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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第37回 先生は善・生徒は悪

藤井誠二ノンフィクションライター

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先生は善・生徒は悪

飯塚市に隣接する山田市。この町に住む主婦D枝。昼間は病院関係の仕事をしている彼女はこんな体験を私に話してくれた。

「私は、体罰厳禁を文部省に求める署名ハガキを職場に持っていき、同僚の人たちにハガキに署名してくれるように頼んだんです。そうしたら、『(近大附属体罰死事件は)テレビや新聞で知ってるけど、先生は悪くない。生徒が悪いから、先生もそういうことをしたのではないかと思った』から、署名はできないと言われたんです。四~五人に頼んだのですが、全員同じ返事で、ダメでした」

体罰厳禁を文部省に求める署名ハガキとは、「陣内さん支援ネットワーク」の佐田正信が呼びかけたものである。事件直後、死を招く可能性の高い体罰を根絶するよう文部省に要請しよう、という佐田の呼びかけに呼応してくれる人はきわめて少数だった。D枝はそんな数少ない共鳴者の一人だった。

そのD枝から、Eという山田市で自営業を営んでいる男性を紹介された。D枝はEから、知美が入れ墨をしていたらしいとの噂を聞いている。私は、Eの店を訪ねた。

短髪で、がっしりとした体格のEは私の取材意図を聞くなり、こう言った。

「新聞で事件のことを知ったんだけど、再試験の邪魔を(知美が)しとったんだろう。宮本先生は注意をしたが、口で言ってもきかないからやったんだろうと、そう思っていましたよ」

E宅に、「宮本教諭に対する寛大な処分をもとめる嘆願署名」が回ってきたのは事件が起きて数週間も経たないうちである。署名用紙を携えてやってきたのは、近大附属の卒業生の主婦だった。年齢は四○代半ばに見えた。近所をひとりで自転車で回っていた。

その女性は言った。

「(知美は)覚醒剤を打っていたんです。それは飯塚病院の看護婦さんが、打った痕があった、と言ってたらしいんですよ」

髪は茶色だった、ともその女性は言った。Eは署名に応じながらも、いぶかしんだ。

「普通、看護婦はそういうことを言わないはずなのに、どうして広がったのだろうと。おかしな話だと思ったんですね」

私はEには尋ねた。どうして、マスコミ報道だけで「生徒か悪い」と思ったのですか、と。

「新聞やテレビで事件を知って、反射的に『先生の手におえない悪い子だったんだろう』と思ってしまったのは、私の子どもが通っている地元の中学が、授業が成立しないほど荒れてしまっているからなんですよ。三、四年前から荒れていて、先生が黒板に字を書いていても、生徒たちはトランプ、ゲーム、おしゃべりに夢中でまったく授業が成立しない。中学三年生と一年生の生徒五人が、婦女暴行罪で逮捕され、少年院に三人、教護院に二人送られるという事件も起きています。ですから、(知美が)授業妨害をして、それに対して宮本先生が怒ったというので、おそらく道徳的なことができていない子なのだろう、言うことを聞いていない子なのだろうと思いました。どうせ、中学時代からそういう態度を取り続けてきたんだろうと……」

さらに、Eはこう付け加えた。

「この町の人たちは、その中学と事件がだぶり、おそらく私のように思っているにちがいありません。噂が広がる土壌ができていたのです。(知美が)覚醒剤をやっていたという話があると、それは先生を助けんといかん、という話になる。みんな、その噂を信用してしまったのです。今でも、(知美は)覚醒剤を打っていたとこの町では噂が定着していますよ。その噂を取り除くのは不可能にちかいと思います」

この町の人々の意識には、先生は善、生徒は悪という前提がある。だから、事件も当然、そういう目で見る。そこにスッと噂か入り込み、それは塗りかためられた。

「私も署名しましたが、罪は罪として償うべきだと思っています。それに、事実、(噂は)確認のしょうがないじゃないですか」

Eでさえ、いまでも噂を信じていた。無意識のレベルまで塗りかためられたかのような「悪意」は、自身で意図的に摘出しようとしない限り、消えない。噂の真偽は、たとえば警察に電話をすれば、たちまち判明することなのである。

私は帰り際に、遺体の解剖の結果などを伝え、断じて、流布された噂は根も葉もないことをEに告げた。それだけは、わかってほしい、と。

「エッ? 本当ですか。それは初めて聞きました」

Eは驚いた顔をして、そう私に言ったのだった。

この町では、「宮本教諭に対する寛大な処分をもとめる嘆願署名」に署名したことについて教えてくれる人を探すのは造作ない。なにせ、嘉飯山地区だけで、署名総数七万五千のうち四万以上をかき集めているのである。しかし、誰にそれを頼まれたかを教えてくれる人は稀だ。さらにその「誰」の住所まではめったなことでは教えてくれない。小さな町で、波風を立てることにつながりかねない言動は避けたいのだ。署名内容をよく確認しないで、近所付き合いでサインをしてしまうのも、そういう“ムラ感覚”である。

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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