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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第38回 倒錯の街

藤井誠二ノンフィクションライター

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倒錯の街

私は、Eに「知美は覚醒剤を打っていた」と吹き込み、署名をもらった女性を訪ねあてることができた。その女性の名をF子としよう。F子の夫は、市内で建設関係の会社を営んでいる。

私がF子宅の玄関を開けると、老女が出てきた。

「ここに近大附属の卒業生の方はいらっしゃいますか?」

そう尋ねると、最初、その女性は「いま、おりません」と答えた。F子は夕食の材料の買い出しに出掛けていて三○分ほど留守にしていたのだった。

私が明日の来訪を言い残し、踵を返そうとしたところ、買い物袋を下げた女性が帰ってきた。その人がF子だった。私が、来訪の趣旨を告げると、いまからまた出掛けるので、明日にしてほしいとのこと。その人が、署名活動をしていた当人であることは間違いなかった。

翌日、約束の時間に出向くと、F子はもう一人、女性を呼んでいた。その女性をG子としよう。F子は私に対して警戒心をあらわにして、同級生を連れてきたのだった。

ふたりは、宮本がいまどこの拘置所に収監されているのかを知りたがった。私は調べることができたら知らせると答えたが、二人がむしょうに宮本に手紙を出したがっていることがわかった。

F子が言った。

「(知美は)亡くなったから、罪は罪としてあるけれど、(宮本)先生は犠牲者ですよ。だって、名誉も職も失ったんです。あの子さえいなければ、あの子が普通の子だったら、今でも、宮本先生は学校で授業をおこなっているでしょう。先生、と言って会いに行きたいのに、今は行けないんです。手を出させた側にも責任があると思います」

傍らでG子もうなずいている。

F子の娘も九五年の春に、近大附属の特進(特別進学)コースに合格したという。

「あの子たちも先生がかわいそうと言っていますよ。(事件を報道する)テレビに映るのはひどい子ばかりなんです。それに、ひどい子の母親だけがインタビューされていたんです。タバコを吸いながら歩いているような母親にインタビューしているんですよ。そんな、知美さんと同じクラスの子の母親が、『憎い』とか『殺された』って言っているんです」

F子は、いかにも知美の所属していた就職コースの子どもたちのたちが悪く、その親もよくないとばかりに言いたげなのだ。マスコミが知美のクラスの人にだけインタビューしているのが、お気に召さないようなのだ。差別意識丸出しである。

F子は続ける。

「緊急父母会のとき、(事件について)両方の意見が出たんです。知美さんのクラスの親が手を上げて、『グラスの人が少ない、来ていない』と言われましたよ。自分たちのクラスが対象なのに、来ていないのはおかしい、とおっしゃられたんです。そのお母さんは、『先生は一生懸命だった、先生もかわいそう』とか『知美さんが悪かったと娘が言っています』と発言をしていました」

F子と宮本の出会いは、F子が高校二年のときである。G子も同級生。二人が高校二年のときに宮本が赴任してきた。F子とG子は、一九六七年に近大附属に入学した。3章で登場したB子と、この二人が、宮本が初めて卓球を指導した、いわゆる一期生にあたる。

「当時は叩かれたことはありませんでした。不良も素直でした。今より、生徒たちもおとなしかったですね。二人とも卓球部でしたが、先生がカッとして球を投げられたことはありましたが」

こう二人は口を揃える。

――署名用紙はどんな人に配付されたのですか。

「卒業生以外のよその人にも頼みました。近大関係者や関係ない人、計十名ぐらいに、署名用紙を少ない人で一枚、多い人には十枚ぐらいお願いしました。私自身はひとりで近所を回ったり、主人の会社の方にお願いしたんです」

――FさんがEさんに署名を頼まれたとき、「(知美が)入れ墨をしていた」とおっしゃったのは本当なのですか。

「人から聞いたんです」

――誰からですか。

「救急関係の知り合いから聞いたんです」

――どんな知り合いの方ですか。

「私の組内(町内)に住んでいる、救急関係者の家に署名用紙を携えて訪ねたところ、知美さんの話になったんです。すると、『(知美を)手当てしたら、わかるもんですもんね」と署名しながら、ニヤッと笑って言われたんですよ。そのときは、私はその方(男性)が消防署に勤めていることは知らなかったんです」

その「救急関係者」は、念を押すようにこんなことをF子に言ったのだという。

「わかるもんでね。私たち」

F子は一瞬、意味がわからなかったが、その相手が消防署に勤めていることを思い出した。

「あ、消防署にお勤めでしたね」

「それ以上は言えませんけどね」

そこでF子は「直観した」のだという。知美は覚醒剤をやっていて、あの男性はその注射痕のことを指して言っていたのだ、と。

私は、確認するような気持ちで質問をする。

――それから覚醒剤のことを署名のときにおっしゃるようになったのですか。

「それを聞いたあと、二軒ぐらいはそれ(覚醒剤)を加えていきましたね」

私が唖然としたのは、あっけらかんと、そうF子が答えたことである。ここにありもしない噂を蒔いた人物がひとり、いた。

さらにF子は言う。

「(知美が覚剛剤をやったのは)一、二度かもしれないが、私はぜんぜんやってないと思っていませんよ、いまも」

自信たっぷりなのである。そして、弁明する口調でこうも言う。

「同時に(噂を)聞いたこともありました。他のところからも聞いたことがあるんです。それに、署名用紙を持参して、私が(覚醒剤のことを)口に出す

前に、そのことを聞かされた家もありましたよ。その家は、飯塚からお嫁さんに来ている家で、その人の姉が飯塚病院に勤めていたんですよ」

G子も、美容院に署名用紙を持っていったときのことを教えてくれた。

「美容室にお客さんとして、飯塚病院の看護婦さんがみえたんです。看護婦さんは、「すごい手当てだった」と当時のことを振り返って、「覚醒剤の痕と入れ墨があった」と言うんです」

私は聞いた。

――その看護婦さんが直接知美さんの体を見たかどうか、G子さんはわかったのですか。

G子は、「それは、わかりませんでした」と答えた。私はさらにG子に聞く。

――あなたも、その噂を言いながら、署名活動をしたのですか。

G子は言った。「私はなるべくそういうことを言わないように、ただ宮本先生を助けようと署名活動をしました」

すると、F子がこんなことを話しはじめた。

「宮本先生は足が悪かったんです。それでも卓球をやっていたんです。私たちのころはそれ(足が悪いこと)を言わなかったんです。先生本人はコンプレックスとは言っていませんでしたが、私たちが言うのは悪いことだと思っていました。もし、知美さんがそれを言ったのなら、叩く理由になったと思う。言ったかどうかわかりませんが……」

話が「仮定」を前提に進んでいく。それは、知美が悪いという結論にもっていきたいがための虚言である。もしかしたら、きっと、おそらく、いや間違いなく……、そういうことを言う生徒だったのだ知美は――。虚言が虚言を生み、その虚言が自分を納得させていく。F子の「宮本先生かわいさ」は、「知美さん憎し」という悪意に変化し、彼女の無意識に沈殿した。それが、もっていきようがないもどかしさや、恨みの礫になって、宮本の嘆願署名と共に町の隅々へと拡散していったのではないか。

「叩かねばならなかったという理由もあるんです」

「体罰はいいと思います」

微塵の疑問が入り込む余地もないかのように、そう言い切るF子とG子。私は帰りの道すがら、何度もたとえようのない悪寒におそわれたのだった。

F子とG子に会った日の夜、また知美に対するあらぬ噂を耳にした。私に教えてくれた人は、知美の同級生から噂を聞いたのだと言う。知美は、入れ墨をしていた。それも、内腿、胸、足の裏に一カ所ずつ.シンナーも吸っていたらしい――しかし、その同級生は「見てないけど」と付け加えたという。もう、やめてくれ。私は耳を両手でふさぎたい衝動にかられた。この街は明らかに倒錯している。暴力の学校はそんな街にあたたかく抱かれている。

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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