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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第31回 校長の体罰否定論

藤井誠二ノンフィクションライター

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校長の体罰否定論

では、生徒に校則をいかにして守らせるのか。

毎朝校門に生活指導部や学年主任の教員らが立ち番をする。そして、登校してくる生徒の髪形や服装をチェック、大声で生徒に挨拶をし、生徒が挨拶を返すよう促す。頭髪検査は月に一回、それも抜きうちだ。やり方も警察の一斉踏み込みのように、学年の教員全員が一つのクラスに入っていき、髪を脱色していないか、染めていないか、パーマをかけていないかなどを検査する。また、その際にスカートの丈を短く折り曲げていないかも見る。頭髪検査に引っ掛かった生徒は、廊下に出され、「事情」を聞かれる。そこで校則違反が認められると、風紀係の教員が「経過観察」という「指導」に入る。

「経過観察」とは、当該生徒は月に一回、担任、学年主任、学年の風紀委員の教員のところを回り、髪の検査を受けた上、生徒手帳の裏に貼ってある紙に判子をついてもらう。判子をもらうのか遅れた生徒は、約束違反とみなされ、学内清掃や草むしり、ランニングが課せられるのである。どんなペナルティを課すかは、学年の風紀係の教員が決める。

遅刻に関する「指導」はまずは担任が注意するが、遅刻の回数の増加に応じて、学年主任や生徒部長が「指導」することになっていた。月に三回以上遅刻、欠席する生徒については担任が名前を記載した書類を教頭に提出しなければならないことになっている。

知美と同級生だったある生徒は、「経過観察」の体験をこう話す。

《私の学校では毎月土曜日に服装チェックがあり、そのときに髪の毛やパーマをかけているかいないかなどチェックされるのです。私の髪の毛は少し茶色がかっていますが、これは生まれつきで、脱色もしていませんし、染めてもいません。それなのに、私は先生から注意され、経過観察になり、毎回四人の先生のところを回り、髪の毛の検査を受けました。経過観察となったのに、先生のところに検査に行くのが遅れたりすると先生から注意されます。遅れたために掃除や草むしりをさせられた友人もいました》

山近校長はこれらの校則についてこう説明している。

《生活指導対策についての依頼文書にあります違反した場合の措置について説明いたしますと、ここで言う指導は口頭による指導であり、体罰による指導は含んでおりません。特別指導は一番軽いものが校長による訓告であり、それ以上は謹慎になります。休学は病気あるいは海外留学の場合だけであり、生活指導に反した場合には休学という措置をとっておりません。

退学が一番重い措置でありますが、これまで強制的に退学させた例はございません。ただ保護者からのお願いもあり、自主退学を認めたケースはあります。ですから実際のところ、特別指導でもっとも重いのは謹慎ということになりますが、この謹慎はあくまで学校内での謹慎でありまして自宅内での謹慎ではありません。それは昨今の共稼ぎの家庭が増えているという実情から家庭内で謹慎させても、教育的観点から反省の実効が上がらないという配慮からであります。謹慎の期間は定めず、一応、一週間程度をめどに反省の度合を見ながら期間を定めているのが実状です》

《幅広い層の生徒を入学させており、女子生徒を対象としているため、いろいろな校則違反がありますが、とりわけ制服、頭髪、化粧品、遅刻の違反が多いです。服装の違反の場合は口頭の注意で対処するようにしておりますが、喫煙とか万引きの場合には違反内容が重いと見て、保護者を呼び出したうえ、口頭で指導し、必ず特別指導をおこないます。これらのことは学校教育法十一条に定められた、校長と教員の教育上必要と認めたときの懲戒権の行使のあらわれと位置づけております。この懲戒は教育する必要上、認められた一定の制裁を課すことを意味すると理解しておりますし、また同法十一条を受けた同法施行規則十三条では、

懲戒を生徒に加えるにあたっては当該生徒の心身の発達に応ずるなど教育上必要な配慮をしなければならないと定められており、教育的な配慮なしの懲戒は許されていないのであります。

そして、懲戒を加えるとしても当然限界がある訳でありまして、同法十一条但書で定めるように体罰を加えることは許されていないのであり、体罰に当たる以上、一切懲戒権の行使としては認められないのであり、許される体罰というのはないのであります。すなわち、教育上の必要がいくらあったとしても体罰は許されません。体罰は肉体的、精神的苦痛を与える制裁のことを言うと考えております。ですから校則などの違反の生徒に対し、先生が制裁としての殴る、蹴るなどの暴行を加えることは許されていないのであります。碓かに許される懲戒権の行使であるか、あるいは体罰に当たるのかという判断は教育の現場にいる私どもにとりまして非常に難しいことがらではありますが、私は目的が教育上の観点から見て正しい、妥当なものであるかどうか、またその手段方法が必要最小限度のもので、相当な範囲内でのものであるかどうかといった基準が一応の目安になっていると思っております。あくまでも教師側は冷静でなければならず、一時的な個人的感情に走って生徒に殴るなどの乱暴をすることは論外であります。

また相手の生徒が納得できるものであることが前提でなければ、教育上の効果も上がらないのであります。しかも、たとえ教育上の必要から指導に従わない生徒に対し相当な方法で懲戒を加えるとしても、身体等の安全に配慮を欠くようなものは絶対許されないのであります。

これまで私は長い教職生活を送ってまいりました経験から、たとえは指導に従わない生徒に対し、制裁として教室の外に追い出すことはやはり学習権の侵害になって許されないと考えていますし、また教室内に立たせるとしても五分位が許される範囲と考えておりますし、昼一食をとらせないで説諭をするのも許されないものと思っておりますし、またパーマをハサミで切るのも許されないものであると考えています。あくまでも懲戒を加えるとしても、教師側は愛情を持っていることが基本でありますし、相手の生徒から信頼されていることが前提となっているのであります。生徒に対する生活指導に当たっては、愛情と慈しみをもって接し、体罰とそしりを受けるような行為はしてはならないのであり、いくら教育上の必要という名目を立てても生徒の顔を殴るビンタは許されないのであります。しかも、当校は女子校であり、ビンタをくらわせなければ教育上の効果が上がらないというのはやはり間違っていると思っております。私は校長になってから、体罰はいけないと全職員に対し指導をしておりました》

ところどころ曖昧ながらも、体罰否定論である。先に述べた、九三年四月下旬に起きた体罰に対してとった対応について山近校長は次のように語っている。その事件は、教諭の藤瀬新一郎が「指導」に従わなかった生徒を窓越しに平手で数回叩いたというもので、知美が殺されたあとになって体罰報告書を私学学事振興局に報告している。つまり、山近校長は当時は事件に対応しながらも、報告書は出していなかったということになる。

《(筆者注・体罰の)結果、むちうちになったということを保護者から訴えられるという事件が起きました。この子どもにつきましては、謝罪の上、保護者側と和解が成立し、それで公にしないで落着しました。このときに私は、やはり許される懲戒権の行使を越えており、体罰にあたるとして当の本人に厳重に注意するとともに、全教諭を集めて体罰は許されない、また体罰とそしりを受けるような行為をしてはならないと注意、指導しました。

ですから、私としてはそのときはこの注意を守り平手で叩くなどの体罰はやってはいないと信じていたのでありますが、そんなときにこの度の事件が起き、その実態を知り、愕然とする思いと同時に非常に残念であると感じ、その実態を把握せず、防止できなかったことに責任を感じております》

「体罰があることを初めて知った」と終業式で発言し、生徒から「ウソつくな!」との罵声を浴びせられていることはすでに記したが、これは生徒が正しかったわけである。校長のほうが詭弁だった。

山近校長は、この藤瀬新一郎が起こした事件のあと、職員研修を開き、「法と教育」という題名で、体罰が法禁されていることや、教師の懲戒権について講義をおこなっている。

「教師には懲戒権がありますか」などの質問を職員に発し、生徒の所持品検査のやり方などを具体的に説明した。確かに体罰否定論者だったのだろうが、持ち物検査を奨励しているあたりは、人権思想に明るかったとはいえそうにない。また、藤瀬による事件後すぐに私学学事振興局に報告しなかった理由について山近校長は、「当事者が和解したのだし、私学はどこに報告していいのかわからなかったから」と私に説明している。

山近校長は宮本のことをどう見ていたのだろうか。

《評価としてはいろいろあろうかと思いますが、校長としての立場から見た場合、非常に面倒見のよい教師であったと評価しております。二年一組は就職コースでしたから、宮本先生は進路指導部長として大変なご苦労をしておりました。企業回りや模擬面接を積極的におこない、飯塚にある短大との連絡会を企画したりするなど、非常に熱心にやっておりました。このような事件を起こしたことを知ったときは意外でした。が、事件を調査した結果、宮本先生の行為は行き過ぎであり、到底許されない行為でした。体罰をしてはいけないと注意していたのに、このような乱暴を加えてしまったのであり、弁解の余地はないものと思っております》

また、七月二十日におこなった全職員の「体罰自己申告」の結果についてはこう言う。

《五四名中二二名がなんらかの体罰をふるったことがあることがわかった。顔面の平手打ちから教科書、指示棒でコツンとやるものまで多岐にわたりました。報告を聞いて唖然としてしまいました。私の、体罰をしてはならない、体罰とそしりを受ける行為をしてはならないという指導が守られていなかったのでした》

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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