが花を一輪ずつ枢に入れているときでした。そして、出棺で霊枢車がそこから出ていこうとしているときも、みんなは「行かないでくれえ」と泣き叫びながら群がったものだから、クルマが動けなくなってしまったんです。あんなお葬式は初めてでした。その光景を見なさいと、減刑嘆願署名に関わった人たちに言いたい。悪い生徒だったら、そんな何百人も集まりますか。そのときの光景と、そのあとの誹謗中傷が一八○度違う……」

目次へ

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

藤井誠二の最近の記事