Yahoo!ニュース

【連載】暴力の学校 倒錯の街 第32回 連鎖する体罰

藤井誠二ノンフィクションライター

目次へ

連鎖する体罰

宮本が九五年六月にふるった体罰については、担任の棚町から報告を受け報告書が作成されている。「これが報告されていれば、事件は未然に防げたかもしれない」と山近校長は言うが、まず、六月の宮本の体罰が報告書に正確に記録されているのかどうか、検証を進めてみる。

まず小山昭教頭の証言である。小山教頭は一九六七年に講師として採用され、翌年に教諭になった。教頭となったのは一九九二年。宮本が採用されたのと、小山が教諭になったのは同じ年であるから、二人は三○年近い同僚ということになる。小山教頭自身、宮本のことを「もっとも近くにいた同僚」と語っている。

《体罰は絶対に許してはいけないものと考えておりますが、私も今回の事件の前、指導していたバレー部で、生徒を平手で叩いたことがあります。生徒を平手で叩く程度のことは生徒指導の一環として許されることであると考えておりました。バレー部の生徒を私が叩くのはバレーの練習を通じて形成された信頼関係を前提としているのであり、一般の生徒を叩いたことはありません。バレー部の生徒を叩くときは、生徒の以前の言動や性格などを考慮して教育的目的を持って叩いたのであり、感情的になったことはありません。

私は校内で先生が生徒を叩いたり、指示棒で生徒の尻を叩くなどの光景を見たことがあります。しかし、それらは生徒と教師の信頼関係を前提として、先生が教育指導の一場面としてなしているものと考えていました。もちろん、先生が生徒を四発も五発も叩くのは見たことがありません。私が宮本先生の立場であれば、陣内君を一発は叩いていたものと思います。しかし、その際生徒が向かってきたらそれ以上はやらないと思います。こちらが叩くことを続ければ感情的になってしまうからです》

小山教頭の「私が宮本先生の立場であれば、陣内君を一発は叩いていたものと思う」という告白は、「感情的」にならない保証はないし、死にいたる可能性はゼロではない。たった一滴の水滴が大河になるように、たった一発の「暴力」が、相手を死にいたらしめる暴力の始まりであることの自覚を持っていない。

宮本を「性格が明るく生真面目で、思い込みが激しい。教育熱心で遅刻や休むことはなく、学校に来る時間も早かった」と評する小山教頭は、その宮本がさきの体罰報告書にある事件を起こしたことを知っていたのだろうか。

《正式な報告は受けていません。ですが、二年一組に五、六人手のかかる生徒がいる、高田君を注意した、と聞いている。私は高田君が精神的に波がある生徒で手に負えないと聞いていたので、指導にあたっては注意するように伝えたのです。もし、この時点で宮本先生が高田君を必要以上に追い回したことがわかっていれば、事情を調査していたと思います。そして、行き過ぎたことが判明すれば、宮本先生にそれなりの指導をしていたと思います。宮本先生とは長い付き合いですから、私の言うことはよく聞いてくれましたので、私が指導していれば、陣内君のことは未然に防ぐことができたかもしれません》

その事件は、知美が殺された一ヵ月ほど前、一九九五年六月十四日の放課後に起きた。

宮本から体罰をふるわれた被害者、高田純子は、陣内知美と一年のときに知り合い、二年になると同じ一組になった。その高田の証言である。

《知美は私の他に仲のいい子が四○人以上はいたと思います。知美のよいところは、性格がめちゃめちゃ明るいところです。私が精神的に落ち込んでいても、学校で私を見かけると、オッハヨーと声をかけてくれ、それで元気になったことが何回もありました。知美はピアスをしていたりタバコを吸ったりしていましたが、絶対に不良ではありませんでした。私が知っている限り、知美を嫌ったり憎んだりする生徒はいなかったと思います》

目次へ

ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

藤井誠二の最近の記事