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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第35回 加害者の「教育観」

藤井誠二ノンフィクションライター

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加害者の「教育観」

では、当の宮本はどんな「教育」観を持っていたのだろう。

《平手で叩くことはいけないことでありますが、私は今年の四月から二年一組の副担任となり、棚町先生をカバーしながら生活面の指導をするようになったのですが、就職コースのクラスであるため生活面が荒れる恐れがありましたので、タガを締めてしっかりやらなければならないと思っておりました。校長の方針として体罰をしてはいけないと定められておりましたが、私自身、本音と建前は違うと思っておりました。口で言ってわかってくれる者もおれば、わかってくれない者もいるのです。ですから、口で言ってもわからない者には体罰をある限度でやってもいいだろうと考えておりました。とはいっても体罰は許されないことでありますので、その内容も教育的効果が上がるようなものでなければならないことはわかっておりました。そのような本音と建前の違いがあり、一学期中はタガを締めて取りかかることにしたので、生徒はそのときは嫌な思いをしても、いずれわかってくれるだろうという思いで、この事件を起こす前から体罰をやってきたのです。ですから、この事件のときも一連の動作のように手がすぐに出てしまいました》

最後の言葉が、宮本の意識をよく表している。宮本は自身の「教育」方針をこうも述べる。

《法律でも体罰は禁止されており、体罰にならない懲戒のみが教育の必要があるときに限り許されていることは当然知っておりました。制裁を加えるとしても、教育的な指導の観点から許されるものであり、その内容や程度にもおのずと限界があることはわかっていたのです。体罰とは、例えば指導の名のもとに生徒の体に手を当てることが入ると思っていたのであり、体罰は許されないことはわかっていたものの、本音としては体罰は必要であると思っていました》

宮本は「生徒指導」には、四つの「技術」があると思っていた。一つ目は「注意」、二つ目は「説諭」、三つ目は「皮肉」、四つ目は「体罰」だという。これをいつのころから「信条」として持ちはじめたかは明らかにしていないか、どういう意味なのだろうか》

《私自身、“皮肉”は使ったことはありませんが、それ以外の項目については実際に生活指導の場面で使っておりました。口だけの注意や説諭のみで効果があるときには体罰を加える必要はないのでありますが、口だけでは聞いてくれないときには体罰が必要であると思っていたのです。口だけでは聞いてくれない生徒に対しては、『怒ると叩くぞ』と言えば、表面だけかもしれませんがおとなしくなりますし、実際に暴力的な行動に訴えるほうが効果的な場合もあるのです。このような体罰を加える場合、加える側に愛情がなければいけませんし、また受ける側にも、加える側の教諭との間に信頼関係がなければならないことが前提となっております。体罰を加えると、そのときは鬼だと言われても、あとでわかってくれる生徒も多かったのであります。これまでに体罰を加えた生徒が卒業して、私に会いに来てくれて感謝してくれたケースも何度もありました》

九五年四月から事件を引き起こすまで、宮本は幾度も体罰をふるっている。

まずは遅刻が多い山岸景子ら三人が遅刻をしてきたので、教室の前で待ち構え、三人をつかまえた。そして廊下に三人を並べ説教、平手で一回ずつ叩いた。このときは「個人的感情はまったくなく、冷静に愛のムチとして叩いた」という。

その次は、生徒指導部から、二年一組の生徒三名が化粧をしていたことと、スカート丈を短くしていたという理由で注意されたという連絡を受けたときだった。宮本は三人を進路指導室に呼び、口頭で注意したあと、横に並べて顔を平手で一回ずつ叩く。このときも「冷静に愛のムチをふるった」のだという。

三度目は、高田純子に対する件の暴力である。

《高田はペチャンコのカバンを持って帰るところでした。教科書を持って帰らない現場を押さえようと、カバンを取り上げようとしたら抵抗し逃げ出したのです。私は教室中を追いかけ、教室から出た高田を追いかけました。途中で私は感情的になり、コツンと頭を叩いたり、髪を掴んで引っ張ったりしました。高田は階段のところで逃げようとしてこけたりしました。私はつかまえて進路指導室に連れていこうとしたのです。が、棚町先生が間にはいり、私に任せてくれと言ったので処置をまかせました》

「冷静な愛のムチ」とは片腹痛い。それどころか本人はすぐに「感情的」になっている。「冷静」と「感情的」の境界線など実は存在せず、自身をコントロールできないことは宮本自身が誰よりもわかっていたはずである。

宮本本人がいみじくも言っているように、「『怒ると叩くぞ』と言えば表面だけかもしれませんがおとなしく」なる。これは恐怖政治である。暴力の効果によって生徒が萎縮をすることが「愛のムチ」で「教育」だという。暴力で大のおとなが子どもを屈伏させることが、本来の意味での「教育」なのであれば、「教育」など決して崇高なものではなく、貧困な精神でも実行できる「行為」なのかもしれない。

《私が一年のときはビンタをする先生を見たことがなくて、頭を拳骨でコツンと叩く先生しか見たことがありませんでした。私が、生徒がビンタされるところを見たのは、二年になってからで、初めて見たのは宮本先生でした。私は宮本先生に叩かれたことはありませんが、怖い先生だと思っていました。それは、他の人をビンタしたとき、パチンという音が聞こえるので怖いのです。宮本先生の他にビンタする先生は生物の古閑先生です。しかし、古閑先生より宮本先生のほうが強いのです。古閑先生のビンタは生徒の顔の近くから平手でパチンという感じで叩くのですが、宮本先生のビンタは右手を肩の上まで振り上げて力一杯叩くのです。それに古閑先生は一発で終わるのに、宮本先生は続けてやるのです。私は、なんで女の子を叩くのだろう、と宮本先生を見ると怖くなりました。宮本先生はすぐに感情的になり、体罰をふるうとき、顔つきがすごく怖くなるのです》

こう言うのは、知美と一年、二年ともに同クラスだった藤田まなみ(仮名)だ。藤田は、一度だけ宮本が知美を叩くのを目撃している。

《二年生になって二回目ぐらいの簿記の授業でした。知美ちゃんが授業中に手紙を書いているのが見つかったのです。宮本先生は知美ちゃんの席のところに行って、「手紙を出せ」と言って手紙を取り上げ、いきなりビンタしたのです。私は知美ちゃんの左斜め後ろの席でしたからはっきりと見ました。宮本先生がビンタするのは、遅刻したとき、簿記の教科書を忘れたとき、授業中の態度を口で注意しても聞かないときなどでした》

私は飯塚の街を歩いている途中、何度も近大附属の登下校風景に遭遇した。学校からクルマの往来が多い国道へ通じる道は細く、登校時はそこを一定時間内に一三○○人以上の女子生徒らが通行する。教員たちは生徒たちの交通整理をしながら、服装にも目を光らせていた。

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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