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【連載】暴力の学校 倒錯の街 第40回 「学校に責任はない」

藤井誠二ノンフィクションライター

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「学校に責任はない」

一方、小山昭教頭の証言にはいくつもの興味深いものがあった。まず、近大附属で部活動を導入したのは小山その人だったことである。

近大附属が学校法人の認可を得た当時は十六クラスしかなく、周りには二千人規模のマンモス校がいくつもあった。学校のランク付けもはっきりしており、「県立に落ちた子は私立飯塚高校、飯塚高校に落ちた子は飯塚女子高校、そこに落ちた子は近大附属」だったのだという。

そこで、専門が体育であった小山は奮起、クラブが何もなかった同校にバレーボール部をつくった。当時はバレーボールが五、六個しかない状態だったが、十年後には筑豊を制瑚するぞという意気込みだった。

《それに学力が劣る生徒が集まってきたので、各クラスでのリーダーシップを握る生徒を育て、学校の活性化をしたいという考えで、この十年間わき目もふらず、ただバレーボールに打ち込んできた。そういうマンモス私学や県立高校に対する、追いつけ追い越せが私の大きな目標でありました》

そのせいだろう、十年目で小山の受け持つバレー部、宮本が顧問をつとめた卓球部、そしてバスケット部も筑豊地区を制し、県のベスト四にはいった。部活のルールを守ることが校則を守ることにつながるというのが、小山の持論らしい。

だからか、小山は部活で生徒に体罰をふるったことを自ら告白した。

《私は、学生時代は格闘技の個人種目をやっておりました。でも女子の学校で格闘技をやるわけにはいきませんので、バレーボールをやりました。バレーボールはチームプレーを核としたスポーツですから、日常生活から生徒たちに非常に厳しい要求をしてきたことは事実です。チーム作りをする上でプレッシャーをかけた時期もあります。それから部員一人ひとりに心、技、体、これを向上させるとき、あくまでも自分と部員、自分と(部員の)家庭の間に信頼関係があって、その範囲内でよかったんじゃないかと若いころは考えておったわけですが、今回の事件が起こって振り返ってみますと、やはり私のやってきたことも体罰に値するということで、現在は深く反省しております》

学校のスポーツ成績か上かっていくにつれ、校則の違反指導などか厳しくなっていく。が、成績のランクや生徒の風紀も上昇した、と小川は感じている。地域の評判も上がった、と証言した。

《いまはランクから言えば、県立稲築高校(現・稲築志耕館高校)を超え、全体的なレベルはまだ嘉穂、鞍手、田川高校のトップクラスに入っておりませんけども、特進クラスの子どもたちの成績をもっていきますと、年によっては三校の十番以内に入る生徒がかなりおります》

同時に、小山が教頭に就任してからは生活指導も一層の厳しさを要求するようになった。

《私が教頭になってからは、ネジをしめるという言い方はちょっと悪い言い方ですが、とにかく私は基本的生活習慣をきちんとさせなさい、と。それはまず生徒は学校に来ることが原則だ、と。少々頭が痛かろうが、腹が痛かろうが出しなさい、と。五分でも十分でも学校に出てくるように基本的なものを植えつけろ、と担任にきつく言ってまいりました》

小山教頭が陳述したような、がむしゃらな「努力」について、福岡県内の私立女子高校元教員は同情的な意見を私に述べた。

「私立はあくまでも“営業”ですから、高尚な教育理念は建前で、本音は生徒急減期に向かってひとりでも多くの生徒を確保したいという気持ちだったはずです。他の私立や公立高校と競争をしなければならない。私が勤めていた高校も、部活、しつけ、進学の三本柱でやってきたのです」

学校の偏差値レベルが上がり、有名大学への進学率が上向き始めると、部活に力を入れることをやめるのだという。スポーツ有名校から進学有名校への転換をはかるわけである。

「私立は結果重視です。甲子園が象徴しているように、どんなスポーツ大会で優勝したか。どんな有名大学に入ったか。だから、退学者の数も実際より少なくみえるようにもみ消す。多いとわかったら、生徒が集まってこないからです」

学校の体面をよくするために、最も過酷な「競争」を強いられるのがクラス担任だという。クラス間競争の牽引車役をやらされる。

「定期テストの総合成績や、科目別成績が出て、クラスが順位付けされます。どのクラスが何位で、どこのクラスは落ちたなどと言われる。それに、クラスごとの遅刻の数、掃除の出来、校則違反の数も競わされます。私のいた高校では毎日、クラスごとの遅刻者数が印刷されて各担任と管理職にまわってきましたし、校門での抜き打ち検査の結果もすぐに出ました。それらの成績が低いと、あの担任はダメだという烙印を押されてしまうのです。担任は気が気ではないのです」

近大附属でも、クラスの出席率が学年でトップになると、そのクラス担任が校長から表彰をされる仕組みになっていた。

「私は校則検査をやりたくありませんでしたが、生徒を見逃すと、私以外の教員や生徒指導部に呼ばれて集中砲火を浴びてしまう。だから、校則を守らせるというより、生徒指導部の餌食にならない程度に校則を守らせるようにしました」

福岡県は元来、私立より公立のほうがレベルが高いため、窮余の策として大半の私立高校が「特進コース」を設置、一般入試とは別の難易度の高い入試をおこない、生徒を集めている。そして「特進コース」の生徒を有名大学に送り込み、学校全体の進学率や進学先のレベルを上昇させるという方法だ。入試も別、カリキュラムも別だが学校名だけが同一という奇妙な、少人数の生徒集団が学校間の「影の格差」を競っているのである。

「近大附属で、校長に野次を飛ばした生徒に、逆に野次をとばしたのは、特進クラスの生徒だったと私は思っています。というのは、私がいた高校でも特進クラスがあり、クラスマッチの球技大会のときなどに、試合に勝った特進クラスの生徒たちが普通コースの生徒たちに、“私たちがいいのは頭だけじゃないもんね”と野次を飛ばし、普通コースの生徒たちがカンカンに怒ったことがあったのです。特進クラスの制度は、生徒間の差別意識も生み出しているのです」

彼は時間が許す限り、宮本が裁かれる法廷に足を運んだ。

「私立高校の教員はみな、宮本さんのようにやるか、さもなくば学校をやめるしかない。自分の方針を貫こうとして、それが学校のそれと合わなければ、理由をつけられてクビを切られるか、窓ぎわでほされるかのどちらかになってしまう。私はやめる道を選びました。だから、決して他人事ではないのです」

弁護人が、棚町のクラスに副担任として宮本をつけたのはなぜなのかを質問した。副担任はすべてのクラスにつくわけではない。全三二クラスには、常勤・特任の教諭を担任として配属する。一学年が十クラスあれば十人の担任がつくわけだが、そこに補助として五人ほどがついた。しかし、「補助教員」によって学年団への協力の度合いにばらつきがみられたため、九五年度から、小山が副担任制を提案し、導入されたのである。

小山が二年一組の副担に宮本を配属したのは、受け持ちが商業のため、生徒と顔を合わせる時間が長いこと、教職キャリア十五~十六年の棚町に対して「学級経営的にちょっと弱いと感じていた」からだという。

弁護人の質問が終了し、今度は検察官が宮本が陣内知美を死亡させたことについて学校の責任はあるかどうかを尋問すると、小山はこう答えた。

《体罰によってひとりの尊い命を亡くしているわけです。学校教育法でもいけないのだときちんと押さえてあります。また日常、機会ある度に校長先生からも指導を受けております。しかし、それにも拘らずこういうことが残念ながら起こってしまったわけですが、管理責任は私はないと考えます》

小山個人としての意見らしい。「死亡見舞い程度のことは学校として考えなければならない」と答えているが、「学校全体の責任はない」と小川は言い切った。

最後に裁判官が、事件直後の「体罰自己申告」について質問をした。二六件挙がった事例をどうして三件に減らしてしまったのか。怪我をさせなければ体罰にならないというふうな線引きのように感じられるが、と。

《結果的には三件と校長(山近)がまとめられましたもので、しかし、その後いろいろ調べてみますと、やはり授業中一時間立たせておくということも体罰にあたるということを認識させられています》

非体罰とされた二三件も体罰にあたるといまは思っている、と小山は言った。つまり、事件直後の時点では、体罰の定義について誰も正確に知らなかったか、あるいは知っていても校長の決定に口を挟むことができなかったということになる。

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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