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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第36回 5章 噂の培養基 教え子からの手紙

藤井誠二ノンフィクションライター

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5章 噂の培養基 教え子からの手紙

一九九五年七月十七日以降、福岡県飯塚市とその周辺地域で、どす黒い噂が孵化し、鎖が解かれたように広がっていった。その噂とは、教員に殴り殺された陣内知美やその遺族を誹謗中傷する、まったく根も葉もないデマだった。遺族に、「知美は二度殺されたようなもんです」とまで言わしめた噂である。

犠牲者の魂を二度も踏みにじる人々の囁き。噂が伝播していった道筋や発生源などを逆探知する行為の途中で、常に私がぶつかったのは、人々の「無意識化された悪意」であった。

一九九五年十一月十三日の第三回公判では、宮本の嘆願署名運動の火付け役である元同僚の井上正喜が証言した。その内容はすでに記述したが、この日、卓球部の宮本の教え子ら五人も出廷、自分たちが関わった署名運動や、宮本の人となりについて証言している。

〈TM。専業主婦。一九七二年卒業〉

《拘置所に三回ほど面会に行きました。最初に会いにいったときは、宮本先生は、『警察の方から、陣内さんの血圧が安定している』と聞かされ、何とか助かってほしいと祈り続けたけど、亡くなってしまってと言って、目に涙をいっぱいためておられました。

七月三○日にOGが集まりました。事件が起こってすぐに同期や先輩たちに電話をしました。新聞やテレビの報道が余りにもひどかったものですから、これはもう先生のために何とかしなければと、みんなが自然に、自発的に集まろうということになりました。そのときは七○名以上集まったと思います》

集まったOGたちに、ルーズリーフが一枚ずつ手渡された。

《いま先生に会うことはできないから、先生を励ましたり、自分たちの気持ちを先生に伝えたいから手紙を書いて、持って行ってもらえるものなら書こうということで、それを一枚ずつ配って、自分の気持ちをみんな書いてね、と。先生のいままでしてくださったこととか、裁判の結果がどうなっても私たちの気持ちは絶対に変わりません、ということを(法廷で)述べたいです。『文春』という雑誌にも載ったのですが、先生にどうしてもっと不真面目に仕事をしなかったのですか、と書いたんです》

それらの手紙の一部は「文藝春秋」の九五年十月号に掲載された。近大附属卓球部OGが、七月三十日に集まった際に集められた宮本への手紙は次のようなものである。

まず、TMの手紙。

「先生、体は大丈夫ですか?一週間位前、○○と△△子の三人で会って一日話をしました。試合の帰りのことや先生の福岡の家に泊めていただいたことなど……。私が○○に、いつも学校やめたいっていってたのに三年間で卒業できたのは先生のおかげネっていったら、○○はその通りだと泣いていました。△△子も……。また、私も同じです。私はこれが他の担任の先生だったら署名運動もやらなかったかも知れません……。先生のことは私たちが一番良く知っています。先生のおかげで本当にすばらしい三年間を過ごさせてもらい、私は大好きな学校だから、今年子どもを近大附属の○○科に入学させました。私は今回のことは事故だと思っています。ただ、どうして先生がもっと不真面目に仕事をしなかったのか涙が止まりません!(中略)いま思いついたのですが、卓球部全員でその内、勝ち抜きの試合をしましょう。年の順からです。この次先生の笑顔を見れる日を楽しみにしております。とにかく、身体を大切に!

○○と△△子だけ飲みに連れて行ったそうですね!ずるいです。この次は私もお願いします。私の美声を聞かせたいと思います」

TMは公判で、全文が載せられていないことを明らかにした。削除された部分とは本人が言うように、陣内知美への中傷である。

《就職に有利にさせようと、五回も再試験をしてあげても、その気持ちが通じるような子どもたちではないと思います、ということも書きました。テレビや新聞の報道でありましたけど、子どもたちの態度ですね。今は就職難だから、どんなに一生懸命、(簿記の)三級の再々試験をしてあげても子どもたちには通じていなかった。また、通じないと思います》

TMは、知美の級友たちかインタビューされ、宮本の体罰か告発されるのを見て、怒っているのである。そして、「先生のことを悪徳教師だとか暴力教師だとか言われても、自分たちの気持ちは変わらない」ということや、署名運動する人々が共犯だと言われても、学校が先生を見捨てても、私たちは決して先生を見捨てることはありません、とも書いている。この部分も削られて「文藝春秋」には掲載されなかった。

〈TC。専業主婦。一九八五年卒業〉

《私は卓球部で部長でした。宮本先生は二年、三年のときの担任でもありました。クラスは就職クラスだったんですが、就職の相談にのってもらったりしました。私にとっては大事な恩師です》

〈NN。保母。一九八九年卒業〉

《七月十七日に事件が起きて、私の家に同じ卓球部のメンバーや学年の違う人からどんどん電話がかかってきて、報道が間違っているというか、私たちの思っている宮本先生のことを報道されていないということにみなさん悲しくなりまして、宮本先生が今どうされているのかなとみんな気にしていたので、一度集まろうということになって、誰からともなく手紙を持って来て集まってきたので、一つにまとめようということでバインダーにしました。この手紙の中にも書きましたが、篠木先生とU君が(筆者注・卓球部の)合宿前に現役の子たちに言ったそうです。お前たちがいちばん宮本先生がどういう人かよく知っとろうが、お前たちは一生懸命がんばって、今まで作り上げてきた伝統を守ることが宮本先生のためにもなるんだぞ、と。宮本先生はいまでも、前からもずっとかけがえのない恩師なのです。この中には現役の生徒も書いています。その場(七月三○日の集まり)にはいなかったのですが、たまたま合宿に行ったときに、私たちもということで、じゃあ紙があるから、と、現役の一年、二年、三年が書きました。在校生の分は私が取りにいきました。私たちは進学クラスでしたが、就職クラスは、言い方は悪いんですけどヤンキーの集まりとか、やっぱり女子ばかりのクラスですとケンカがあったりとか、ちょっとトイレに呼び出しがあったりとかそういうことがありました。ヤンキーというのはいわゆる不良というんですか、だから人が悪いという意味じゃなくて、すぐ誰かに目をつけるとか、同級生や年下の子を呼びだしたり、そういうことに走ってしまう》

〈KT。介助貝。一九九三年卒業〉

《私もルーズリーフに、『毎日毎日心配です。一日でも早く社会復帰してください、本当に早く先生に会いたいです、がんばってください』ということを書きました》

この証言者たちは全員が卓球部であり、最も宮本を慕う教え子たちである。この教え子たちが宮本を救うべく署名運動の基盤の一つになって奔走する。以下も他の卒業生らの宮本へ宛てた手紙である。

「宮本先生へ お元気ですか? 今回のことは本当に驚きましたが、運が悪かったとしか言いようがありません。マスコミは、ただ一方的に先生が悪いと報道していますが、これは先生だけの問題でなく生徒にも問題があったと思います。亡くなった人のことを悪く言うのはイケナイ事なのでしょうが、先生から教わった私や卒業生にとってショックな出来事で、まして先生一人が悪く言われるのはとても腹が立ちます!! TV、新聞などでは先生は容疑者になっていますが、私達卒業生又在校生でも先生はずっと先生なのです! 宮本先生は永遠に変わりません!! 私も先生がお世話して下さったスーパーに入社して丸三年がたち四年目を迎えました。そして今年の四月、初の転勤辞令が出て、今現在○○店で課長のアシスタントとして頑張っています。本当にどこへ行っても周りの人に恵まれ、幸せに思っています。今はあの時先生が私を推せんして下さった事にただただ感謝するばかりです。本当に在学中はお世話になりました。ありがとうございます……。

生徒が亡くなったという事実はこれから先、消えることはないと思いますので先生の罰が少しでも軽くなるよう私も精一杯応援します! みんな先生の味方なんですから先生も元気を出して前向きに頑張って下さい!! 私も○○店で頑張ります。松葉杖姿が少しでも多くの人に元気と勇気を与えてくれるのだとしたら私はいつでも明るく元気でいたいと思います……。先生いつかまた会える日が来たなら、大好物のトマトジュースを持って会いにいきます(ハートマーク) それまで元気でいて下さいネ! それではまた……。」(二○代)

「宮本先生へ 今回のことニュースで知りとまどっています。何と書いていいのか、わかりませんが、クラス全員で励ましの手紙を出そうという事になりペンを取っています。先生や生徒さんのこと色々情報がとびかう中、私は先生の事を信じています。

先生のとられた行動は間違っていないと思っています。だって私達は先生が担任で何十時間すごしてきて先生の気持ち少しはわかってるつもりです。でも、今回の事は、起きてしまった以上、クチでなんだかんだと云っても前には進めないと思います。(中略)人間一人々々完壁な人なんていませんよ、私だって完壁じゃない。私達は第三者、何とでも云えますよね。先生の今の気持ちなんて、わかりっこないですよね。でもがんばって下さい、元気を出して下さい。私達卒業生一同、皆心配しています。先生の元気な顔が見られるのを楽しみにしています。(8/5 クラス会楽しみにしていました)今度は必ずお会いしたいです。必ず約束ですよ。(後略)」(二○代)

現役生はどう書いているのだろうか。

「宮本先生へ 前略お元気でしょうか。私は今夏合宿の最中です。今回の事は、不慮の事故だったと私は思っています。正直言ってしょっくでした。動揺もかなりしました。新聞やテレビなどで今回の事故を見た時、聞いた時、私は『本当の宮本先生を見てほしい』と強く思いました。宮本先生はまちがった事はしていないと信じています。陣内さんがなくなった事が本当にくやしいです。私は長い休部生活から脱出してカットマンとしての練習に一生懸命取りくんでいます。宮本先生からもいろいろな卓球の技術を学びたかったです。しかし、私は宮本先生の卓球は忘れていません。しっかりと覚えています。カットマンになって一度だけ宮本先生から教えてもらいました。その時、宮本先生の適切な教え方で私は一回で理解することが出来ました。そんな宮本先生が卓球を教えられなく、なるのはおしい気持ちでいっぱいで胸がつまります。

今、私達が出来る事、それは宮本先生に同情して泣くことではありません。一生懸命練習し連続優勝を止めない事です。宮本先生が作り上げてきた近畿大学附属女子高等学校の卓球部の名が汚れぬように、同時に宮本先生が作り上げた卓球のさらに上のレベルになれるように努力し、がんばりたいです。(後略)」(二年生)

「宮本先生元気ですか? 私は、今回の事件を聞いて驚きました。TVやマスコミなどが学校に来て、質問など受けました。亡くなられた人には気の毒だけど、その人が悪いことをするからいけないんだと思います。宮本先生は教師としてやったことだからしょうがないと思います。何かのはずみとゆうのは本当にこわいです。(後略)」(一年生)

「元気にされていますか。学校でこういう事件か起こってしまった事は、残念な事ですか、私はあくまで生徒に問題があったのではないかと思います。宮本先生に卓球を通していろいろな事を教えていただいてきたけれど、宮本先生が手をあげている所を一度も見た事がありません。だから、余計に今回の事件が信じられないし、よほどの事があったのではないかと思います。今、体罰が問題になっているけれど、どこまでが体罰でどこまでが体罰ではないのでしょうか。教師が生徒に手をあげるという事は生徒になんらかの問題があるからで、むやみに手をあげているわけではありませんよね。報道の人達は何も知らないくせに、いいかげんな事ばかり言って、これほどくやしい事はありません。しかし、そういう中でも分かってくれている人はたくさんいますよ。(後略)」(三年生)

自分の「恩師」を擁護したい気持ちは理解できないでもない。しかし、昂る感情はここまで事実関係をないがしろにし、真の被害者である陣内知美やその遺族の慟哭や哀しみに耳を塞ぎ、死者の存在を無視できるものなのだろうか。「運が悪かったとしか言いようがありません」「先生のとられた行動は間違っていないと思っています」「亡くなられた人には気の毒だけど、その人が悪いことをするからいけないんだと思います。宮本先生は教師としてやったことだからしょうがないと思います」「私はあくまで生徒に問題があったのではないかと思います」……。被害者側にとって、残酷な言葉が並ぶ。これらは明らかに被害者への悪意である。この悪意か無意識のうちにかたちを変幻させ、デマに進化していったとも考えられはしないか。

教え子らから宮本に宛てられた手紙は、七万五千人を越える嘆願署名と共に被告弁護人より裁判所に提出された。ただし、裁判長は「裁判所は受け取りますが、証拠として採用するものではありません」と付け加えた。

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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