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桜宮高校事件「初公判」傍聴記(前半)

藤井誠二ノンフィクションライター

拙会員制メールマガジン「事件の放物線」9月17日号で配信した『桜宮高校事件「初公判」傍聴記』を今日、明日の2日にかけて全文公開します。

【目次】─────────────────────────────────

■「体罰の虜囚」は「言葉」を奪われていると思った

■求刑は異例の「懲役一年」

■拳骨は体罰だが、平手は体罰ではないと思っていた

■外部委員会の調査報告書も読んでいない

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■「体罰の虜囚」は「言葉」を奪われていると思った■

今年七月四日に起訴された元桜宮高校バスケットボール部顧問の小村基氏の初公判(当日、結審) をすべて傍聴した。そのあとに司法記者クラブでひらかれた自殺した少年の遺族の記者会見も聴いた。

その傍聴席で小村氏の姿を見て考えたことを、私はすぐに朝日新聞記者に語り、翌日の朝刊社会面で〔葛藤 伝わってこない〕というタイトルがつけられ、次のような記事になった。

〔「体罰はなぜなくならないのか」などの著書があるノンフィクションライター、藤井誠二さん(48)に初公判の印象を聞いた。

元顧問は「申し訳ない」「反省している」と繰り返したが、紋切り型で、苦しんで謝罪の言葉を探した形跡がわからなかった。なぜ体罰に至ったのか、なぜ体罰に依存してきたのかという自問自答をしていないのではないか。23年間、暴力で子どもに言うことを聞かせてきた「体罰の虜囚(りょ・しゅう)」とも言える教師が、相手に伝えるための言葉を奪われてしまっている。そんな印象が残った。

元顧問は市外部監察チームの報告書すら読んでいなかった。いまだに自分の行為を客観的に見られていないということだが、自己検証と自己批判のため、元顧問には読む義務がある。自殺前日の練習試合のビデオも見て理性的に事実関係を尋ねた遺族から見れば、反省していないように取れるだろう。

生徒や卒業生、保護者には「先生は悪くない」と言う人も多かった。それによるのかはわからないが、元顧問にはまだ体罰と自殺の因果関係を認めたくない気持ちがあるのではないか。不幸なのは、問題が起きる前も後も、間違った方向に行く元顧問をいさめる人がいなかったことだ。〕

各メディアで大きく報道されているので、事件経過についての詳細は省くが、起訴状には次のようにある。

〔被告人は、A高等学校のバスケットボール部顧問であるが

第1

平成24年12月18日、大阪市と都島区の同体育館で行われた他校との練習試合の際、同部のVが、かねてルーズボールに飛び付き捕球するよう指導していたにもかかわらず、これに積極的に飛び付かなかったことから

1.同日午後5時40分頃、同体育館において、試合の休憩時間中に同人にルーズボールの捕球練習をさせた際、同人(当時17歳)に対し、その顔面及び頭部を平手で数回殴打する暴行を加え

2.同日午後8時30分頃、同所において試合終了後に同人にルーズボールの捕球練習をさせた際、同人に対し、その顔面及び頭部を平手で数回殴打する暴行を加え

第2

同月22日午後 5時頃、同所において、他校との練習試合中、同人が対戦相手選手の動きを意識せずにプレーしたことからその理由を問い詰めたが、Vが返答しないことにいらだち、同人に対し、その顔面及び頭部を平手で十数回殴打する暴行を加え、よって、同人に全治約3週間を要する上口唇中央部・下口唇全体粘膜下出血、下口唇左側粘膜挫創の傷害を負わせたものである。〕

罪名と罪状は「暴行」と「傷害」。この起訴内容を小村氏はすべて認めた。罪としてはかなり軽い部類にあたるし、少年の自殺との因果関係も書いていない。が、新聞各紙が社会面トップで扱ったのは、今年にはいってひろがった一連の「体罰報道」の端緒になった事件だからだ。

罪状だけを見ると、これほどの報道体制が組まれる「事件」ではないのだが、小村の顔写真(ガンクビと業界では言う)を撮るために、公道に面した大阪地裁に入るのすべての出入口にカメラマンやテレビクルーが張り付いていたのには正直、驚いた。傍聴券を得るためのメディアの動員は2~3百人いて、一般傍聴者らしき人は少ない印象を受けた。私は小村氏の支持者たちの一団が来ているのではないか思っていたが、それらしき人々の見当たらなかった。

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■求刑は異例の「懲役一年」■

午後いっぱいの時間を使って公判は展開された。検察官の起訴状朗読・冒頭陳述からはじまり、弁護側の情状証人として小村氏の妻(教員)が出廷。そして、少年の両親と兄、被害者代理人弁護士らが証人や被告に質問や意見陳述をおこない、最終弁論を経て、求刑で結審した。

検察官の求刑は懲役一年。弁護側は執行猶予をつけることを訴え、被害者代理人は検察官の求刑以上の罰を求めたのだった。

罪状は傷害致死ではなく「暴行」と「傷害」という罪状だけなのだから、通常の例から考えると、求刑はかなり重いものだろう。むろん法定刑としてはこの求刑は可能であり、検察官も最終弁論で強調していたが、暴力が「自殺」を招くほどきわめて悪質なものであったという理由である。

証拠として提出された自殺前日の練習試合の暴行シーンを記録した動画が法廷で流された。メディアによっては法廷で流され、そのむごさに凍りついたというような表現をしたところもあったが、傍聴席の大型モニターには流されなかった。

流れたのは、弁護側席と警察官席の小型モニターだけで、音声もちいさなものだったので、法廷に音が響くということはなかった。傍聴席モニターに映さなかったのは他の生徒も映り込んでいるために、裁判所が流さないという判断をしたのだ。遺族は傍聴席にも見てほしかったそうだ。

小村氏へは弁護側、検察官、そして被害者参加人として遺族と、遺族の代理人、そして裁判官から質問がおこなわれたが、氏は体罰と自殺の因果関係を認め、平身低頭で謝罪の言葉を繰り返した。

小村被告は自分の体罰のせいで少年が亡くなったのだということを認め、遺族のほうにむかって何度も深々とあたまを下げて謝罪を繰り返した。起訴状の内容も争わず、因果関係も認め、ひたすらに情状酌量を求める姿勢をとり続けた。

思春期をむかえる息子をふたり抱えた身であるから、父親が不在になることはその子どもたちにとってむごいことであるという弁護側の主張も裁判所の情けにすがりたい被告の思いが前面に出たものだった。

しかし、私が聴いていて思ったことは、小村氏自身が体罰依存から抜け出せなかったことに対する懺悔の念を表現する言葉数は少ないということだ。公判に立たされて萎縮していたからなのか、さきの談話のように暴力に依存する時間を過ごしてきたゆえに、自らの臓腑をえぐりだすような「言葉」を見つけ出すことを忘れてしまったようにしか思えなかった。つまり、己のおこなってきた行為の意味を深く考え抜くという行為の痕跡も伝わってくることがなかった。あまりにも紋切り型の言葉を繰り返していたことが、私にはそう思えたのだ。

明日へ続く

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ノンフィクションライター

1965年愛知県生まれ。高校時代より社会運動にかかわりながら、取材者の道へ。著書に、『殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』(講談社プラスアルファ文庫)、『光市母子殺害事件』(本村洋氏、宮崎哲弥氏と共著・文庫ぎんが堂)「壁を越えていく力 」(講談社)、『少年A被害者遺族の慟哭』(小学館新書)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)、『死刑のある国ニッポン』(森達也氏との対話・河出文庫)、『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)など著書・対談等50冊以上。愛知淑徳大学非常勤講師として「ノンフィクション論」等を語る。ラジオのパーソナリティやテレビのコメンテーターもつとめてきた。

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